白夜行①

 自称”母親”狗藤詩乃こと九尾の狐(姓の狗藤は勝手に名乗ってる)。

 自称”父親”酒呑童子。

 自称”祖父”僧正坊。

 威吹の血に連なる三匹の大妖怪が遂にコンプリートされたわけだが、

 だからと言って特別日常に変化が起きるということはなかった。

 精々、ウザ絡みしてくる相手が一人増えた程度で威吹は変わらぬ日常を送っていた。


「明日からGWだが、あまり羽目を外し過ぎないようにな。では、解散」


 帰りのHRを終えた黒猫先生が教卓から飛び降りて教室を出て行く。

 黒猫先生の姿が見えなくなったところで、教室はにわかに騒がしさを帯び始めた。

 幻想世界と言えど、連休を前にすると心躍ってしまう子供の性は変わらないらしい。


「お疲れー! 休みだね! 明日から休みだね! 楽しみー!!」


 パタパタと駆けてきた無音が足元をうろちょろし始めた。

 威吹はテキトーにその頭を撫でつつ、同じく一直線に向かってきた百望の対応に入る。


「雨宮は向こうに戻るらしいけど、何時出発するんだ?」

「明日の朝一ね。帰省する前に片付けておかなきゃいけないこともあるし」

「おれも明日! あ、どうせなら一緒に行こうよ!!」

「嫌よ。それより威吹は結局、どうするつもりなの?」

「俺もこっちを出るつもりだよ――今からな」

「「今から!?」」


 うむ、と大きく頷く。

 威吹もあれから色々と考えて、思ったのだ。

 そう言えばこっちに来てからしばらく真っ当なのと絡んでないな、と。

 ここらで一つ、まともなコミュニケーションというものを思い出すべきではないかと。

 ならば善は急げ。

 早めに向こうに行って、ゆっくり連休を楽しむべきだろう。


「というわけで」


 ボン、と威吹の姿が煙に包まれその姿が変化する。


「ん、んん!!」

「「!?」」


 威吹とは似ても似つかぬギャルっぽい少女が煙の中から姿を現す。


「じゃ、そういうわけだから。うちはこの辺で」


 引き抜いた毛髪を威吹(♂)に変化させ教室を出ようとするが、


「「いや待って! 何で化けたの!? というかその分身何よ?!」」

「は? それ聞く? 言わなくても察せるっしょ、そこらは」

「「いや察せねえよ!?」」


 第三者から見れば威吹のそれは奇行にしか思えないだろう。

 だが、当人的には当然の行いであった。


「素直に現実行くとか言ったら面倒なのがくっついてきそうじゃん?

んなんマジあり得ないし、ウケる……いや、笑えねえし。

だったらぁ? 奇襲気味に行くっきゃないじゃん?」


 具体的なプランとしてはこうだ。

 作り出した分身(威吹の姿)に帝都をテキトーにブラつかせ、

 本体の威吹が現実世界へ発ったタイミングで帝都の外に向かわせる。

 そこで用意していた手紙。

 内容は”休みだしこっちの日本をブラついてきます”というもの。

 それを詩乃の下に届けるのだ。


「したら、うちが現実世界に行ったとは思わないっしょ?」


 現実世界へ行くとなれば着いて来るだろう。

 しかし、幻想世界に居るのなら国外にでも出ない限りは追って来るようなこともあるまい。

 追うにしても一日ぐらいは猶予があるはずだ。

 分身と接触すれば流石に偽物だと気付かれるだろうが接触する前に消してしまえば問題はない。


「つーわけで、チャオ★」


 ひらひらと手を振り、教室を後にする。

 ちなみに幻術により一連の出来事を認識しているのは百望と無音だけなので、

 直接二人を問い質さない限りは情報が漏れることはないだろう。


「あ、すいませーん! 東京駅までお願いしまーす!!」


 途中で馬車を拾い、駅へと向かう。


(あっちに行ったらどうしよっかなあ)


 政府が用意してくれた家は残っているので、まずは家の掃除か。

 後は買い物もだ。食事はコンビニや外食で済ませられるが飲み物ぐらいは必要だろう。

 つらつらとそんなことを考えていると、駅まであっと言う間だった。

 御者に礼を言い、代金を払い馬車を降りた威吹は真っ直ぐ切符売り場へ。


「現実世界行きの切符をいち……」

「――――”二枚”お願いしまーす♪」


 背後から、聞こえるはずのない声が聞こえた。

 ギョッとして振り向くと、


「よっ」


 片手を挙げて微笑む詩乃の姿が。

 外行きのお洒落な格好、傍らにあるキャリーバッグ――どう見ても旅行に行く気満々だった。


「ンフフフ、向こうに行ったら何しよっか? お母さん、ネズミの国に行きたいなあ」

「…………か、監視か?」

「な、わけないでしょ。威吹が連休中、向こうに行くならどうするかなって思考をトレースしただけ」


 監視されるよりも最悪だった。

 この女ならばそれぐらいはやってのけるだろうが、

 いざこうして言葉にされると何とも言えない苦さがのど元からせり上がってくる。

 威吹が何も言えず渋面を作っていると、


「おい女狐、無辜の婦女子に何をしている」


 カツカツとブーツを慣らしながら近寄ってきたのは紅覇だった。

 旅行鞄を片手に、現世風の装いをした紅覇が威吹を庇うように割って入る。


「貴様の悪趣味に人を付き合わせるな」

「「……」」


 無言だった。威吹も、詩乃も。


「君、さっさとこの場を離れたまえ。これはただの人間が相手をして良いような生き物ではない」

「あのぅ、紅覇くん?」

「気安く名前を呼ぶな!!」

「参ったな。視野狭窄がちだとは思ってたけど、この子、全然人の話聞かないよ」


 珍しく本気で呆れている様子の詩乃を見て威吹も頷く。

 紅覇は何と言うか、思い込んだら一直線みたいなところがある。

 自分の中でそうと定めたら頑なにそれ以外を受け入れようとしない。

 今回は善意で助けに入っただけなのでまだマシと言えるが……。


「ちょっと」

「君、私のことは良いから早くこの場を……」

「いや違う、俺。俺なんだって」

「は?」

「だから俺、狗藤威吹です」


 威吹がそう告げると紅覇は一瞬、ポカーンと間抜け面を晒し――


「……!」


 ぷるぷると震え始めた。

 羞恥に悶えているかと思ったが、


「も、申し訳ありません! まさか我が君であられるとは……!!」


 威吹が威吹であると気付けなかったことを悔やんでいるらしい。

 ちょっと気持ち悪いと思いつつも威吹は良いよと紅覇を宥め、話を変える。


「それよりおたく、何で駅に? その服装も……」

「連休中、少し現実世界に向かおうと思いまして」


 世界が現実と神秘に分かたれたとは言え、

 神秘の側の住人が現実世界に行けないわけではない。

 正規の手段で向かうには諸々手続きが必要だが、

 非正規のやり方で現実に赴き我欲の限りを尽くす者らも一定数存在している。

 駅を利用しているところを見るに、紅覇はしっかり手続きを踏んだのだろう。

 こういう律儀なところも、つくづく化け物らしくない。


「なるほど、しかし何だってまた……」

「お喋りも良いけど、そろそろ汽車の時間だよ威吹」

「む、なら続きは車内でしようか。行こう、紅覇」

「ハッ! 御供致します!!」


 紅覇を連れ、汽車の中に乗り込む。

 同席することに詩乃から文句が出るかもと危惧していたが杞憂だったようで、

 紅覇が同じコンパートメントに入っても特に何も言わなかった。


「にしても、空いてるなあ」


「明日から連休とはいえ、今日この時間はまだね。

夜に最終便もあるし、よっぽど急いで行きたい人以外は乗らないでしょ」


 そんなものかと相槌を打ちつつ席に腰を下ろす。

 詩乃は当然の如く隣に座ったことに紅覇が顔を顰めたが、

 威吹からすればこの程度で目くじらを立てる紅覇が心配だった。


(コイツに、家ではもっとハードなことされてるって言えば……いや、やめとこう)


 いたずらに紅覇のストレスを溜めるのはよろしくない。


「はい威吹、お弁当とお茶」

「む……」


 事前に買っておいたであろう駅弁五個とお茶数本を取り出す詩乃。

 つくづく気が利く女だと思いつつ、それらを簡易テーブルの上に乗せ食事を始める。


「我が君、昼食は摂られなかったので?」

「いや、そんなことはないよ。昼もちゃんと食べた」

「私の愛妻弁当をたっぷりとね」


 母を自称しながら平然と愛妻などとのたまうのだから参る。

 威吹は詩乃を無視し卵焼きを口の中に放り込みながら説明を続ける。


「んぐ……ただなあ、何か最近、妙に腹が減るんだよ」


 喰っても喰っても足りない。

 気付けば直ぐに腹が空腹を訴えるのだ。


「……二口女? ヒダル神? もしくは他の餓鬼憑きか?」

「なわけないでしょ」


 途端に深刻そうな顔になった紅覇だが、詩乃がその懸念を笑い飛ばす。


「私がそれを見逃すとでも?

というか、そもそもそんな低級の憑き物じゃ無理だよ。

威吹に取り憑いた瞬間、逆に取り込まれるのが関の山だもん」


「それぐらいは言われずとも分かる。だが、何事にも例外というものが……」


 まあまあ落ち着けと手で制する。

 自分のことを自分以上に真剣且つ深刻に捉えられるのはどうも居心地が悪い。


「別に悪いものは感じないし大丈夫だと思うよ」

「というか実際、悪いものじゃないしね」

「あん?」


 詩乃の口ぶりでは原因が分かっているらしい。

 というか、それならさっさと教えろと威吹が詩乃を睨み付ける。


「ンフフフ、単なる成長期だよ」

「いやいや、成長期て……」


 自分で言うのも何だが、最近の食事量は異常だ。

 何かしらオカルト的な事象であるのは間違いないだろう。

 これが普通の成長期だったら自分はどれだけ大きくなるのか。

 そう続けようとして、詩乃に言葉を遮られる。


「化け物としての、ね」

「化け物としての……」

「妖気がねえ、日増しにドンドン強くなってるんだよねえ。自覚、なかった?」

「…………ないっす」

「まあ、あんまり深く考えずに力を使ってるみたいだし無理もないか」

「う゛」


 言葉に詰まる。

 しかし、威吹にとって既に妖怪の要素は自身にとっての手足――いや、臓器のようなもの。

 一々あれこれ考えながら心臓を動かす者は居ないだろう。

 深く考えないのは仕方のないことだと威吹は自己弁護し、咳払いを一つ。


「そういう事情だったんだな。しかし、何だって急に?」


「あの酔っ払いとの戦いが原因に決まってるじゃない。

今あるものじゃ足りないって、威吹ドンドン自分の器を拡大させてたでしょ?」


 させてたでしょ? と言われても威吹に自覚はない。

 あの時は兎に角、酒呑童子を殺すことに夢中だったから。


「ま、まあ理由は分かった。この成長期はいつ頃終わるんだ?」


 いつまでも腹ペコキャラの如く常に何かを食べている状態でいるのは正直嫌だった。


「近い内に終わるよ――第一次成長期は」

「……第二次もあるんだ」

「二で終わるかなあ? とりあえず今回のは尻尾が一本増えたぐらいで一先ずは収まるから」

「ん」


 そういうことならこの話は一旦、終わりだと頷く。


「さっき聞きそびれたけど紅覇は何で現実世界に?」

「……人間というものを、学んでみようかと」

「はい?」


 予想だにしない答えに目を白黒させる威吹と、へえと感心したように笑う詩乃。

 紅覇は後者に対して露骨に舌打ちをかましてから詳細を語り始める。


「我が君は私を人間のようだと言った。しかし、私は人間を知りません。

ハナから見るべきところのない生き物だと見下していたから。

ですが、人らしさを受け入れると決めた今、そのような偏見は捨てました」


 静かに、それでいて情熱を感じる声色。

 紅覇はもう、完全にあの頃の紅覇ではなくなっていた。

 そのことを改めて思い知り、威吹は知らず笑みを浮かべる。


「だから人間を、人間の強さってものを学んでみようと思ったわけだ」

「はい」

「しかし、わざわざ現実世界に行く必要はあるのか?」


 わざわざ煩雑な手続きをして、人間よりも高い金を払ってまで現実世界に行く必要はあるのか。

 幻想世界にも人間は居る。

 彼らから学ぶことは出来なかったのだろうか?


「……我が君も含めこの世界に居る人間は、ある種の”選ばれた”人間です。

彼らからも学ぶことはあるでしょうが、人間を知るのであれば選ばれていない。

有り触れた人間にこそ目を向けるべきだと考えた次第です」


「なるほど……そっか、そうだな」


 紅覇の考えは間違っていない。

 むしろ、正しいだろう。

 人間という種族の本質に触れるのであればその方が良い。


「まあ、頑張れよ」

「はい! ところで、我が君は何故現実世界に? 帰省ですか?」

「ん? んー、まあそんな感じ。久しぶりに向こうの友達にも会いたくてね」

「なるほど。で、その女狐が迷惑も考えずに着いて来たと」

「そうだな。そんなかん……ハッ!?」


 詩乃の話題に及んだところで威吹はあることに気付いた。


「ロック! そうだよロック! 母さんが居ないならアイツ一人じゃん!?

誰がロックの世話すんだよ!? ちょ……え、ど、どうしよう!?」


 汽車は既に出発しているし、終点まで駅に停まることはない。

 となれば行儀は良くないが窓から降りるべきか?

 威吹がそう思案していると、


「大丈夫だから落ち着いて」

「え……あ、誰かに預けてきたの?」

「ううん」

「大丈夫じゃないじゃん!」


 食って掛かる威吹を落ち着かせるように詩乃はまあまあと声をかける。


「いや、私も家を出る時にあの子に一緒に来る? って聞いたんだけどさ。

連休中の食い扶持ぐらいは自分で何とかするから、

御主人は心置きなくお休みを楽しんで欲しいって言ってたよ」


「ろ、ロック……」


 ロックの気遣いに目頭が熱くなる。


「あと、私の同行を止められなくてごめんなさいだって」

「ロォオオオオオオオック……!!」


 現実世界のお土産で沢山、鮮魚を買って帰ろう。

 そう強く心に誓いを立てる威吹であった。

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