夜遊び②
「着いたぞ、ここだ」
小ぢんまりとした和風建築の茶屋らしき店の前に降り立つ。
桃園、と古ぼけた看板に記されたその店には閉店の札がかかっている。
ちらりと中を覗いてみても灯りはついていないようだし、これはどういうことなのだろう。
首を傾げる威吹に酒呑童子はまあ良いから入ってみろと促した。
「それなら……」
少し困惑気味に威吹が戸に手をかける。
鍵はかかっていないらしく、あっさり戸は開いた。
しかし、やはり中は暗いし人気もない。
不思議に思いながらも足を踏み入れた瞬間、景色が一変する。
「…………これは……」
明らかに外観と不釣合いな広大な空間にまず驚きを覚える。
目に痛いほどのドギツイ照明と耳をつんざく喧騒に顔を顰めながら威吹はゆっくりと周囲を見渡す。
「ふむ」
噎せ返るような酒気。
明らかに違法性を感じる紫煙。
鼻をつく精の臭い。
拭っても拭い切れず染み付いてしまった死臭と怨念。
「成るほど――――悪い遊びという誘い文句に偽りなしだな」
不道徳を凝縮したような空間を認識し、大きく頷く。
「ってあれ?」
気付く。一緒に入ったはずの二人の姿がどこにも見えない。
キョロキョロと威吹が視線を彷徨わせていると、一人の男が近付いてくる。
分厚い脂肪に包まれた三メートルはあろうかという肉達磨。
口の端からは涎を垂れ流し、目も焦点が合っていない。
明らかに正気を逸しているその豚は威吹の前に来てにへら、と笑った。
「お、おめえ……かわ、可愛いなあ……ぶひゅ、びゅひゅ」
「……」
豚の言葉を受け一瞬、威吹の顔に不快の色が混じる。
だが直ぐに気狂いを相手にしても仕方ないと表情を消した。
「な、なあ……おら、おらと良いことしねえか? だ、大丈夫だ。
は、は初めは苦しいかもだが……すぐ、直ぐに気持ちよく……ぶふふ!!」
無視してこの場を去ろうとする威吹だったが、ガシリと肩を掴まれる。
「お、おい……無視してんじゃねえぞ」
「豚とお喋りをするような趣味はない。さっさと失せろ」
他の客らも目敏く騒ぎに気付いたようで、注目が集まってしまう。
どいつもこいつも下卑た表情を隠しもしない。
威吹の口から思わず溜め息が漏れ出す。
「ぶ、ぶだ……豚ァ!? お、おおおおめえ! もう許さねえ!!
優しくしてやろうと思ったが止めだ! お、犯し殺しでやるぅうううううううう!!!!」
めきめきと偽装が解け、醜い異形が露になる。
怒りのままに威吹を押し倒さんと両手を広げ豚が襲い掛かった。
「鬱陶しい」
引っ込めていた尾の一本を具現化しそれを以って豚を絡め取る。
突然のことに驚く豚だが、怒りが勝ったのだろう。
拘束から逃れんと罵声を繰り出しながらジタバタと暴れ回っている。
穏便に済ませられそうもない。
威吹は小さく溜め息を吐き、尻尾の毛を一本残らず刃へと変化させる。
「ぴギィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?!!!?!」
けたたましい悲鳴を上げる豚。
即座に絶命しないのは分厚い脂肪に加えて生命力が強いから――ではない。
そういう理由もないわけではないが、一番は威吹自身に即殺するつもりがないからだ。
「いだ、いだいいだいだい! やべ、やべでぐでぇえええええええええ!!!!」
絶叫、懇願。
威吹はそれを無視して包み込むようにギュッ、ギュッ、ギュッと少しずつ締め付けを強くしていく。
ジューサーで搾り取られる果汁のように隙間から漏れ出す鮮血。
だけどああ、まだだ。まだ足りない。
「!? お、おい! 俺は何も関係な……ぐぁあああああああああああああああ!!!!」
「ちょ、ちょっと、やめ……!!」
残る二本の尾を伸ばし一番ムカつく面でこちらを見ていた者らを確保。
豚と同じように尾で締め付け血を搾り始めた。
すると、空気が変わった。
豚の処刑を面白そうに眺めていた客たちが、不快感を露にしているではないか。
残虐な光景に、というわけではない。
彼らがイラついているのは新参者がデカイ顔をしているから。
ぞろぞろと血の気の多そうな者らが立ち上がり、こちらへ向かってくる。
予想が当たった、と威吹は内心ほくそ笑んだ。
「…………おい小僧、はしゃいでんじゃねえぞ」
「ちょっと、おイタが過ぎるわね」
どこかで聞いたような小物臭い台詞に対するアンサーは、
「ぺっ」
唾だった。
しかし、ただの唾ではない。
吐き出された唾液が水の龍に変化し三下どもに襲い掛かったのだ。
彼らは反応すら出来ず龍に頭を貪り喰われ絶命した。
ここに至って、客たちは理解した。威吹が見た目通りの存在ではないことに。
「ハハハ」
嘘のように消え去った喧騒。
耳に痛いほどの静寂を打ち破るように威吹は哂い、
三本の尻尾を振り回し肉片となった三人の骸を店内にバラ撒いた。
「これなら、落ち着いて二人を探せそうだ」
ここは屑の吹き溜まりだ。
一度、どちらが上かを示さねば次から次へと面倒ごとが襲ってくるのは目に見えていた。
それを片付けていけば実力は示せるだろうが……まどろっこしい。
受身の姿勢で待つよりも積極的に自らの力を示した方が話は早い。
そう判断し、何人かを血祭りに上げてみせたのだ。
「こりゃすげえ! いや見事、御美事!!」
底抜けに明るい声が静寂を打ち破る。
声が聞こえたのは上。
自然とそちらに目をやると、天井の梁に草臥れた漢服を纏う蓬髪の男が座っていた。
「あぁらよっと」
ひょい、と結構な高さから飛び降りるや男は威吹の前に立った。
(コイツ……)
男は人間だ。
しかし、普通の人間ではない。何か違和感を覚えるのだ。
違和感の正体について威吹が思考を巡らせていると、
男は昔馴染みの友人にそうするかのような気安さで肩を組み叫んだ。
「おめえら! この兄さんを怒らせたらどうなるかは分かったよなぁ!?
兄さんがしたのは警告だぜえ? おいらぁ、まだ死にたくねえからよぅ。行儀良くしておくんな!!
分かったか? おぅし、分かったんならまた好きに騒ぎな!!」
男がそう告げるや、凍り付いていた時間が動き始めた。
場はまだどこかぎこちないが、やがては最初の喧騒を取り戻すだろう。
植え付けた恐怖を言葉だけで拭い去ってみせたこの男、只者ではない。
そう感じると同時に威吹は違和感の正体に気付く。
「……アンタ、死人か?」
「おや、分かるのかい? 流石だねぃ」
「密着すりゃあ馬鹿でも気付く」
やけに冷たい肌、化粧の匂い。
耳を澄ませば心臓が動いていないことも分かった。
「それより……」
「ああ待て待て。待っておくんな。とりあえず奥で話そうぜ。旦那や姐さんも待ってるからよ」
男に促され、肩を組んだまま奥へと向かう。
連れ込まれた部屋はVIPルームのようで、中では酒呑と詩乃が徳利を傾けていた。
とはいえ、仲良く飲み交わしているわけではなく各々が勝手に酒を呷っているだけのようだが。
「よォ、上手くやったみてえだな」
「…………居なくなったのはわざとか」
「そんな顔するなって。これからもここを利用するなら最初に一発キメといた方が楽なんだからよ」
「いや、俺は好んでこんなとこに出入りする気はないんだが」
不道徳と退廃についてとやかく言うつもりはない。
この世界では罷り通っているのだし、好きにやれば良いとおもう。
ただ自分の趣味ではない。
酒にもクスリにも女にも博打にも興味がないのだ。
「ま、ま、ま。そう言うなって兄さん。ほれ、すわんなすわんな」
言われるがまま腰を下ろす。
どうにも、この男の言葉に逆らう気が起きない。
威吹が受身寄りだと言うのもあるがそれ以上に、
(不思議な魅力を感じるんだよな)
神秘的な力によるものではない。
その手の魅了であれば最高峰のものを知っているから、まずかかりはしないだろう。
だからこれは男が生来備えている資質なのだと思う。
「兄さん、何飲む? 大概のもんは揃えてあるぜ?」
「じゃあ……ラムネ」
「あいよ、ちょっと待っておくんな」
男が部屋の隅に置いてある冷蔵庫を開ける。
だが、普通の冷蔵庫ではない。
扉の向こうには無明の闇があった。
男は一切の躊躇なく闇に手を突っ込み、ラムネを数本取り出した。
「ほいよ」
「ああ、どうも」
蓋を開け、口に詰まっていたビー玉を指で押し込み中身を呷る。
口の中に広がる清涼感としゅわしゅわ。
喉の奥に流し込めば身体の中が洗われていくような爽快感が駆け巡った。
「さて、そいじゃあそろそろ名乗らせてもらおうかね。姓は劉、名は備。字は玄徳。どうぞ、よろしく」
「りゅう……劉備玄徳!?」
突然、飛び出したビッグネームに目を見開く。
そこまで歴史に詳しいわけではないが威吹も三国志ぐらいは知っていた。
「おうとも。皆の大徳、劉備さんさね」
「…………本人、なのか?」
これが生きた人間なら同姓同名という可能性の方が先に思い浮かんだだろう。
だが、死人であるという前情報があったので真っ先に本人であるという可能性が浮上した。
「おうさ。僵尸――いわゆるキョンシーってやつさね」
そこで威吹は詩乃を見た。
大陸と縁があり、尚且つ妖しげな術も多々使える妖怪狐。
可能性は低いだろうが、ひょっとしたらという思いもある。
「いや私は関係ないよ。えーっと、そうそう二百年ぐらい前の話かな?
現実世界の中国政府がこっちでの影響を強めるための駒としてね。
かつて大陸に存在していた英雄を蘇らせたんだよ。
劉備はその中の一人で……まあ、大体想像はつくと思うけどさ」
「計画は失敗したんだな? 他ならぬ蘇らせた連中の手によって」
「そういうこと」
無論、政府もしっかり首輪はつけていたのだろう。
だが、相手が悪過ぎる。
武で成り上がった英雄ならば御することも出来よう。
しかし王や軍師となれば話は変わって来る。
最初は従順に振る舞い距離を詰め、最高最善のタイミングで裏切るぐらいは朝飯前のはずだ。
この劉備もそう。というか、劉備こそが悪い相手の代表格である。
「しかし、何だって日本に……」
「あっちは覇権争いが酷くてなあ。いや、おいらにも野心はあるんだぜ?
孔明先生や弟二人と一緒にまぁたやり直すのも悪くはないと思ったさ。
けんどなあ、高祖様も居るんだぜ? 曹操や孫権の小僧どもならまだ良い。
いや、曹操は良くねえけど……まあ良い。だが高祖様が相手じゃなあ」
げんなりした顔の劉備。
高祖様、というのはまず間違いなく劉邦のことだろう。
「他にも糞厄介な連中が居るし、生前の比じゃねえ混沌っぷりなんだもんよ。
だからまあ、面倒になって孔明先生や張関と一緒に海を渡って流れて来たのさ」
「こっちでは何を?」
「一応、帝都の裏社会で顔役の一人をやらせてもらってる。
こっちにゃおっかねえ化け物は居ても”おっかねえ人間”が居ねえからな。
上手いこと隙間に入り込んで甘い汁を吸わせてもらってるよ」
酒呑童子の言葉の意味をようやく理解する。
成るほど、確かに劉備とは顔を繋いでおくべきだ。
人間相手でも化け物相手でも、何か面倒があった時、劉備は良い相談役になるだろう。
(そしてそれは向こうにとっても同じこと)
血縁三匹のビッグネームも当然あるだろう。
だが自分個人にも劉備は利用価値を見出している。
それゆえわざわざ合格判定を自ら渡しに来たのだろうと威吹はあたりをつけた。
「ああでも、相馬の大将はおっかねえか。
まあ、あっちは教育者だから基本的に絡む機会もねえだろうが」
ま、とりあえず、よろしく頼まぁ!
そう言ってニカリと笑い手を差し出す劉備。
威吹は迷いなくその手を取った。
人間としての目線、化け物としての目線。
自らに備わる二つの視点で劉備を見定めた結果、縁を繋ぐべきだと判断したのだ。
「知ってるだろうが改めて名乗るよ、狗藤威吹だ。よろしく」
「うぇっへっへ、幾つになってもダチが増えるのは嬉しいねえ」
人間としては利用価値を差し引いても好感が持てるし、
化け物としてはその浮薄にして軽妙な在り方が面白く思う。
成るほど、これが英雄というものかと威吹は軽く感動を覚えていた。
「…………おかしいな。アル中や駄犬と言い、男の方が好感度稼いでない?」
「真っ当に好かれるようなことしましたか、あなた?」
神妙な顔でアホなことをほざく詩乃にツッコミを入れる。
好きか嫌いかで言えば詩乃は好きだ。
だが、その行状ゆえストレートに好感を抱くのは難しいのである。
「ハッハッハ! こんなイイ女に好かれて……妬けるねぃ。
っと、それはともかく威吹の兄さんよ。ちょいと耳に入れておきたいことがあるんだが」
早速、貸しを作りに来たらしい。
威吹は僅かに口の端を歪め、劉備の言葉に耳を傾ける。
「最近、兄さんを殺すために人や化け物を集めてる奴が居る。理由はまず間違いなく怨恨だな」
「へえ、それはそれは」
吉報だと威吹は頷く。
すると劉備は目を丸くし、問うた。むしろ凶報じゃないのか、と。
「いや何、理由は何であれ大妖怪を目指すと決めたんでね。だからだよ」
「んん?」
「恨まれも疎まれもしない化け物なんぞ動物園で飼われてるライオンみたいなものってことさ」
恨まれてこそ。
疎まれてこそ。
畏れられてこそ。
向けられる悪感情を抱き留めてこそ大妖怪というものだろう。
「……なーる。そいじゃあ、下手人については」
「ああ、要らないよ」
「だよなぁ。こら、余計なお世話だったかな?」
頬を掻く劉備にそれは違うと断言する。
「言っただろ? 吉報だって。だからまあ、この借りはしっかり覚えておくよ」
「へっへっへ、水臭えこと言うなって」
「要らない?」
まさか! と劉備が手を振る。
「折角の好意だ。受け取らん方が礼を失するってもんだぜ」
「いけしゃあしゃあと」
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