Southern Cross〜Side Story:You're My Star〜
花束よしこ
第1話 Flower Language of Mimosa前編①
1990年代、冬。
まだ吹雪が音を立てる天気の最中。
ここはイギリス、ロンドン市内の病院。
とある夫婦が、新しい命を育み、そして今、その命を自らの手で抱こうとしていた。
「大丈夫か?」
ベッドの横で夫が心配する。
「ええ」
妻は優しく、しかし痛みに耐え、少し唸りながら、汗ばんだ体で呟く。
「大丈夫だ。俺が付いてる」
夫はそう言い、妻へ手を差し出す。
安心した妻は、微笑んで手を握った。
「ありがとう」
そして夫婦は分娩台へと向かう。しかしそこにいた医師は、少し難しい顔をしていた。
「奥さん。そして旦那さんも、よく聞いて下さい」
「……何か?」
医師の突然の警告じみた言葉に、妻は不安になって聞き返す。
「大変申し上げにくいのですが」
そう言って医師は、驚くべき言葉を告げる。
「もしかしたらなのですが、あなたのお子さんは、大変危険な状況にあるかもしれません」
「えっ!?」
青天の霹靂。
「実はお腹の子は、そうですね、目の辺りと体の一部が、ぽっかりと穴のようにかけていらっしゃるんです」
「まさか」
「これは本当の話です。今まで生きているのが奇跡でした。それでも、産まれてきたら、体の一部が欠けているため、どれほど生きられるか分かりません」
「そんな……」
妻は、医師からの突然の告白に絶望する。
「そんな……この子が……あなた……」
命を感じる、体が軋むような痛みと、先程の言葉とを反芻しながら妻は夫に悲しみを伝える。
「ああ……」
夫も、我が子がそんな状態だったとは想像していない。
「神よ。神よ……」
その二人に、おずおずと医師が告げる
「恐縮ですが、ご両親は、“人工人間”については、勿論ご存知ですかな?」
「はい、知っています」
「左様ですか。今、このお腹の中の子には、二つの道があります。一つは、産まれてきた後に、人工人間への手術をする事無く、そのまま命の幕を閉じる道。もう一つは、人工人間としてでも、人生を生きてゆく道」
「はい」
「一つ目の道は、言わずもがな、お子さんを手放す、幕を閉じる悲しい道です。しかし、二つ目の道も、決して薔薇色の道とは言われない、茨の道です」
「はい」
「大変お辛いでしょうが、ご両親にはこれから、なるべくすぐ、この子の歩む道を決めて頂かなくてはなりません。苦しい判断になるでしょうが、どうか考えてあげて下さい」
医師にそう言われ、妻は夫に問いかける。
「……どうしましょう、あなた……」
夫は、その妻をただ見つめる。
そして、呟いた。
「……なあ。……この子には、命を閉じて欲しいと思うか?」
妻は少しだけ考え、痛みと汗の中で、少し涙目になって言った。
「いいえ」
そして訴える。
「あなた、聞いて。私は、この子にそれでも生きていて欲しいと思ったの」
妻は、涙目で言った。
「この子は、もし手術を受けたら、苦しい事がいっぱいあるかもしれない。それでも、私達は“生きているこの子”に、いつかは笑顔を見せてあげられるかもしれないし……ほら。“生きているだけで丸儲け”って言葉も、あるじゃない」
だから、と妻は言って、言葉を切った。
夫はしばし、妻の言葉を聞いていたが、少し目をうるつかせたかと思うと、少し微笑んで、そうだな、と呟いた。
「そうだな」
そしてこう口にする。
「俺も、この子に、生きて欲しいと思った。手術して頂こう」
「ありがとう、あなた」
微かに微笑み合う。
そして二人は医師に目を合わせ、こう頼んだ。
「先生、私達……」
医師が両親に、最後の確認を問いかける。
「では、人工人間の延命治療をお受けになる、という事でよろしいですか」
「はい」
夫婦が答える。
「となりますと、人工人間法によって、貴方がたにこれ以上迷惑がかからないよう、ご両親はこの子に名前をつける事が出来ません。また手術後、この子はご両親の元を離れ、孤児院で孤児として生きていく事になります。それでも、よろしいですかな」
少しの沈黙が流れた。
しかしその重い、重い沈黙こそが、その夫婦が我が子を愛していることの何よりの証だった。
シャボン玉のように死んでしまうなら、せめて、力強く生きてほしい。
「はい、お願い致します。この子にはどうか。生きて希望を味わって欲しい」
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