不登校部員は人に優しくできない

なかうちゃん

第一話 不登校部


 ――――人に優しく。


 そんな言葉を、きっと誰もが一度は聞いたことがあるだろう。


 ――――優しさ。


 その言葉を誰もが知っているはずなのに、それに反して世界は悪意と害意、それに敵意に満ちている。

 優しさなんてものは、この世界にはほんの僅かしかないように思えた。


 あれは、いつの日だったか。優しくなりたいとかえでは言った。

 それに対して俺は、何のためにだと問うた。

 本当の意味で人に優しくできない自分が嫌いだからと、そう楓は言って少しだけ寂しそうに微笑んでいた。


 そのときの俺には、彼女の言葉の真意がわからなかった。


 楓についてクラスメートや教師が話すときは、まずは決まって優しい子という言葉が出てくるほどだった。そして俺自身も、優しい人間っていうのは彼女のような人間のことを指すのだろうと思っていた。


 だが楓と別れた今となっては、その裏に如何なる感情が隠されていたのかを知る由もなかった。




◇◆◇




 国道沿いを一人歩く、夏の夕暮れ時。


 この町は田舎だ。そうなると住人の交通手段には車か自転車が必然的に用いられる。特にこのような場所においては、俺みたく無意味に歩いている人間は他に見受けられない。

 

 蝉がけたたましく鳴いている。

 奴らは地下で三年過ごし、地上に出てからは一週間ほどで生を終えるという。こんな風に全力で鳴くことができるのも、そんな運命を蝉自身が知っているからなのだろうか。もしかしたら成虫としての短い生を全力投球で生き抜き、子孫を残そうと精を出しているのかもしれない。俺は、そんなダブルミーニングなことを取り留めもなく考えながら歩いていた。



 ――――あと一週間しか生きれないとなったら、俺も変わることができるのだろうか。



 この無気力に過ごす日々から抜け出すことが――――



 そこまで考えて、あまりにも無意味だと感じた俺は思考をシャットアウトする。


 そうだ、俺は蝉じゃない。

 仮にも人間なのだから、蝉と己を重ねて物事を考えるなんてことをしてもどうにもならない。それはただの現実逃避だ。


 ――――人間として生まれてしまったからには、どれだけ生きにくさを感じても人として生きて行かなければならないのだから。


 そんな風にウジウジと考えているうちに、目的地の河川敷に辿り着いた。


 横に大きく広がった階段を下りると、その先には大きな川がある。そして、その周囲は広大な緑地で囲まれていた。俺は周囲を確認するが、人影はない。


「また、俺が一番乗りか」


 独りごちて、ため息を吐く。


 そして階段に座り込み、流れる川をボーッと眺める。


 ――――川。


 ――――それは流れるものであり、何かを流すもの。


 ――――そう、俺は人生という大きな川に流されて流されて、ここまで生きてきた。


 そのとき、視界の端に流されていく空缶(ゴミ)を捉える。


「……フッ、あれはまるで俺みたいだな」


 誰もいないのをいいことに、俺は自嘲気味に笑いながらそう呟いた。


「何がー?」


 不意に背後から声をかけられる。


 ――――誰かいたらしい。

 いや、俺には振り返らずとも声でわかる。この声は香苗かなえだ。

 ……って、マジかよ。今の聞かれたのかよ。泣くぞ俺。


「ねーえー、あきらってばー。何が暁みたいなのー?」


 香苗が俺の名前を呼びながら背中に抱きついてくる。


「……お前には関係ない。あと引っ付くな」


「えー、嫌なら振り払えばいいのにー」


 ……こやつめ、それが思春期の男子に易々と出来ないと知りつつも言ってるな。男を惑わす脂肪の塊おっぱいを背中に当てられて抵抗できる男がいるであろうか?


 否ッ! それは断じて否であるッッッ!!


「おいこのビッチ! 男の純情をもてあそびやがってッ!」


「えぇー、ビッチだなんてひどいなぁー。それにぃ、あたしが体を許したのは暁だけ……だよ?」


 香苗の言葉に心がざわつく。情事の光景とともに、当時の感情がフラッシュバックして吐きそうになる。


「……やめろ」


 こいつにとっては悪気のない冗談だとわかっていても、睨まずにはいられなかった。


「……やだなぁ、もう。怖いんだから。はいはい、やめますよーだ」


 香苗が体を離そうとする。ひとまずは解放されそうだということに安堵した俺は、すっかりと油断していた。


「股間がガラ空きだぜっ!」


 背後から香苗が素早く手を伸ばしてきて、ズボン越しに俺の股の隆起をガッチリと掴んだ。


 ……そう、悲しいかな。俺は心では嫌がっていたが、背中に男を惑わす脂肪の塊おっぱいを押し当てられたうえに彼女との情事まで思い出してしまったのだ。そのせいで、沈んだ気持と相反して股間は勝手に盛り上がってしまっていた。目ざとい香苗は、それに気がついていたのだ。


「あれれー? 口では嫌がっていても体は正直だねー? おおーん?」


 香苗が、まるで強姦魔のようなことをのたまう。


「いやー! やめてー! 犯されるー! 誰かー!!」


 俺は凌辱されそうな乙女のように泣き叫んで周囲に助けを求めた。


「へっへっへ、こんな場所で助けなんか来ないよぉ暁くぅん? ほーら、これからお姉さんといいこと……あいたっ!?」


 もはやこれまでかと思った瞬間、香苗が短い悲鳴をあげる。

 俺が咄嗟に振り返ると、そこには赤いロン毛のヤンキーがいた。彼が男女平等キックを香苗にお見舞いしたらしく、片脚を上げた姿勢で立っていた。


「何すんのさ省吾しょうごっ! 服が汚れるじゃないっ!」


 香苗は、ぷりぷりと怒りながら蹴られた箇所を両手で払う。


「はあ? 発情猿に服なんかいらねぇだろうが。……ああ、そういえばさっき犬の糞を踏んだんだった。喜べよ、運がついたかもなぁ?」


「ぎゃあああー!? あたしの一張羅がぁー!? おまえマジでふざけんなよっ!? エンガチョッ! エンガチョッ!」


「嘘だよ、バーカ」


 カカカと赤髪のヤンキー――――省吾が笑う。


「むきぃー! 女の子蹴るなんてサイッテー! だからおまえはヤンキーのくせにモテないのよ! このアホ! ボケ! ダラズ!」


 少ない語彙力で必死に口汚く罵る香苗を無視して、省吾が俺の肩に手を置いた。


「暁、大丈夫だったか? おまえのことは、この俺がいつでもどんなときでも必ず守ってやるからな」


 そんな風に、俺が無垢な女の子だったら間違いなく惚れるであろう台詞を省吾は投げかけてくる。


「省吾……」


「暁……」


 そして二人は暫し見つめ合う。


「……キモいからやめろ」


「何故だァァァッッッ!?」


 俺の言葉に省吾は大層ショックを受けたようで、その場で何故か仰け反って見事なブリッジを決めた。そして、その上にすかさず香苗が腰を掛ける。

 それでも崩れないのだから、省吾の筋力は大したものだと思う。流石は腕っぷし自慢のヤンキーだ。


「テメェ勝手に乗ってるんじゃねぇよっ!? 俺の上に乗っていいのは暁だけなんだよぉっ!!」


 だからやめろ。俺はホモじゃない。


「ねぇねぇ、そんなことより部長はー?」


 香苗が省吾を無視して俺に問いかけてくる。

 我が部の部長、神谷新一かみやしんいちは時間にルーズだ。いつも通りに本日も遅刻しているのだろう。未だに、その姿を現していない。


「まあ、そのうち来るだろ」


 俺は香苗の疑問を適当に流しつつ、どうにか股間の猛りを鎮めることに努めた。


 しかし、神様はいつだって無慈悲だ。

 そんな俺の努力を嘲笑うかのように、全てを無に帰すような出来事をいとも簡単に引き起こす。


「テメェ! いい加減に降りろよっ!」


「うわぁっ!?」


 省吾が香苗を振り落とさんとばかりに、ブリッジをした状態で体を上下に揺らす。控えめに言って、その動きは気持ち悪かった。


 いや、この際省吾の気持ち悪さなどどうでもいい。

 問題は上下に揺れることによって香苗のミニスカがめくれ上がり、そこに隠された純白の雪原ピュアホワイトを露わにしてしまったことだ。


 ――――そう! それはパンチラッ! 紛うことなきピュアホワイトッッッ!


 その瞬間、俺は脳髄と股間に電流が走ったかのような錯覚に陥る。


 しかも、省吾が動く度にパンチラがチラチラとパンチラしていた。パンチラがチラチラするせいで、言語能力と思考能力が著しく低下している。これはまずい。俺の脳内でパンチラがチラチラとパンチラし、ゲシュタルト崩壊している。


「おまえらいい加減にしろっ!」


「ぐげっ!?」

「きゃっ!?」


 俺の前屈みキックを受け、その場で省吾が断末魔をあげながら崩れ落ちる。それに伴って香苗も省吾の上に転げ落ち、二人が重なって倒れ込んだ。


「いったーい! 何すんのよぉっ!!」


「蹴るなんて酷いぜ、暁……。でもよ、おまえのそういうところも……俺は嫌いじゃないぜっ!」


 省吾が親指を立てて歯を見せて笑う。その表情は非常に爽やかだが、やはり言ってることは非常に気持ち悪い。


「おーい、おまえたちぃー!」


 不意に遠くから、こちらを呼ぶ声が聞こえてきた。

 声がした方向を見ると、部長の新一がママチャリを漕ぎながら片手を振っている。


 新一は、俺たちの目の前でママチャリをドリフト気味に停止させる。それから「フッ……」とニヒルに笑い、キメ顔をした。……動作だけ見れば格好いいのかもしれないが、ママチャリでそれをやられても反応に困る。


「おまえいつもいつも、毎回おっせぇんだよ!」


 香苗に乗っかられた姿勢のまま、省吾が新一に不満をぶつける。


「悪い、ちょっと殺人事件に巻き込まれてな。事件の解決に時間がかかっちまった」


 これ以上なくわかりやすい嘘だが、新一の遅刻の言い訳がぶっ飛んでいるのはいつものことなので誰も突っ込まない。


「ねぇ部長、今日は何するのー?」


 香苗が起き上がりながら質問をする。


「お、白か――――ぐぎゃっ!?」


 仰向けで倒れている省吾にはスカートの中が丸見えだったらしく、余計なことを言ったばかりに顔面を香苗に踏みつけられてしまう。


「ああ、我が不登校部の本日の活動は――――」


 新一が自転車から降りて、本日の部活の活動内容を話し出す。


 そう、俺たち四人は不登校部という部活の仲間だ。

 当たり前の話だが、これは新一が勝手に作った非公認の部活だ。ぶっちゃけ、そう名乗っているだけである。

 ちなみに部の名前通り、俺と香苗と省吾の三人は各々の事情により学校へ行っていない。しかし、こんな部活の部長である新一だけが普通に学校に通っているのは永遠の謎だ。


 そして部の活動内容は新一の気分によって決まるが、大抵は――――


「――――缶蹴りさ!」


 ――――こういう、子供じみた遊びをすることが多いのであった。

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