魔王からの贈り物

グシャガジ

洞窟の中の魔王



 低木がアクセントとなった黄緑の何処までも続く草原の絨毯に穏やかな茜色に染まった空が寝そべり暮れなずむ。一斉にお辞儀する麦畑を襟巻にして小さな山を被った何処にでもあるありふれた村落の日々の営みをいつもの様に寝物語代わりに見ていた。

 寄せ集めの木で出来たのどかな村の出入り口、急に大声が響く。

 仕事を終えて戻ってきた山羊飼い達や泥だけの農民達が口の慰め代わりの草を何事であろうかとポカーンと落とす。

呆気に取られ足を止めざるをえなかった村人達。下界の事なんぞ知らんとコロコロとコマドリ達だけが愛くるしい声で遊んで飛んでいく———


「ファーハッハッ! 我は魔王! さきがけのエルドラド!

 この地に封印された我が同胞、明星サルマドーレを救いに参った!諸君!さぁ、早急に引き渡せよ!」


 赤から黒へと変わりゆく世界であろうと鮮明に浮ぼらせる紫色の大男が周囲の注意を惹きつける大声で口上を述べ豪快に笑っていたのだ。

 草原にポツンとある村落にこの大男はあまりにも似つかわしくない。そもそも人間でも無いのが明らかな程に異形である。背中に自身を隠してあまりある蝙蝠羽こうもりはね、顔の半分はありそうな大きな口からはギラギラと乱杭歯らんくいばが見え、育ち過ぎた山羊みたいな角が象牙の様に滑らかに少なくなっていく光を蓄えて輝いている。何より、ギロリとした蛇の様な赤い眼光が村人達が人伝ひとづてにしか聞き得てこなかった魔物のそれであった。

 話に聞く爛々らんらんと輝いた瞳に村人達は戸惑いながらも『意味がわからないものには関わるべきでは無い』という集落特有の排他的思想を以って視線を合わせない様に俯き気味に歩き去っていく。

 入り口付近で見張り番らしき若者が野良着に手入れもしてなさそうな槍にもたれて魔物なんて初めて見たと好奇の目をむけてはいるが単に異形な大男が騒いでいるとしか感じずに安穏にだらけきって見ているだけだった。

 平穏そのものの大地と人々に自称魔王の大男は改めて高く笑う。

腕を大きく広げて笑って改めて叫ぶ。


「ファーッハ。回答無しであるか、まぁよい。ならば我輩自ら探すとしよう」


 想像していたいつもの事柄から大幅に外れてゆく凡庸な村の様程に興奮が腹下からふつふつと湧き上がり茜から黒へと成り変わっていた空が急遽、紅へ色を塗り替えはじめた。



▲▲▲▲▲▲


 不揃いながら石を敷き詰めた道からぽつぽつと自然派性した粗末な石積みの民家群の中にある一軒の隙間だらけ小さな家の壁から聞こえる祈りの言葉。

 ―― 豊穣ほうじょうの神の名の下に。

ここの村人達が信仰する月の女神への食前の祈りの一節。


 年月をかけて黒ずんだ剥き出しの土間だけの家。父と母、息子の3人がこれから夕食をはじめようと中心に置かれたテーブルを囲んでいる。外観に沿った貧乏じみた小さなテーブルに村で出来た家畜の雑多な切り身を焼いただけの薄味の主菜とカビ臭いパンが人数分、収まりの良い小さな小皿に侘しく並ぶ。香料なんて使ってないものだから野生味が強く昇る臭いは口の肥えた者にとっては閉口してしまうだろう。

 家族はそれぞれ俯き胸の前で両手を組んで唱和している。父親だけがこの粗末な形に到底相応しく無い立派なペンダントを握っている。山羊の角と真丸の月らしきものを刻みこまれた拳大の精巧な造りのレリーフ。


「今日もアンナとだけ遊んでいたの? 」


 祈りが終わり肉ばっかり食べようとする息子に母親が語りかけた。何度も言われてきたのだろうか宙に浮いた足をブラブラさせながらこくりと頭で返事するのみの息子。母親は心配と嫌味が半分づづ含める様に『他の子とも……』とか『外で遊ばないと』等々、常套句らしい小言をチクチクと息子へ並べる。聞く耳を持たない息子に言い聞かすのも疲れた様で母親は黙々と食べる父親へ同意を求めた。


「……明日から刈入れだから。女神様のおかげで今年は豊作だ」

「このパンみたいにクーリンがカビるんじゃないか不安でしょうがない所だったのよ。がんばるのよ」


 クーリンと呼ばれた少年は少々うんざりした風に「わかってるよ」と両親に答えて父の前に置かれたペンダントを見つめた。


「明日がんばるからさ、それ貸してよ父さん」

「ダメだ。……大きくなったらな」


 何度も繰り返したお願いにいつもの回答。舌打ち混じりにパンを齧る少年。母親は見逃さず小言が増える。3人家族のいつもの風景。

 突如、家族の団欒を遮る音が伽藍がらんとした室内に響いた。節穴だらけの板材のドアが夕食時にも関わらず不躾な程強く叩かれたのだ。

 一斉に3人の視線がドアに集まる。決められた所作の様に父親がペンダントを首にかけて立てかけられていた農具を武器代わりと手に取ってドアの前へ立つ。

 『こんな時間に誰かしら』と母親は失礼な出来事に文句を口からもらすもどこか怯えた様にも見える。

 少年はいつもと違う出来事に少年らしく目を輝かせて注意を外へ向けてみればやけに騒がしかった。こんな安穏な村の騒ぎとすれば野獣か火事かあたりかな、当番の村人が事の次第を急いで伝え回っているのかなと少年は想像を膨らませる。

 ドンドンとドアが壊れるほどに叩かれ「クリフト!」と焦った声音で父親の名前が呼ばれた。ドアをゆっくりと開ける父親。こんな時間にも関わらず父親越しのに開かれた世界は煌々こうこうと明るい。

 やっぱり火事かな、もったいないなと伝令の村人と話す大人達を脇目に残った料理をかっくらう。元々量が少ないものだから一瞬で料理は無くなって満足そうに少年は足をぶらつかせる。改めて誰が今日の当番だったのかなと少年の注意はドアに戻った。

 逆光気味に照らされてドアを叩いた何者の顔が普通では見えない程で、すごい火事なんだろうと無邪気に嬉々とした顔で瞳に入る光量を絞ってみると隣に住むおじさんが立っていた。あからさまに焦るおじさんの様子におかしささえ覚えてしまう少年。あまりにも似合わない槍を抱えて村内を走り回ってきたのだろう。息も絶え絶えのおじさんは父親へ今発生しているイベントについて語っている。一層好奇心が募る。単なる火事なんて生やさしい出来事が起こっていないという事が聞こえてくる単語から汲み取れたから。

 ものの数分もかからずおじさんは要件を父親へ伝え終わり、挨拶も惜しみまた喧騒の中へ消えていく。夜空は闇という概念に意を唱え、より一層の噴煙が周囲を飲み込みながら外の世界は赤々と燃え村人立ちの悲鳴が響かせている。時折、ドーン・ゴーンと空から星が落ちてくる様な音も聞こえだし勢いが増しているのは明らかだった。


 嫌味ったらしいのは気が弱いのを隠している為。母親の中で想像し得れない事が起こった時は狼狽えてしまうのをクーリン達は知っていた。母親も息子同様不穏な単語を聞いていたのだろう。眉を寄せて心底怯えた表情を浮かべ父親を見る。実は聞き間違いで単なる酔っ払いがハメを外しているだけだとか、他愛無い事であれと思っているのかもしれない。だが、そんな事は無いという事を自身の片割れに突きつけられて、いつのまにか息子を庇う様にまわした母親の腕から活力が抜けていく。お粗末な幸いとしてはこの父親は寡黙かもくな人間であるものなので言葉は簡潔であり母親が力無くへたり込むのに要する時間が短縮されている位だった。


「魔王が暴れている」


 ペンダントを握りしめた父親。気持ちを落ち着かせる時に見せる癖。少年はおとぎ話でしか聞いた事が無い『魔王』という言葉にただただ無邪気に目を輝かせる。

 父親はため息を漏らしながらしゃがみ、息子の肩を掴み真剣な目でクーリンへ言い聞かせる様に言った。


「クーリン。母さんと洞窟へ行きなさい」


 少年は普段見せる事の無い父親の圧力におののいてはこくりと頷いて見せる。


「私は村長の所へ行かねばならない。母さんを頼むぞ」


 少年が頷こうとする前に父親はがっしりと二人を抱きしる。少年を介する形で崩れた母親に父親は一言二言告げた。少年からは何を言っていたのかまではわからないが母親はその言葉を聞いてようやく落ち着きを取り戻した。彼女は擦り切れて薄くなった生地の上から自身の肩を抱き、取り繕う様に気丈に振る舞おうと緩んだ口をキイと結ぶ。息子の前で崩れてしまったのを情けなく思っているのだろうか母親はクーリンを抱きしめた。父親は二人を惜しみながら離れて家を飛び出していった。 



——————



 父が去り母と息子で洞窟へ逃げていく。少年の世間知らずな興奮は一歩世界というものに踏み込んだ瞬間に砂の様に崩れ去ってしまった。

 所詮、おとぎ話は作り話。例え史実に沿っていたとしても伝えられていくうちに脚色が道端の石に乗る苔の如く張り付き、推敲という川を転がる石の如く研磨されていくのが常套であるのだから———

 おとぎ話の魔王は家を壊し、人をさらって、簡単に殺す。野盗の延長程度の描写でしか聞かされてこなかった。野盗自体貧乏なこの村にとっては縁も無く、大人達の世間話で聞きかじる程度の存在でしかないもので、10歳になったばかりのクーリンの妄想が現実とかけ離れていても仕方がないことだ。

 現実は違う。クーリンが飛び込んだのは逃げ場も無い無秩序に無慈悲な世界。

 一歩外へ出た瞬間、他もろとも押し潰される様な攻撃を受けた。瞬く間に業火が広がる。空というベッドから寝ぼけて堕ちた星々が寝起き悪くも暴れ回っているとしか思えないほどに灼熱しゃくねつが照りつける。空の柱が折れてしまったのでは無いかと、炎の玉が流星群の様に投げ込まれてドンドンゴウゴウと家をいで地をえぐる。地に落ちた星々は炎蛇えんじゃへと成り変わり、飢えきってしょうがないと周囲の何もかもを襲っていく。不運にも逃げ遅れた隣人達の絶叫や泣き声が陽炎かげろうの様に立ち昇る。隙間なんて無いのとおもえるほどの狂騒の最中で小さな隙すら許さぬと潜り込んだ笑い声が主張する様に響き渡る。現実の前では息絶える事こそが救いとすら感じ得てしまう。

 尻込みしてしまったクーリンは父親から受けた使命のみを糧にして母親と共に走っていった。森の洞窟。父親から何かあった時にはそこへ避難するよう示された場所。村人達も何故か気味悪いと滅多に訪れない暗く陰鬱いんうつな森の奥にある洞窟。道を教える為に初めて父親と行って以来これ幸いと半分クーリンと幼馴染の秘密基地になっていた。今日も幼馴染のアンナと訪れて遊んでいたばかりだ。

 洞窟の方角はあからさまに人が居ない程に暗く、村の外れのまた外れだったのが幸いしているのかまだまだ魔王なる者の魔の手は及んでおらず、いつも通りの静けさ携えたままの様に見えて、クーリンは母親を引っ張る力がついつい強めてしまう。普段は母親全とあるべきと強がっているが母親は元来体が弱く10歳になったばかりのクーリンにすら体力が及ばずクーリンに遅れをとっていく。

 まるで悪夢だ。クーリンは母親の重さを感じながら思う。むしろ悪夢だったら良いとさえ思う程に少年を取り巻く世界は変わりきっていた。家畜の匂いが朝にはあった、昼には草の息吹を感じた。今は炭と油の臭さに村は充満し炎が大蛇が踊り狂う。泣いて逃げたい思いを募らせながらクーリンは母を連れて駆ける。


 真後ろに炎の玉が落ちた。クーリンの髪がチリチリと焼けた。


 「痛いよ、母さん」

 

 瞬間、力強まる母親の腕。ついクーリンは叫んだ。口数が多い母親だから嫌味だろうと普段は返してくれるのだが、母親からの返答は無い。

 ある種の虚像が芽吹くクーリンの心。かき消す為には振り返るだけで良いのだが「それはダメだ」と心の声が必死に抵抗する。

 心の声に従ってクーリンは走る。せめて洞窟まではと全力で地獄の様な村を駆け抜けていく。先ほどと打って変わり母からの抵抗もなく、その意味はあからさまだが知りたくも無く、母親ありきの力配分で駆ける。無いモノを有ると力を加えればつんのめるのが現実であるものだからクーリンは炎の渦中で盛大に転けてしまった。

 泥だらけのクーリンの目の前に転げた拍子に飛び出た母親、いや母親だった肉片。これ一枚しかないと思えるほどに愛用してすり減った生地が大きな怪物が食い潰した際に残す様なぞんざいな歯形状に千切れて焦げていた。皮脂で磨き込まれた飴色のボタンが袖口に一つ周りの炎で悪戯に輝いている。母親のお気に入りの服だった布っキレに包まれて母親の腕だけが台車から落ちた麦束の様に道になんとも土に塗れてクーリンの前に落ちた。

 洞窟を目指していたクーリンの中で糸が切れる。立ち上がる事もできず地にうずくまり、まざまざと母親の果てを見せつけられ途方に虚な面持ち。これは悪夢に違いないという確信をクーリンを満たしていく。


――ファーハッハッハッ!

 伽藍堂がらんどうなクーリンにどこからか聞こえる大きな笑い声はよく響く。火の玉が落ちる、家が崩れる、蛇みたいな炎が踊る。


「ファーハッハッハ!楽しいか?楽しいよな小僧」

 

 鈍い紫色の体、背中に大きな黒い蝙蝠こうもりの翼、血が乾いた様な赤い髪から羊の様なツノが生え見るからに人間では無い者が尊大にいつのまにやらクーリンの前にのっしと立っていた。

 これが魔王である事に違いはないとクーリンはうつろだった瞳に本能がかき集めた生への執着を浮かべ仰ぎ見る。

 魔王らしきものは酔っ払いが道すがらに絡む様に高笑いを浮かべながらクーリンへ問いかけた。


「愉快な小僧よ。お前は我が同胞を知らんか?

 …………うむ、答えぬか。まーよい。推理するってのもまた楽しいからな。ファーハッハッハッハ!ではさらばだ!小僧」


 答える事もできないクーリンは怯えながらただ見るのみ。魔王は一際高く笑ってノッシノッシと歩いていく。クーリンは惨めに泣いた。うずくまって悔しくて泣いて、ただ目の前の肉塊は触る事も恐ろしい様で、ふらりと立ちあがり、とぼとぼと母親を残して洞窟へと向かった。


▲▲▲▲▲▲



 夕方ぶりの洞窟は魔王に気づかれていない様で何も変わらずの姿。村の方の狂騒は届いているが、届いているだけだった。

 地肌がもろだしのままの洞窟は伽藍堂で何もなく、少年達の落書きが無ければ野獣の住処にしか見えないほどだ。もしかしたらアンナもここにいるのでは無いかと思ったが誰もいない。少年はトボトボと洞窟の奥へと向かい、力が抜けた様に膝が折れる。

 少年の体重が乗った足がゴツゴツとした岩に当たり反射的に涙が浮かぶ。受け身を取った手のひらをみれば丁度昼間に描いた他愛もない落書きをつかんでいる。

 少年が好きなおとぎ話の1シーンに自身に見立てて描いた落書き。剣を持ったクーリンが魔王を倒す場面だった。あたかも描かれている自分自身が嘲笑っている様で気が狂いそうに少年は咽せて、震えて、猿叫じみた声で泣いた。蹲って泥だらけで嗚咽を繰り返し泣いた。泣きながらありったけの神様の名前を呼んでみても洞窟の外からは遠いがはっきりとした喧騒と高笑いがあふれたままだ。


「ハーハッハッハッ!同胞の気を感じて起きてみれば

 ……なんじゃお前、泣いておるのか? 」


 伽藍堂な洞窟に高笑いが響く。外からではなく中から幼く甲高い声が響いた。泣きながら少年は声の方に向いてみると何も無いはずの洞窟の壁の一角に見るからに頑丈な格子が嵌められた牢屋が現れている。

 声の主は突如現れた牢屋の中に居た。見るからに少年よりだいぶ小さい5・6歳位の少女が偉そうに座っていた。アグラを組み、居丈高に腕を組んだ少女は寝起きの様にうねる緑色の髪を自身の身長以上に伸びていて少女が表情を変えただけで箒の様に床を蛇の様に畝っていた。

 

「 …………なんだよ、これ 」

「 これ呼ばわりとは失敬だな。まぁ良い、久々じゃからな。

 我こそは明星のサ!ル!マ!ドーレ!魔王じゃ!! 」


 ひとしきり少女の口上が響き終わる。洞窟は沈黙に包まれた。

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