二章②
翌日、担当交代の時間が来たため雪那の側から離れたわたしは、次の仕事に向かう前に手近な一室に入る。しっかり
「蛍火」
小さく呼びかけると、ほどなくして鏡が
蛍火との三日に一度の定期
「わたしにとっての蛍火みたいに、一人でも心強い味方がいてくれたらと思って、昨日少し瑠黎と話した」
『おや、私のことを心強いと思ってくださっていたとは』
「心の底から思っていたわよ」
わたしも微笑んでしれっと言ってやると、蛍火は『それは、光栄です』と一礼した。その声が
『瑠黎が私のように側にいれば、安心して離れられますか』
「大分安心するわ。でも、雪那の
笑顔を消し、わたしは考え込む。もっと
もしもこの国と恒月国の国交が回復して、雪那が紫苑と会う機会ができたら……。
『紫苑様ですか』
心を
『
「うん。……まあ、国としても今の国交断絶状態を解消したいみたいだから、」
何かあったのだろうか……?
蛍火に目で合図してから外の様子を
王宮の
「ごめん蛍火! また後で」
小走りの女官の後を追うと、雪那の私室の
室内を見回すと、人が集まっている部屋の
「何かあったのですか」
声をかけると、瑠黎と、彼と
「陛下の毒味役が死にました」
瑠黎が小声で教えてくれたことに、頭を
「雪──陛下の耳には」
「まだ入っていません」
毒味はこの部屋でされ、別室にいる雪那の
すかさず、わたしは瑠黎に真剣な
「それなら耳に入れないようにして」
「それは」
瑠黎はわずかに
「彼が知る必要のないことだと思っているわけじゃない。今、悪いことを耳に入れるのを
せっかく一歩ずつ前に進めるようになったのに、もう二度と立ち上がれなくなってしまうかもしれない。恐怖は、容易に他の感情を飲み込んでしまう。
「……分かりました。私が可能な
受け入れてくれた瑠黎に、わたしはほっとして、ありがとうとお礼を言った。
雪那の様子を見に行きたいのは山々だったが、当番が終わったわたしが顔を出せば、雪那が不審に思うかもしれない。
毒味役が食べた料理を聞き、机の上にあるそれを注意深く見てみたが、見た目にはさすがに毒が入っているようには見えなかった。ただ、
「ちょっと聞いていい?」
次に、部屋から出たばかりの廊下で、室内を
「料理が
「は、はい」
容藍は声を上ずらせ、わたしが出て来たばかりの部屋にちらりと目を向けた。
「誰か、料理に
「ここにいたのは知っている者ばかりです! 誰かが毒を入れたなんてこと……」
容藍は青ざめた顔で、
「本当に知っている人だけだったのね? ここで見たことのない人はいなかった?」
「それは……」
「いなかった、と思いますが、……私達も気をつけて見ていたわけではありません」
口ごもった容藍の代わりに答えるように、珠香が言った。しっかりした印象の女官だが、彼女の顔も青ざめて声が
「後で何か思い出したことがあったら教えて」
誰か一人でも何か見ていないかと
結局何も分からず、
──どうして、雪那の命を
弟をどこかの部屋に隠してしまいたい感情に駆られる。けれど彼は王だから、そうするわけにはいかない。いや、そもそも王でなければ命を狙われることなんてなかったのに!
一度王に選ばれてしまえば、王になる道しかないから、と見ないふりをしていた感情が
『花鈴様』
蛍火の落ち着いた声がして、乱れていた思考から、意識が引き戻される。どこから声が、と
「
蛍火に心配させないように、焦りを胸の奥に押し込んで表情を取り
『……西燕国王の毒味役が死んだようですね』
どうやら瑠黎との話をしっかりと聞かれてしまっていたらしい。わたしは取り繕うのを
「誰があんなことを……」
気持ちを
雪那を殺す理由のある人間──雪那を良く思っていない人間の
ただの
『まさかとは思いますが、ご自分で調べようなどとお考えではありませんね?』
考えを固めたところで言い当てられて、思わずびくりとする。
「そのまさかだとしたら?」
『やめてください』
蛍火が厳しい表情で即座に言うので、わたしは「どうして?」と首を
『王の暗殺
蛍火の
「蛍火、今のこの王宮の状態でどれほど彼らが信用できると思う? 実際、毒味役が死んだ現場で彼らはその場にいた者に何も
調査しようという気が感じられなかった。
「これから万が一調査に動いたとしても、首謀者が地位のある人間である可能性を考えれば、
蛍火は頭痛でも
『それで、具体的にどうなさるおつもりですか?』
「そうね……まずは毒の入手経路から
怪しい動きをしていた人物の目撃証言があればいいが、先ほどの
「動機があるとすれば、雪那を王と認めていない憲征
彼らと親しい貴族が、まだ首都に
「病欠で首都に来ていない者が四人いるから、念のため彼らが本当に病気なのか調べておきたいけど……」
王宮内だけならまだしも首都外までとなると馬を使ったとしても時間がかかりすぎる。かといって
『では、そちらを花鈴様がしてください。王宮内の調査は私がします』
「え? どうして蛍火がするの?」
頭を
『毒殺が
「危険な場を蛍火にうろうろさせる方がよくないわよ。大体、わたしが
『私は、万が一にでもあなたを死なせたくありません』
強い口調で言われた。黒い目に浮かぶ感情はわたしの発言への少しの怒りと、それから。
思わず、言葉もなく鏡の向こうを見つめると、蛍火はばつの悪そうな顔で目を
死なせたくない──わたしは一度死んでいる。かつて蛍火と長く時を過ごした『睡蓮』は死んだ。
前世の死に際に見た蛍火の表情を思い出した。蛍火はいつも冷静で、千年間、動じた様子を見たことがなかった。そのときも彼には自覚がなかったのかもしれない。わたしだけが見た表情。あのとき、蛍火は泣きそうで、今にもくずおれそうな表情をしていた。手を
蛍火はあのときと同じ目をしていた。
「蛍火」と呼ぶと、目を逸らしていた彼がこちらに向き直る。わたしは、蛍火を安心させるために
「わたしは、雪那を死なせたくない」
先ほどまで胸の中で
王になる弟のために力を
「狙われているのはわたしじゃなく、雪那よ。それにわたしが王宮でしたいことは調査だけじゃない。蛍火、あなたは三年、わたしにここで力を尽くす権利をくれたんでしょ?」
蛍火はますます
『何が狙われているのは自分ではない、ですか。どうせ、自分の命が狙われていたとしても決めたことは
蛍火がため息をついた。さすが蛍火、よく分かっている。
「蛍火も、結局理解して許してくれるでしょ?」
蛍火がじろりと
「ということで、わたし一人で大丈夫だから」
改めて宣言した、のだが。
『
「馬鹿って何よ」
反射的に一言文句を言うが、蛍火は
『私の心配と花鈴様が一人で調査を行うことはまた話が別です。なぜ一人で調査する前提なのです?』
理解に苦しむ、といった風に蛍火は言う。
「失礼ね。蛍火に頼むわけにはいかないわ。蛍火は内界をまとめる神子長だし、神子にしてもらった時点で十分協力してもらった。それ以上は頼みすぎよ」
『頼みすぎかどうかは私が決めることです。そして私はそうだとは思いません。花鈴様、困ったことがあるのならもっと
「でも……」
わたしは
『首都外も
確かに雪那の
「……蛍火、首都外にいる貴族の調査をお願いしてもいい?」
蛍火は満足そうに微笑み、鏡の向こうで一礼する。
『
するべきことは決まった。わたしは表情を引き
「雪那の命が狙われている以上、事は一刻を争うわ。雪那の即位を
『即位式まで、あと一月を切っていますから、それほど時間はありませんね。……そろそろ即位式に向けて他国の使者がやってくる
「そうね」
いくつか今後のことを取り決めて、蛍火との通信を切った。
まずは王宮内で調査できる時間を作るために瑠黎の協力を取りつけよう。一刻も早く雪那のために解決を、と気合を入れる。
けれどそれから七日
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