四十九日を終えるまで
朝川渉
第1話
父さんの四十九日を終えるまでわたしは、母さんがどんな風にこの騒ぎに落とし所を見つけるのかをずっと心配していたのだ。とは言っても社会人になってから、毎回帰郷するたびに母から聞かされるのは父の悪口だったりして、それも取り立てて大きなごたごたや病気を起こしているわけじゃない、みかんの白いところを剥いて食べるのはいいが、それを毎回人にも口を出すときの声がいやだ、とか、トイレを別にしたのだからゆくゆくは食事も別にしたい、けれど父を教育したいとは思わないから天使のような人が現れてほしい、だとかそういう叶いもしないような殆どわめきのようなとので、わたしや妹はうん、うんと頷くくらいで聞いているのが常だった。しかし、何だかんだと言ってはいても夫婦というのは切り離せないもので、だから、いくら子どもから見たことでもそれは一連托生と言ってしまえるというか、母がいて父があるのであり、父がいて母がいるのであり、そのことを分かってないように見える当人達の振る舞いが他人から見ると可笑しいのであって、だから結局毎日、毎日当たり前のことのように母は父親の食事の支度をしていた。洗濯物も、家事も、「ちょっとほうじ茶が飲みたい」みたいなこともそうだった。
父が居なくなっても母はいつも通りでいて、数十年のうちにそれほど流行りではなくなってしまった間取りの台所の真ん中に立ち、「さあ、」と言ったかと思うと、「もう、わたし料理やめるわ」と言った。
「はあ?」とわたしが応えると「ああ、せいせいした。わたしもう、死ぬまで料理つくんない。この時を待っていたの。しばらく、わたし旅にでる。」母は、昔っからこういう喋り方で、変わるときといえば妹の夫の前くらいである。肩書きや相手の声の大きさなんかも気にしない母だったけれど、なぜか教師というだけで態度を変えるのである。トラウマでもあるのだろうか。
「じゃあ、何食べるの」わたしは聞いてみる。
「ふふふ。」
「なに、笑ってんの」
「自分の作ったものじゃないもの」
わたしが、母の顔を見た。母は、父が死んだあのお葬式のなか、あの等身大の木の箱に入れられた父の精巧なまま形に手を触れた筈なのに、今はもうまるで女子学生のように笑っているのである。
「例えば…コンビニのパン。駅弁。あと、喫茶店のカレーライス。コーヒーに生クリーム入れたやつとか、スパゲティのナポリタンだけとかあと、フランス料理とか、安そうなベトナムのデザートとか、いや、いや、そういうんじゃなくって、当たり前じゃない味。
…代利子、あんたが作ってくれてもいいのよ。」
「え。わたし、そうめんしか茹でれないよ」
「いいな。それでも。とにかく、なんでもいい。」
わたしはそれを聞いて、母が遠い目をして、大して価値のない絵の入った額縁を見つめているのを見て、ああ、そんなにストレスを溜めていたのか…と思った。わたしとしても、当たり前に台所に立ち、子供達になにかを食わせるという母親をまるで影のように記憶していて、その時は本当に母がそうしたいからそうしているんだと思っていたのだ。
母はそれからバックパッカーではないが、国内旅行者になった。こつこつと時間を潰すようにレジ打ちや掃除のパートに出ていた母は、自らの貯金と、父の残した貯金と家を資産として悠々自適に過ごしているように見えた。
「どこへ行ってきたの?」
母にたまに会うたびにそう聞くと、母はぽつぽつと地名を言う。どうやら、はじめは県内の有名な観光スポットへ友達と一泊や二泊で旅しているみたいだった。それから、夏の間にいきなり韓国へ行ったかと思うと、それ以後は一人で旅するようになったのである。自信が付いたのかもしれない。あるいは、友人と共に過ごすのがかったるくなったのかもしれない。
それから、三年後の春に母と海外へ行く事になった。「お姉ちゃん、よくやるね」と妹から後ろ指をさされ、たしかに、彼氏がいるのにたった一人でフランスへ行くようなあなたと、わたしとはちがうのよと思いながら、もう旅行は手慣れた母は、簡素な荷造りの仕方をわたしにメモして手渡してくれ、空港ではカーディガンやスリッパまで貸してくれた。わたしはというと、フライト中に生理になってしまい、母が持っていたナプキンを貸してもらったりなど完全なる旅行初心者という立ち位置が刻み付けられてしまった。
オーストラリアへ着いて、母の調べた通りのレストラン、屋台のある市場、ビーチへと乗り物を駆使して渡り歩いた。屋台で出てくるものの多くはご飯の上にタレのついた肉塊が乗っけられているものだったり、スープやソースで似たたんぱく質みたいなものが多くて、これは浅黒い肌をした現地の人が渡してくれた。色々なカクテルやカンガルーの肉なんかも、レストランで食べた。薄暗い場所で、白いクラスのかけられたテーブルの上でナイフとフォークを使う母は意外なほどまだ若く、給仕に話し掛けられた時にはきちんと会話をしていて、わたしにはそれが英語なのか日本語なのかさえ分からなかった。
「おいしい?」わたしは聞いてみる。
「うん」母は、もくもくと食べている。
レストランを出て歩く。夜なのにまだ賑やかで、ビーチもそばにあるせいか波の音なのか風の音なのか、人々の話し声なのかわからない音が常に聞こえていた。母の頭の中にまだ、父が死んだことや、あの葬式の記憶があるのだろうか、とわたしは不意に思い、そのことを聞いてみようかと思うけれど、真剣に歩いている顔を見ると考えていない訳はないという気がしてきた。わたしはこの人の子どもで、そばで歩きながらこうやっていつもこの人の気分を探って来たんだなあと思う。小学生に上がる頃、あの時わたしは自分のお母さんが世界中の中で一番良いお母さんだと思っていた。それは死んだとしても変わることの無い絶対的なものだと、わたしはたしか小学生時のある晩に、布団に入ったままで何故か強烈に思ったのだ。あの時の、一途さというのはいったいなんだったのだろうか。お母さんがいない事はわたしが死ぬ時と同じくらいの重みを持って世界に横たわっていた。いまはどうだろう。わたしは母親にすぐ反論するわ、一ヶ月くらいは平気で連絡はしないわ、妹と会えばこの夫婦についての悪口、愚痴で盛り上がるわで、正義もへったくれもない。母はわたしと同列の女という生き物に成り代わり、そのことを多分母も知っていて、いま、わたしは、母が辿った道をそこから大分遅れながら同じように辿っていっている。ああ、そうだ、多分母は何もかも分かっているのだ。わたしがそのことを知ろうとしないだけなのだ。
「ねえ、コーヒー飲もう」
「今から?」
母の申し出で、あるバーへ入る。そこで、二人ともコーヒーを注文する。
「……」旅行は来るのが嫌だったのは、こんな風に母を向かい合わせにして無言になるのに耐えられるか不安だったからなのである。ゴトリ、と音がして、母とのあいだにコーヒーが置かれていく。
母はすぐにそれを手に持ち、一口だけコーヒーを口にふくむ。
「ああ、おいしい」母が言い、私を見てわらう。
「本当に、美味しそうに食べるね。お母さん、そんなに食欲のある人だったっけ」
「どうだったかなぁ」
「夢かなった?」
「は?」
「だから、夢。お父さんが亡くなってから、お母さん料理つくんないって言ってたでしょう。」
ああ!はっはっは!あれって、夢なの?と言って、母が笑い、それから「でも、ひとの作ってくれたものって本当に美味しい。あなたはまだ結婚して人のために料理するってことをしないからわからないだろうけど、本当に、食べる事は感謝よね。」
「感謝?」
「そう。こうやって、コーヒーカップが綺麗な状態であるのも、ナプキンがきちんと折りたたまれているのも、たくさんのメニューがあるのもそう。わたし、お父さんが死んでから、コンビニによくいくようになったんだけど、あそこってすごく楽しいのね。どうしてあんなにたくさんのものがあるの?毎週、新しいものがあるし、わたし、どうして今までコンビニへ来ようと思わなかったんだろうと思った。」
ふうん、とわたし言い、確かに、小さい頃はあまりコンビニに連れていってもらった記憶がない。コンビニどころか、レストラン、遊園地、デパートなんかにもそれ程行かなかった。
「けど、コンビニで楽しそうな人ってあまりいないよね」
「場所によるわよ」
「そうかな…」わたしはコンビニへ行くことをパッケージされたパンになる事のように感じてしまう。
「で、こうやってレストランのアルバイトの人が、ドアの向こうから入って来る人をどんな人だか想像しながら、ひとつひとつやってくれたんだなあと思うと…お父さんなんて何にもやってくれなかったからね」
わたしも、つい笑ってしまう。父は働いていたけど、そのことに対する感謝を誰も口にしない。
「まあ、浮気もせずに給料稼いで来てくれていたけど、でも、やっぱりさあ、そういうことじゃないのよ」
「そうそう」
「なに、あんたもそう思うの?」
わたしは、矛先がこちらの方に向きそうになったことにギクリとした。「うんまあ…」
「まあねえ。でも、あなた、いないの?いい人とか」
「うううん…
もう、全然料理作ってないの?」
「作ってるわよ」
「え、そうなの?」
「たまにね」
「ふうん」
「たまによ。お父さんがいた頃とは比べものになんない。お皿とかも、たまに一日洗わなかったりして、わたしびっくりしたわ。人って変わるんだわと思って」
「ふうん。わたしは丸一日ごはん作らないことも結構あるからなあ」
「そうでしょうよ」
母が得意げに答える。母が集めていた食器、それから従兄弟が来るとよく作ってくれていたオムライス、ピーマンの肉詰め…わたしはそれを未だに思い出すし、妹とたまに会うとその時の話をすることもある。プラスチックの歯磨きのコップとか、洗面所のちゃっちい何処にでもある壁の模様、だとか、流行っていたアニメのマスク、どうでもいいことばかりが記憶に染み付いていて、そういう、幼児期の記憶というのがこんなにも自分を今作ってしまっていて、その事を話せる人がいて、多分良かったと思う。けど私たちは母を心配していたのだ。それは母というものが分からなかったからかもしれない。
たぶん母が、こんな風に家庭から逃避行して自分の思い出を作っている間わたしはひとりでいるとなんとなく、それら家庭をかたちづくるもの、父を取り囲むものが母に対する重荷としてあったのだろうか、と考えるようになった。例えば、運動会の弁当も残して、友達と遊びに行っていたことを思い出す。それから、妹とわたしの食べたいものの意見が合わず、母がそのどちらでもないものを作った夕飯を前にして大喧嘩をしていた時、その時の母の顔をわたしは覚えていないのだ。
今日、ここへ向かうまでのひとつひとつを、レストランのお皿があったかい状態で出てきたことなんかを母が喜んでいて、母はこんなにこまかなことを感謝したり喜んだりするのは、もしかするとひとつのトラウマなのかもしれなかった。それからわたしは結婚というものに対してひとつ範囲が狭まったような影を落とされたような母によってそうされているようなそんな感じがするのだった。母親というのはそういうもので、やはり近くにいすぎると鬱陶しくなる、うちの場合それは大体わたし、妹、母の順番であった。
母はそんな風にしてしばらく海外の料理についての意見を述べたが、だいたいそれは美味しく、最初はマナーに戸惑ったり黄色人種に対する差別を感じることはあるけど、自分のように単に経験したいだけで来ている年寄りからすればなんて事のない視線だということだった。わたしはこういう母がわりと好きだと思った。部屋に戻って、私たちは帰り支度をしていた。つぎの日のフライトで日本へと戻る事になっている。
わたしはホテルの部屋でこっそり、持ってきたお味噌汁をお湯で溶いて、母がシャワーに行っている間に呑んでいた。シャワーから出てきた母は、それを飲んでいるわたしを見て、はじめびっくりするかと思ったが「あんたは正しい。」というのだった。そして「わたしにもちょうだい」と言うので、わたしは、持参した紙コップに練り味噌を入れ、備え付けのチープな湯沸しポットで沸かしたお湯を注ぎ、母に手渡す。母はそれの匂いを嗅ぎ、わたしは何か「意味、ないじゃん」と言いそうになった。母は「おいしー」と言い、それを、テレビに流れているニュースを見ながらベッドに腰掛け飲んでいて、わたしは五日にわたるこの小旅行と、食べたもの、それから父の死んだこと、自分がまだ結婚出来ていないことなどを考えていた。あんたは正しい。わたしは母の言う事を思い出し、母の指針が結局みそ汁に落ち着いたことを口にしなければならないような気がしていた。
母が、テレビを見たままで、ぼそぼそと喋り出す。わたしもときどき、なにがしたいのか分からなくなる。(は?)わたしも、何か色々な事がしたくて旅したり、いろんなものを食べてみたりしている。とにかくわたしは、以前よりも食欲はすごい湧くようになった。食欲、というものがどういうものなのか知っている?それは個人的である事に似てる。だから家を出ると食欲がわくってことに気づいた。…あんたは常にもともとが個人だから、食べたいものを食べていればいいの。格好つけてマナーを身につけたり、気取ったもの一口食べるみたいのよりよっぽどいい。母はそういって、ビールを飲もうとして栓を開けた後、一口も飲まないですーすー眠ってしまった。
次の日、わたしが目覚める頃にもう母は起きて支度をしている所だった。あわただしく部屋での朝ごはんを済ませ、空港へとタクシーで向かう。タクシーの運転手とも、ホテルの受付嬢とも、誰にでも気軽に話し掛ける母。それは日本にいる時とさほど変わりない母の姿だった。帰国するまでのフライトを待っている間、警察のビークル犬が私たちの周りを胸を張って通り過ぎて行くので、わたしも母もかわいいと言って笑った。わたしは、幾度目かの列に並び、国民性当てクイズを作れそうだと、白人のあたまを見ながら思った。
ふと、「そういえばどうして、友達とは行かなくなったの?」と聞いてみた。母が言うには、むかしクラスメイトだった人たちと、はじめはそれはそれは楽しい旅行をしていたそうだ。家族のことを話したり、お土産を買い込んだり、焼き肉を食べてみたり。一泊、二泊、それから日帰りで、ガイドブックに載っているような場所を廻る。けど、一度自分達が寝ている間にフロントに電話を掛けているその中の一人を見ていて、その大声に一晩眠れなくなる経験をしてから、もう女友達と出掛けるのが嫌になった、という。ああそうだよねえ、女同士っていやになる時が来るよね。と言って、ふと、わたしは母から見てわたしは女なのだろうかと思った。
飛行中、座席では映画を流していて、母は行きも帰りもそれを見ていた。
もしかすると、日本中の夫を亡くした主婦が、こんな風にしてちょっとした旅行者になったりするんだろうか。皆ゆるめのパーマをかけたショートヘアで、夫のことを好きでも嫌いでもなく、体の一部のように少しくらいは馬鹿にして考えていて、けれどそういう嘘みたいだった至福の時間が終わると、それはほどけたまんまだったものを一気に束ねるような真剣さで、一様にまじめに人生を考え始める。その瞬間を思うとそれは、サバンナにいる動物の群れのような遠くにあるものに対して感じなければならない感情のように思った。わたしは、つい最近仕事で無理をして精神科へ行った時もそう感じたことがあった。その扉を開けると、会ったことのないような人が沢山いて、しかもそこは箱庭や、記号や、当たり前なんかなく、全く私たちと同じ言葉で会話している。待つこともなく当たり前に皆訪れるようなものに対してわたしはなぜいつも自分とまったく無関係だと感じて来たのだろうか。
それから父が死んだから母の食べたであろう食べ物のことを思ったが、どうしてかそれは皆簡素な、すぐに思い浮かぶようなものばかりだった。中華そば、ラーメン、山崎のランチパック、ピザトースト、それは多分、昔自分の帰ってきたときに母がつまんでいたものだったに違いない。けど旅行に出て見た母はそんな人ではなく、ワイングラスを挟んで向こうにちょこんと座っている母を見るとわたしは不思議なことに「こういうものも食べたかったんだな、母は」と思ったのである。
帰国して以後、わたしはすっかりそのことを忘れて仕事に忙しく過ごしていた。数ヶ月が経ち、数年が経った今も、父の不在から受けるようなダメージはほとんどなく、そういう意味で家族全員、ともかく精神的には自立しており、そこらへんからもわたしはやっと家庭を「まあまあだった」と思うことができるようになった気がする。不思議なものである。父が生きている間、確かにわたしはその大部分を鬱陶しく感じていたのだ。妹も、会えば同じような事を言う。父は、とてもありがたい親では無かったけれど、会っていない間に心配して連絡をよこすような事をしない人であった。わたしはその恩恵を充分に受けた気がする。云々。わたしは妹が家に滅多に戻らないで職も男も定住すると言う事を考えない人格であることを知っていたので笑ってしまいそうになったが、けどほとんど同意したくなった。何も言わない人がそこにいることが良いってこともあるのだ。多分それは私たちが女だからそう思うのだろう。
わたしは一ヶ月に一度くらい母の家へ行く。旅行から帰って来てもう半年くらいになり、そのお土産の雑貨類は玄関先とトイレの窓の下に並べられている。わたしは、家に帰り、その台所を見て「あっ」と声をあげる。台所は今までずっと、薄いクリーム色に下が古臭いカビた木の板だったのが、黄色いキッチンとフローリングに変わっている。コンロもIHに変わっている…
「料理…するようになったの?」私が聞く。
「してない」母が応える。
「え?」
「でもこれから始めようと思って、いろいろ準備してるの」
母はそこのソファに座って、クリームパンとほうじ茶を飲んでいる。
「気付いたんだけど」
「うん」
「わたし、料理するのはそれ程嫌いじゃなかったみたい。」
「え?」
「あのね。わたし、あなたたちがわたしの作ったごはん食べている顔見るのが嫌いだったんだと思う。つくることは嫌いじゃないみたい。」
ええ…と言いながら、わたしは母親の口の軽さに呆れている。そんなわたしの顔を母がちらりと見て「うそうそ」とうそじゃないのに言う。「あなたも結婚すれば分かると思うけど、誰かのためにごはんを作ることってすごくかったるいことなのよね。すごくすご〜く、かったるい。そうやって毎日過ごしていると自分が食べたのか食べてないのか、忘れちゃうみたいね。わたしは父さんと結婚して、父さんとあなたがたの将来のことを考えてきて…何か、今思うとその幸福に溺れていたみたい。わたし、陸を見てないのよ。ずっと。ずっと、泳いでる最中だったんだ。でももう、父さん死んじゃったから、そういう母さんも死んじゃったんだなあって、思う。考えてみればその為の三年間だったのかもしれない」
「青春18切符のような…」 と言うと、母は
「な〜にいってんのよ。」と言う。
「でも。かったるいとか、言うから」
「ああ」ふふん、と母が笑い、「言葉のあやよ」という。「本気で捉えちゃあだめよ。なにもかも、そう、言っとくけどわたしは富士山、登りきって今降りているところだけど、あなたは未だ二合目くらいしか行ってないんだからね。さっさと結婚するか、自分が死ぬ時の理由くらい見つけて置かないと、あっという間に何も持ってない婆さんになるからね」
と、ずけずけと切り込んでくる。
わたしは母の口の悪さにくらくらとしながら、ぐんぐん母たる母に戻ってしまったこの期間をざっと思い出してみた。
そうか、なるほど。結局こんな風になることを母は望んで居たのかもしれない。なんてことはない、母はこの家や自分のつくるもの、食べることがもともと、好きで仕方がない人間の一人だったのだ。それは多分、父さんの次に。
母はパンをもぐもぐと食べてから立ち上がり、ゴミを捨てると「お茶飲む?」とわたしに聞く。わたしが「いらない」と言うと、じゃあわたし飲もーと言い、台所へと歩いていった。
こんな風にして、母の四十九日はやっと終わったのである。
四十九日を終えるまで 朝川渉 @watar_1210
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