Ⅲ.駆け巡る青春

 朝起きて窓を開くと曇天だった。貴子は何となく裏切られた気がした。そして、机に目をやると、昨夜の瓶がしっかり置いて有り、予定通りがっくりと肩を落とす。

 しかし、そんな事でメゲている場合では無い。彼女の高校は土曜日も午前中授業が有るのだ。気合を入れなおして昨日の課題やら教科書やら問題の化粧水の瓶やらを詰め込み、制服に着替えて一階の洗面所に降りて行く。そこにはだらだらと歯を磨く弟の姿が有った。


「ちょっと、まだぁ?」

「ん?まだだひょ……」


 貴子はのんびり土曜の朝を謳歌する弟のお尻を蹴り上げてやろうと言う衝動をぐっと堪えて両腕を組み、洗面台の鏡越しに無言のプレッシャーを与え続ける。


「ねぇ姉貴、昨日、台所でなんかごそごそやってたけど、何やってたの?」

「秘密じゃ!」

「ふ~ん……」


 弟は鏡越しにプレッシャーをかけ続ける貴子を見詰めながら、ゆっくりと振り向いてこう尋ねた。


「めちゃめちゃ光ってたけど」


 どうやら弟は昨夜の事をしっかり見ていたらしい、それを他人事の様に呟やかれる事に貴子はちょっとカチンと来る。


「あんた、見てたんなら助けなさいよ、大事な姉がピンチにおちいってるんだから、身を呈して助けるのは弟の義務だとは思わ無いのか?」


 そう言われた弟は顎に人差し指を当てながら天井に視線を向けて暫く考えた結果、なんの遠慮も無くきっぱりとこう言った。


「怖いからやだ」

「地獄へ落ちろ!」


 貴子は洗面所でへらへらしてる弟を無理矢理どかせて歯ブラシを取り、相変わらず無意味な微笑みを見せる弟を横目に見ながら歯を磨き始める。


「姉貴、もうすぐ時間だよ」

「分かってるわよ、あんたがのたくたしてるからじゃん」


 そう言って急いで歯を磨いて顔を洗い、朝食を食べ終わると、「行って来ま~す」の言葉を残して風の様に立ち去った。

 弟はしゃかしゃか歯を磨きながらしみじみと思う。高倍率の進学校に行かなくて良かったと。


★★★


 学校の校門から貴子は中の様子を、そーっと覗き込む。そして持ち物検査をしてない事を確認してから、おそるおそる校門を潜った。

 土曜日は午前中しか授業が無いので放課後どっかに遊びに行く為に色んな物を持ち込む生徒が多いから、検問してる可能性が結構高いのだ。

 しかし今日は生徒指導の先生の姿も見えないので、大丈夫と思い、小さく溜息をついてから門を潜った。

 その瞬間、背中をちょいちょいと叩かれて、貴子の心臓は一瞬どくんと大きく脈打つ。


「おっはよん、貴子ちゃ~ん」

「な、なんだ、則子か……」


 何時もより三割くらいにこにこパワーをアップした則子は貴子にこう切り出した。


「ね、上手く出来た?」

「え?うん、まぁ……ねぇ」

「流石貴子ちゃん、呪術師のDNAは脈々と受け継がれてたのね。素敵だわ、古代のロマンね」


 両手を組んで、きらきらの瞳をあらぬ方向に向けながら則子のにこにこは更に4割アップする。貴子は鞄の中をごそごそ引っ掻き回して化粧水の瓶を取り出すと、ぞんざいに則子に手渡した。この薬に関わってると不幸に成りそうな気がしたから出来るだけ早く則子に渡して解放されたいと思ったからだ。

 則子はその瓶を空にかざしてこう言った。


「ほ~薄いピンクで結構良い色なのね」

「薔薇の花弁はなびらの色だと思う」

「へ~~~~、薔薇かぁ」


 則子はそう言ってから自分の鞄に大事そうに入れると貴子にこう尋ねた。


「ねえ、この薬はどうやって使うの?」

「普通の香水と同じで、耳の後ろとか手首とかに塗って、意中の人の前を通り過ぎれば良いのよ、簡単でしょ?」

「うん、でもタイミングは難しそうね」

「え、なんで?」

「だって、何時何処で会えるか分んないじゃん」


 貴子は則子の言い分もなんと無く分かるような気がしたが、先ずは自分の手から胡散臭い薬が離れた事でホッとしたと言うのが本心だった。しかし、一応フォローしないと変に思われそうなので、取りあえず一言。


「ま、それで出会えなかったら、縁が無いって諦める事ね」


 則子は空を見上げながらちょっと悲しそうに呟いた。


「縁……かぁ、私達の赤い糸って、何処の誰に繋がってんだろうね」


 則子の言葉に貴子は少し考えてから彼女と同じような表情で空を見上げる。そのまま校庭をぶらぶらと横切って校舎の玄関に入ると、そこには幸がいた。


「あ、おはようございます、貴子さん」

「ん?ああ、おはよう」


 幸の挨拶に対して貴子は反射的にそう答えたが、そこに則子が割って入る。


「あら、幸君、あたしは?貴子にしか挨拶しないんだ」


 その突っ込みに幸の頬がぽっと紅らむ。


「あ、いや、し、失礼しました見田さん」

「ふ~ん、貴子は名前で、あたしは苗字か」


 幸の頬は更に紅みを増して、やり場の無い両手をもじもじとして見せてから、ぱっと思いついた様に後頭部をぽりぽりと掻きながら引き攣った笑顔を浮かべ、こう言いながらこそこそと二人の前から姿を消した。


「あ、そうそう、私は部室に用事が有るのでこれで失礼致します、では」


 言い終わるか終らないかの処で幸は脱兎の如く逃げ出した。その様子を指さしながら、貴子は『なによあれ』と則子に尋ねる。則子は駄目じゃこらって言う表情で「さぁ……きっと何処かの誰かさんが、物凄く鈍感だからじゃないの?」と呟いてから肩を小さく竦めて見せた。

 そして、靴を履き替えて貴子の前をぺたぺたと歩き出し、それを貴子が追い掛ける。


「鈍感?誰が?」


 その発言に則子は小さく溜息をついてから右手でおでこを押さえつつ貴子に聞こえない様に小さな声で呟く。


「これだけ露骨なのに、分からんってのは重症だね」

「ん?なんか言った?」

「んにゃ、あなたの将来が心配でさ……」


 貴子は則子の態度にちょっと腹立たしい物が有ったのだが、何も言わずに教室に向かって歩き出した。廊下から見える景色は、早朝の曇天は既に消え去り、青空が覘いて居た。今日は梅雨時には貴重な晴天になりそうだった。


★★★


「1時限目-自 習-」


 黒板にでかでかと書かれた文字を読みながら貴子は席に座り、頬杖をつきながら、ぼそっと一言呟いた。


「土曜の朝っぱらから態々学校に来てやってんのに、それは無かろうよ先生」


 と、思っているのは貴子だけの様で、教室はゆったりまったり状態。真面目に勉強してる生徒は皆無だった。

 幸に至っては教室にすらいないし則子も人知れず姿を消した。

 幸の行先は見当が付くが、則子は何処に行ったのだろうか?心の底に根拠の無い不安が過よぎる。

 しかし、昨夜の出来事で、あまり眠れなかったせいも有り急激な睡魔に襲われる。

 窓から差し込んで来る太陽の光の温かさに逆らう事が出来ず、貴子はぱたっと机に突っ伏した。そして、浅い眠りの狭間をゆらゆらと巡り始めた。


★★★


 自習時間も後半戦に突入した頃、窓際の席の一人が校庭を覗き込みながら、不思議そうにこう言った。


「なんだあれ?」


 その声にクラス中の生徒が窓際にわらわらと詰め掛け、一斉に校庭の騒ぎに視線を向ける。惰眠を貪っていた貴子も教室の異変に気付いてむくっと頭を上げて、アクビしながら皆の中に混じって行った。


「なぁ~に~?」


 半分寝ぼけ顔で人だかりになっている窓際の生徒達を無理矢理押しのけて校庭の様子を見た瞬間、貴子の眠気は一瞬で吹き飛んだ。 

 そこに見えたのは大集団の鬼ごっこ。鬼は則子、その後方をまるでゾンビと化した大集団が追い掛け回す。


「やりやがったな、則子!」


 そう呟いて貴子は教室から全力のダッシュで走り去り、それを窓際の生徒達が訳も分からず見送った。

 校庭に出た貴子は、みるみる膨らんで行くゾンビの集団を何とかしようとしたのだが、その手段が思いつかない。


「どうしたんです?貴子さん」


 突然背後から現れた幸は防毒マスク姿で貴子を見下ろしている。


「これはたぶん、何かの匂いに反応して、追っかけっこになってるみたいですねぇ」

「そこまで分かるんなら、何とかしなさいよ」


 貴子は幸にそう言ったが彼はちょっと首をかしげながら「なんの匂いか良く分からないので解毒剤作れませんねぇ」と、冷静にそうい言った。

 などと、不毛な会話をしている間に則子は二人がいる玄関目掛けて突進して来る。


「貴子助けて~~~!」


 涙目の則子がドップラー効果と共に校舎の中に逃げて行く。それと、ほぼ同時にゾンビの一団が駆け抜けて行く。鬼ごっこの集団は隈なく校舎を走り続けている様で、校舎のあちらこちらで悲鳴や怒号が飛び交った。そのお陰で、貴子と幸には、何処を走っているのか手に取る様に分かる。

 そして再び則子が玄関を飛び出し泣き声と共に校庭に戻って行った。間髪入れずにゾンビの集団もその後に続いて校庭向って一気に押しかける。その集団は更に膨れ上がり、どうやら校舎内の全員が追いかけっこに参加している様だった。事実、貴子のクラスメートの顔も見られたし、教師達はおろか売店のおばちゃんまで参加して、一大イベントになりつつある。その様子を貴子と幸は呆然と見送るしかなかった。

 事態は大きくなるばかりで一向に収まる気配が無い。その原因は、誰も脱落しないからだ。かなり高齢の校長なんかは全力で100メートルも走ったら動けなくなりそうな物なのに、先陣切って走っているし、結構ふくよかな生徒や教師も全く疲れている気配が無い。

 どうやら事態を傍観しているだけでは解決に結びつきそうには無かった。それに、こんな大騒ぎが何時間も続いたら、付近の住民が不審に思い警察沙汰にもなりそうだ。万事休すの極限状態で、貴子の脳裏にある言葉が一瞬輝いて消えた。

 その言葉に最期の期待を込めて校庭をぐるりと囲っている銀杏の木目掛けて走り出した。


「何処行くんですか貴子さん」


 貴子を追いかけて幸も走り出したのだが、30メートルくらい走ったところで力尽きた。防毒マスクなんて通気性が良くない物をつけて走れる訳が無い。そこを則子が駆け抜けたせいで、幸はゾンビの一団に揉みくちゃにされてボロ雑巾と化し校庭の片隅でその姿を晒す事になった。

 貴子は銀杏並木に辿り着き、あたりに人影が無い事を確認してから全身の力を込めて大きな声でこう叫んだ。


「爺~~~~!!」


 そう叫ぶと同時に、ぽんっと言う音と白い煙と共に、ちゃぶ台の前に座ってメザシでご飯食べてる昨夜の老人が現れる。


「ん?どうしたんじゃ急に」


 のんびりとご飯食べてる老人を見て貴子は今迄の経緯を早口で捲し立て散らす。だが、貴子の興奮とは反対に彼は他人事の様にゾンビの集団を目で追いかける。


「ほう、これは派手にやっとるのう」

「何とかしなさいよ、あんたが原因でこんな事になってるんだから」

「おや、昨夜、使い方と注意事項は伝えた筈じゃが」

「こんな効き方するなんて想像してなかったわよ、早くあれを何とかして!」


 貴子の声に老人はやれやれという感じで肩を竦めて見せる。そして、ちょっと嫌そうに杖を持ち徐に立ち上がると、地面に輝く円を描き、その中に複雑な模様の魔方陣を描き上げた。更に何かを念じると、魔方陣は眩く輝き初める。

 老人はそれを杖で器用に操り、則子目掛けて思い切り投げつける。すると魔方陣は則子目掛けて飛んで行き、後を追うゾンビの群れを突き抜けて、老人の元に帰って来た。それと同時に則子を追い掛けていたゾンビの群れは、ばたばたと倒れ込み、その気配に気が付いた則子は彼等を振り返り、ぺたんと座り込む。長い鬼ごっこはやっと終了し騒ぎはあっさりと収まった。


「ま、これで良かろう」


 老人の言葉を聞いて貴子もぺたんと座りこむ。それを見下ろす老人は、貴子にこう告げた。


「ふむ、いきなり呪術を使った薬を使う事は無理か」


 貴子は何か言いたそうな表情で老人を見上げたが、何も言えずに黙り込む。


「呪術の道理を理解せずに薬を乱用すると、こう言う事になると言う典型じゃ、儂も反省しておる」


 老人はその場に座り込むと、懐から短刀を取り出し自分の杖から棒を切り出して、器用にそれを加工する。そして出来上がったのが30センチくらいの杖。そしてそれを貴子に渡す。


「良いか貴子、これはお前さんの運命の杖じゃ」

「運命の杖?」

「そうじゃ、その杖は一生あんたを守ってくれるじゃろ。そして呪術を使うのに絶対必要な杖でも有る」


 貴子はその杖を繁々と眺めながら、老人の言葉に違和感を覚えた。


「ちょっと待て爺……」

「ん、なんじゃ?」

「私が呪術師になるって事?」

「そうじゃ」

 

 老人は貴子を見詰めながらにかっとわらって見せた。


「じょ、冗談じゃないわよ、なんで私が」


 貴子は老人に突っかかる勢いで抗議する。しかし老人はそれをさらっとかわして相変わらずにやにや嗤いを浮かべて貴子を見詰める。


「それが血の繋がりと言うもんじゃ。先祖の力を後世に伝えるのは子孫の務めとは思わんかね?」

「ま、詳細は今夜と言う事で此処は一旦解散じゃ、じゃぁな、バイビ~」


 そう言いながらすっと貴子の眼の前から姿を消した。


「卑怯もん、出て来い、爺!」


 貴子の声は校庭に空しく響く。則子は疲れ切って荒い息のまま、まだ立ち上がる事が出来ない。ゾンビの集団は、何が起こったのか全く分からないまま不思議そうな表情で三々五々解散して行く。

 そして、酸欠で倒れた幸は、誰かに介抱されている様だが、それが女の子だと言う事は分かったが、誰なのか貴子の位置からは確認出来なかった。

 そして時刻は午後1時を回って、その日は授業をする事無く、解散となった。帰り際に則子に化粧水の瓶を見せて貰ったら、中身の半分以上が使われていて、貴子は唖然とした視線を則子に向けた。


「だって、ホントに効くとは思わなかったんだもん……」


 そう呟いた則子の言葉に、貴子は曖昧な笑顔を浮かべるだけで、何も言い返す事が出来なかった。

 梅雨の青空は何処までも高く、何処までも青い。貴子は校庭に出て、その空を見上げ、改めて大きく溜息をついた。のたのたと帰宅する道すがら、心の中で人生って何と自問自答しながら。

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