第33話 秩父観光3
ライフジャケットを着て船に乗ると、俺の体重で船がぎっしと揺れる感じがあった。地面が揺れることなど日常茶飯事な俺は、特に驚きもせずそのまま腰を落ち着けるが、ギンコはやはり不慣れなのだろう。「あっ、わっ、とっ」とバランスを崩し、俺に飛び込む形で船に乗り込んだ。
「はっはっは! ご両人、仲がいいねぇ。キツネの嬢ちゃんは随分若く見えるが、実は同い年くらいとか?」
「俺とギンコが? ははは、まさかぁ! あでっ」
「見た目通りではない、と見抜いてもらえるのはありがたいのう。ひとまず、そのようなものだと思ってもらいたい」
「あー……なるほどな。こりゃ姐さん女房ってとこか。美人の嫁さん貰って羨ましいねぇ今日は楽しんでいきなよ!」
「聞いたかコメオ、嫁じゃと言っておったな! ふふ。存外我らは、外野からするとお似合いらしい!」
「まぁそう言うなよ」
「『そう言うなよ』って何じゃ『そう言うなよ』って。怒ってるときにとりなす言葉じゃろそれ。どういう使い方か」
眉根を寄せるギンコに、「まぁまぁ」とやんわり拒絶の構え。いや別にさ、良いんだよ普段なら。『よかったな』の一言で済ませて微妙にもやもやしているギンコを見て楽しむくらいの余裕はあるさ、いつもなら。
けど、と俺は認識範囲拡張アプリ『リアル視野角』で、捉えてしまったのだ。チセちゃんが同じ船に乗り込もうとしているのを。っていうか今乗ったのを。俺たちをガン見しているのを。
やべぇ。どうすんだこういうとき。祈りか。やはり何事も祈祷力なのか。
俺は日本人らしい雑居信仰なので、十字を切ってから両の手の平を合わせた。とても怪しそうな目でギンコに見つめられつつも、船は船頭さんの長い棒にて地面を突き放し出発。船は僅かに揺れ、そして川の勢いに押されて、ゆっくり下流へと向かい始める。
「では、船から落ちるのだけは注意してくださいねー」
船頭さんの呼びかけに返事をすると、「お?」とギンコは首を傾げた。それから、小声で俺の耳元に話しかけてくる。
「コメオ、迷宮の入り口じゃが……」
「ああ、荒川入り口は二つあるんだよ。ライン下りは確かに荒川中腹の入り口の一つ、蛙岩の大蛙に近づくんだが、実際に突入してくれるのはライン下りとは完全の別の料金プランなんだ。んでそれが高い」
「ああ、金の問題か」
「そうだ。いつもの通り金の問題だ」
何せ船頭さん自身も、一時的にダンジョンに突入する危険を冒すことになるからな。
ここのは死にダンという訳ではないから生還は難しくないが、そもそも一般人にとっての死は、普通に死ぬほど辛いものと認識されているものだ。そのため、死のリスクが僅かなりともあるダンジョンに、好んで入る者などいない。
だから、そういう場所に好んで入ってしまうRDAプレイヤーというのは、やはりちょっと異常なのだ。知ってたけどな。だから鑑賞に耐えうるのだし。俺たち『天才(いじょうしゃ)』は、普通の人間からすれば動物園の動物だ。
最近は本当にRDAプレイヤー以外入らないっていうもんなぁ。ダンジョン採掘なんてのが流行ってた時代は探索者なんて職業もあったらしいが、効率化を推し進められた果てはよく分からん形のロボットが一体で入って行くのみになった。
あのロボット不気味で怖いんだよな。というのは別の話だ。人間の下半身までつくって、上半身省いて頭載せたみたいなフォルムしてる。んで超強いの。サイクロプスくらいなら完封する。ボスプス相手は流石に逃げてたけど。
俺は逸れる思考を戻し、ギンコへの説明を〆る。
「だから、俺が今日入るのは荒川のさらに下流くらいにある徒歩で行ける奴」
「ふむ、そういう感じか……。なるほど、理解した。ならば状況によっては、かき氷を食べてから」
「ここから川の勢いが増しますよー!」
船頭さんの宣言通り、船が川の勢いを受けてグラと揺れた。「おわ」とギンコは事あるごとに俺の方に飛び込んでくる。「流石にわざとらしいぞ」と頭の狐耳をくすぐると、「ふにゅっ? わ、悪かったコメオ。だから、そこをいじるのは人前では……!」と赤面でもだえる。
「ってか橋の下くぐってたの気づかなかったな。もっとちゃんと周りの景色楽しも」
「あ、あのー……コメオ? そろそろ開放してくれてもいいのでは……」
「え? あ、ごめん完全に忘れてた」
「この僅かな時間と距離感でか」
ほぼ抱き着くような体勢から向けられる冷めた瞳たまんねぇな。背筋が冷えるわ。ごめんって許して。
ギンコを押し戻しつつ、俺は周囲の景色に目をやる。そうだ。チセちゃんの謎っぷりに意識が逸れ気味だが、本当なら景色とかを全力で楽しみに来たんだ。わーきゃー言いながらライン下りする予定だったんだ。それに集中しよう。
「……コメオさん……」
いや無理だわ。聞こえちゃったもん呼ばれるの。静かに名前呟かれるの聞いちゃったもん。どういう感情で呼ばれたんだ。わっかんねぇこっええ。景色に集中は厳しいぞこれ。
通り過ぎる青々とした自然も、特徴のある壁も、蛙っぽい形をした岩も、俺の記憶に残るまでもなく川の流れの中に消えていく。また今度来た時ギンコに言われんのかなぁ、などと考え―――
ん? 蛙の岩?
「……船頭さん」
「うん? 何だい狐ちゃんの旦那さん」
「旦那ではないんだがそれは良いとして……蛙岩だけどさ、この距離マズくないか?」
「んん? 何がまずいんだ? 今日はダンジョンの入り口は開いてないだろ?」
船頭さんの返答に、俺は「あちゃー」と顔を覆い、ギンコは肩を跳ねさせた。他の客も、ちょっとざわざわし始める。
「……え、今日開いてんのか? だって今日は開いてないって聞いたぞ?」
「誰から聞いたか知らんけど、今日は開いてるぞ。RDA.com見ての情報だから確実だ。近づくと蛙岩から大蛙が顕現して、一人以上飲まれる。で、ここから交渉」
俺は船の上に立ちあがり、提案する。
「飲まれるの俺でいいか? 俺RDAプレイヤーだから飲まれても気にしない。あとアレか、ライフジャケットも返しとくか」
「あーるでぃー、えー……プレイヤー……? よく分からんが、ダンジョン探索者ってことか?」
船頭さんの年を確認する。一回り上か。じゃあその世代だな。
「うん、その認識で問題ない。で、いいか?」
「お、おう。そりゃ助かるが……兄ちゃん丸腰じゃないか。大丈夫なのか?」
「丸腰? ああ、隠してるだけだ。最低限は備えてる」
何か変な気分だな、と思いながら、俺はライフジャケットを脱ぎつつ、蛙岩に向かった。岩はじんわりと薄膜を破って大蛙へと変貌しつつあった。ああ、この気持ちなんだろうかと思ったけど、アレだ。飛行機内で病人が出た時の医者ってこんな感じかなって奴だ。
「んじゃギンコ、あとよろしく」
「任せろ」
「船頭さん、揺らしちゃうから揺れ過ぎないように注意よろしく」
「お、おう。……何する気だ?」
「いや、普通にジャンプするだけ。―――んじゃ、スキルセット『跳躍』」
船の端に足をかけ、そして俺は水面数メートルの高さにまで跳躍した。「わー!」「ひゃー!」と大きな船の揺れに乗客の悲鳴が上がる。直後、大蛙はその姿を現し、一番近い俺と迷わず長い舌を伸ばした。
これに捕まると、そのままダンジョンに連れ込まれる。近すぎると数人まとめて巻き取られるが、俺の大ジャンプ加減的に、俺以外が巻き込まれることはないだろう。そのまま船は川を流れていき、終着点に至るだけだ。
そう、この瞬間までは思っていたのだ。
「コメオッ! 後ろ!」
「は? ―――チセちゃん!?」
「――――ッ!」
ギンコの叫びに背後を見ると、俺に迫るほどの高さに飛び上がっていたらしいチセちゃんが、必死な顔をしてそこに居た。まずい、と思うが、今更どうにもならない。大蛙の舌は俺もチセちゃんも同時に巻き取って引き寄せ、その大口の中に呑み込んだ。
そして俺は闇をくぐり、川の浅瀬で目を開けた。隣に、ずぶ濡れのチセちゃんが「ふぇえ……」と涙目で立ち上がろうとしている。ご丁寧にライフジャケットを脱いで。俺の真似をしたのだろうか。
「……なるほど、やってくれたな」
俺は立ち上がって、水浸しの服を適当に脱いで絞り、肩に掛ける。
「ひゃっ、こっ、コメオさん! そんな大胆な!」
「大胆な! じゃないっつーの。君も脱ぐんだぞチセちゃん。じゃなきゃ体温奪われて死ぬ」
「へっ?」
キョトンとした顔で彼女は俺を見上げた。そんな彼女に、俺はしゃがみ、視線を合わせ、至近距離で言った。
「君がストーカーしてるのはとっくに分かってる。この際いい機会だから、その謎の行動力と動機についてみっちり聞かせてもらうからな。ここから脱出するまでのルートは結構長い。歩きながらでも十分時間がある」
「あ、う……」
「ともかく、脱げ。夏場でもキツイぞ。それとも寒くてかじかんでる間にモンスターに襲われるのが好みか?」
「ぬっ、脱ぎます! ……けど、ブラジャーだけは許してもらっていいですか?」
「俺の許す許さないじゃないからなぁ。死にたくなさと乙女の恥じらいを天秤にかけて決めなよ」
乾くまでは背を向けとく。と言いつつ、俺はその辺の熱されてそうな大岩に、自分の服をバシャッと広げて置いた。それから最低限の武装こと、ソードブレイカー単品を抜き出し、軽く点検を始める。
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