時には昔の話を①

 10月のことを神無月とも言うが、大国主命オオクニヌシノミコトの元へ日本中から神が集うとされる出雲では、神在月と呼ぶ。

 カンナヅキを神無月と当てたから、人がそうと思い込んで出来た話であって、神に集まる義務はない。

 ところが、せっかくそういう話があるならと、この年は出雲大社に稲荷狐が集まっていた。


 盃を前にした子狐が、小さくなって首を垂れて座っていた。

『コンコ、氏子うじこが用意してくれた供え物だ。ありがたく頂きなさい』

 そう、子狐はコンコである。御神酒を勧めたのは、一緒に出雲へ来た知り合いの稲荷狐だ。

 恐る恐る酒を舐めると、コンコの顔がパァッと明るくなった。どんな気持ちも、美味しいものを口にすれば晴れやかになる。

 ニコニコしながら酒をてちてち舐めていると、天を仰ぐような大きさの白狐が睨みをきかせた。


 コンコはビクッ! と身体を強張らせて、更に小さく丸まった。偉い稲荷狐のお説教がはじまるのだ。

『まったく……お前はいつまで子狐でいるつもりじゃ。その身体では霊力が足りぬだろう』

 耳をペタリ、尻尾をくるりとさせたコンコは、怯えながらじりじりと後退あとずさりをしたが、いつの間にか偉い稲荷狐たちに取り囲まれてしまった。


『祠を失い、その霊力を刀に納めたそうじゃな』

『刀を授けた侍の家に転がり込んだと聞いたぞ』

『何故、祠を造らせぬ。氏子あっての稲荷神だ』

 偉い稲荷狐たちに責められて、丸まったコンコは益々小さくなった。小さな手で耳を塞ぎ、ギュッと目を閉じ小刻みに震えている。

 他の稲荷狐たちは、申し訳なく思いつつコンコの身を案じることしか出来ずにいた。


『本来ならば人の手など借りず、あやかし退治が出来るのだ。それをお前は……』

『迷いがあるから弱いのだ。男神か女神か、どちらでもない神か、恥ずかしがって決めぬからだ』

『人を頼りにするなど、情けない。お前には神としての自覚はあるのか』

 ギュッと縮こまったコンコの震えは、ブルブルと大きくなっていた。それは恐怖や畏怖から次第に変わり、今では違う感情が小さな身体を震わせていた。


 ついに説教に耐えきれなくなり、スクッと立ち上がるとさやが種を飛ばすような叫びを上げた。

「あぁもぉうるさいなぁ! 僕はリュウがいればいいんだ!」

 呆気にとられる稲荷狐たちにコンコはプイっと背を向けて、リュウと出会う前のことを思い出していた。


 *  *  *


 明治9年、早春。


 地面を激しく打つ雨が突然、自分のところだけ止んだ。

 ふと見上げると傘があった。傘の下で知らない男が心配そうに見つめているが、気の利いた礼も返事も表情さえも思いつかない。

 鬱屈とした気分は傘などでは止まず、地べたに座ったまま、ふいっと視線を逸らすことしか出来なかった。


「風邪をひくぞ、家まで送ろうか?」

 問いかけにだんまりを決め込んでいたが、そう長く続けるわけにもいかず、そばにあった小さな祠に手を掛けた。朽ちて傾き屋根は隙間だらけ、中は水浸しになっている。

「僕の家……」

 男は、何を言っているのかと眉をひそめた。

 まぁ、そうだろうなと思って、のろのろと立ち上がり尻尾を見せた。

「僕は、このお稲荷様。もうじき祠も崩れちゃうんだ」

 尻尾のような飾りがついた服を着ている、そう思っていたのだろう。不機嫌そうに尻尾をうねらせると、本物なのかと男は目を丸くした。


 男は目をしばしばさせてから、気に病むように話し掛けてきた。もう、放ってくれていいのに。

「私は、高島嘉右衛門という者だ。横浜に骨を埋める覚悟で商売をしてきた。だから横浜が荒れるのは忍びない。どうだ、新しい祠を建てようか」

 チラリと目をやって、この辺の人ではないなと思った。身なりもいいから、こんなうらぶれた町には、そう頻繁に来てくれないだろう。

 祠をもらっただけでは、意味がないんだ。


 パシャ、パシャ、パシャ、パシャ……。


 激しい雨音の隙間から、ぬかるんだ地面を蹴る音が近付いてきた。

 走ってきたのは、この近くに暮らす若侍だ。

 高島は、匕首あいくちのような鋭い目つきに戦慄した。


 彼も僕と同じ、時代に取り残された者。だからずっと気になって、彼の様子を観察したり、井戸端の噂話に耳を傾けていた。

 何でも、幕府が無くなって見捨てられた彰義隊に、死んだつもりで名前を捨てて加わって、大砲に吹き飛ばされて離脱して、この横浜に流れ着いたらしい。


 高島は彼の背中を見送って、しみじみと口を開いた。

「聞いた話だが、彼が提げている大小も近々禁制となるそうだ。魂を奪われてしまっては、武士の時代も、もう終わりだな」

 彼は魂の刀を失う侍、僕は祠を失う稲荷狐。

 こうも重なることがあるんだなぁ、まるで似た者同士じゃないか。何だか笑えてきて、死んだ目をしたまま口角が上がった。


「まさか、なまくらを提げるわけにはいくまい」

 それを聞いた僕はハッとして、寂しそうな顔をする高島を見上げた。

「なまくらだったら、刀を持てるの?」

 高島は、胡桃くるみのように見開かれた目に動揺していた。生気も血の気も取り戻した様子に、安堵しているようにも見える。


 興奮が抑えきれず、襟元にすがりついて必死の懇願をした。まさか稲荷狐が人にお願いをするとは、思っても見ないことだった。

「高島さん! 僕に祠はいらないよ。その代わりに、なまくら刀を納めてくれないかな!?」

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