時には昔の話を②

 祠の代わりになまくら刀を欲しがるとは、どういうことか。頭上に疑問符を浮かべる高島をよそに、稲荷狐は興奮冷めやらぬ様子で、尻尾を立てて話を続けた。

「僕はここで300年、あやかし退治をしてきたんだ。ちょっと前まで辺り一面が田畑だったから、そんなにたくさん出なかったけど、港が出来て、田畑がみんな家になったら、あやかしが面白そうだって押し寄せるようになって、それで、ええっと……」


 稲荷狐に気圧けおされた高島は、のけ反り顔を引きつらせた。矢継ぎ早に飛んでくる話は、聞き取るだけで精一杯だ。

「あやかし……と言ったかい?」

「蒸気船が来て、馬車が来て、陸蒸気おかじょうきが走り出したから、凄くたくさん来ているんだ!」

「横浜に、あやかしが押し寄せているのか?」

 稲荷狐は富士眉の困り顔で、首をぶんぶんと縦に振った。子供の姿と言えど、神が必死になって訴えているのだ。高島は神妙な顔つきである。


 何故だか今夜は、目も耳も自分自身さえも疑いたくなることばかりだ。狐に化かされている気分だが、必死に訴える稲荷狐の言葉に嘘はないと、不思議なことに信じてしまう。


「それで、なまくらが要るとは……」

「なまくらだったら、持っていいんでしょう!? 祠の霊力をなまくら刀に込めて、あのお侍さんに持ってもらって、僕と一緒にあやかしを退治するんだ!」

 稲荷狐は名案だと自画自賛して、目を輝かせてうなずいている。

 よくわからんが、とりあえずなまくら刀を稲荷狐に納めればよいのか。高島に理解出来たのは、それだけだ。


 それは構わないが、と思ったところで、稲荷狐は凍りついたようにピタリと止まった。

「あ……霊力に耐えられないと、身体が吹き飛ばされたり、バラバラになったりしちゃうんだ……あのお侍さん、大丈夫かな」

 呆然として焦点を失った視線を、高島が屈んで遮った。

「お稲荷様が選んだのだ、きっと大丈夫だ」

 高島の強い眼差しに自信をもらえた気がして、僕は強くうなずいた。


 稲荷狐も高島も、横浜が荒らされることが許しがたく思っている。

 稲荷狐も若侍も、時代に取り残されて世間から見捨てられようとしている。

 1柱と2人が力を合わせれば、横浜をあやかしから守れるのではないか。

 そして幕府から見捨てられた彰義隊に命懸けで加わった若侍なら、こんなちっぽけな稲荷狐でも見捨てないのではないか。

 今にも消えてしまいそうな稲荷狐にも、あの侍が救えるのではないか。

 稲荷狐の小さな胸は、期待と希望でいっぱいになった。


「それで、お稲荷様は何という名なんだ? 伏見か? 豊川かい?」

 祠に掲げてあるはずの稲荷神の名が、どこにも無かった。信仰されなくなり、朽ちはじめた際、真っ先に落ちて名前を失ってしまったのだ。稲荷狐は、困った顔をして口をつぐんだ。

「ならば自分で名前をつけるとよい、名前がないのは不便だ。お稲荷様の名前を呼ばせておくれ」

 稲荷狐は、驚いた顔で高島を見上げた。


「こんな雨の中、ずっと立ち話も難だ。私は横浜のことは何とか出来る。少し離れているが、家に来て詳しい話を聞かせておくれ。それと一緒に、易断をしてみせよう。横浜のこと、そして君と侍のことをだ」


 *  *  *


「それがタカシマさんから聞いた話デスカ?」

 コンコが出雲に行っている間に聞いたリュウの話に、神父は興味津々だ。

 ふたりは商館の隙間に並んで隠れていた。あやかし退治の依頼がリュウの元へ来たが、コンコがいない。話を聞けば見過ごせない相手だったので神父に協力を仰いだ。

「どうしてコンコさんに聞かナイ?」

「コンコも、昔のことを話さんのだ。きっと言いたくないことがあると思ってな」

 神父には“も”の一文字が引っ掛かった。未だに武士にこだわるリュウに、言うもはばかることがあることに気付かされた。

「Partner、何でも話せるとイイよ」

「黙れ! ……来たぞ、あやかしだ」


 夜道に現れたのは猿の頭、虎の身体、蛇の尻尾を持つ怪物だ。獲物を探して、ジロジロと辺りを見回している。

「マンティコア……」

ぬえではないか?」

 神父が聖書を開き、リュウが刀に手を掛けた。どちらにしても危ないあやかし、ということだ。


「わかっていると思うが、コンコがいないので、あやかしは斬れぬ。なまくらで牽制している間に退治してくれ」

 リュウが押し殺して放つ言葉に、神父はギョッとした。あやかしを斬るのにコンコの祝詞が必要なことを、神父は知らなかったのだ。

「どうして、大事なこと話さナイ!!」

「何を今更! 知らなかったのか!?」

 ふたりのいさかいいに、あやかしがニヤリと笑って目を向けた。

 獲物を見つけた。

 獲物は、俺たちだ。


 ふたりをめがけて、あやかしが飛びかかった。

 リュウは無駄とわかっていながら、斬れぬ刀を咄嗟に振った。

 刀で制する間に、このあやかしを封じてくれ!

 神父よ、頼む!

 刃を噛み砕こうとしたあやかしは口元から一刀両断。身体は上下ふたつに斬り裂かれ、ドサッと落ちると牙一本だけ残し、煙を立ち上らせて消えていった。


「……斬れた……」

 リュウと神父は、腰を抜かして地べたに座り、刃を呆然と見つめた。

 そしてこの感覚に、リュウには思い出すことがあった。あれは、そう……と懐かしく思っていると、刃に見慣れた姿が映し出された。

 振り返ると、バツが悪そうに苦笑するコンコが立っていた。

「へへっ……帰って来ちゃった」


 コンコは鼻をすすると、その顔のままリュウの胸へと飛び込んだ。

「リュウ……会いたかった……」

 神様らしからぬ弱々しい言葉が、胸板に押し付けた口から漏れた。リュウは愛おしくて、たまらなかった。

「俺は、このなまくらと同じだ。やはりコンコがいなければ、ダメなようだな」

 そっと頭を撫でると、狐耳がピンと立ち上がり尻尾が踊った。感情が手に取るようにわかって、おかしくて仕方ない。


 ふたりに置き去りにされた神父は入る隙がないと思い、やれやれと両手を広げていた。

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