本当は「緑のたぬき」が好きだった弟

滝田タイシン

本当は「緑のたぬき」が好きだった弟

 俺には俊也(としや)という三歳年下の弟がいる。俺はまだまだ甘えたい年齢だったが、俊也が産まれたことにより、望んでもいないのにお兄ちゃんになってしまった。


 俊也は物心ついてからは、まるで子分のように「お兄ちゃん、お兄ちゃん」とずっと俺の後を付いて来た。しかも、なんでも俺の真似をする。俺がヒーローの変身ポーズを真似れば、横で俺を見ながら俊也も真似る。


 でも俺は、俊也が自分の真似をすることが嫌いではなかった。俺にとってヒーローが憧れの対象であるように、俊也にとって俺が憧れの対象だと感じていたからだ。


 他にも俊也の俺真似は、食べ物にまで及ぶ。


 俺が小学四年生になった年に、それまで専業主婦だった母がパートで働くようになった。


 パートはスーパーのレジ打ちで、日によっては夕方から夜に働く。そんな日は夕飯が遅くなるので、母はおやつ代わりに「赤いきつね」と「緑のたぬき」を買い置きしてくれていた。


 ここでも俊也は俺を真似る。俺は関西独特の味わい深いだしの染みたお揚げ好きで「赤いきつね」をよく食べた。すると俊也も「僕も」と「赤いきつね」を食べる。


 たまにサクッとした小エビ天ぷらが食べたくなって「緑のたぬき」を俺が食べると、俊也はまたしても「僕も」と俺を真似て「緑のたぬき」を食べる。


 いつも俺を真似るので、俊也はどちらの方が好きなのか分からないくらいだ。


 こんな風に俊也が真似をしたものは多い。俺の好きなJポップや少年漫画なども俊也は好きになったし、野球もその代表的な一つだ。


 俺が五歳になった年に、プロ野球で大きな出来事があった。地元関西のチーム、阪神タイガースが星野監督の元で十八年ぶりのリーグ優勝を成し遂げたのだ。


 父は阪神ファンで、毎日試合をテレビで観戦しながら熱狂していた。自然に俺も、父に釣られて阪神を応援するようになる。あの年の阪神は神懸かり的に強かった。やはり勝ち試合が多くなると楽しい。当時は家族みんなで応援したものだ。


 翌年、俺は小学校に入学すると、親に頼んで少年野球のチームに入部する。その年の新入部員は阪神優勝の影響か例年より多かった。競争が激しかったが、俺は俊也を相手に自主練習までして頑張った。


 俊也は毎回必ず、母に付いて練習場に来ていた。他の未就学児の弟、妹達は学校のグランドにある遊具で遊んでいるのに、俊也は違う。あいつは一人で練習を熱心に観ていたり、手の空いた保護者に頼んでキャッチボールの相手をしてもらったりしていたのだ。たぶん俊也の中では、俺と一緒に野球の練習をしていたつもりなのだろう。


 俊也も小学校に入学するとすぐに、野球チームに入部した。就学前から練習していたこともあり、指導者たちから期待されるぐらい上手だった。俺も負けてはおらず、激しい競争を勝ち抜き、学年別チームのエースとなっていた。


 俊也が入部してから、俺達は今まで以上に自主練習を頑張った。チーム内の競争に負けられないとの気持ちがあったが、俺は俊也にも負けられないと思っていた。俺は俊也にとってのヒーローであり続けなければならなかったのだ。


 そうして俺達兄弟は少年野球チームの中心選手として活躍し続けた。


 月日が経ち中学生になった俺は、当然のように野球部に入部する。少年野球からのチームメイトも多く、俺はここでも中心選手として活躍した。俊也も高学年となったが、俺と同じくエースとして頑張っていた。俺達兄弟は理想的に幼少期を過ごしたと今でも思う。


 三年生になった俺は、中学最後の大会を迎えた。


 俺を含めたチームメイトの活躍で、うちの中学は何年ぶりかに県大会の出場権を獲得する。久しぶりの県大会出場で盛り上がり、一回戦は少年野球の後輩たちが総出で応援に駆けつけてくれた。もちろん最上級生となっていた俊也もだ。


 だが、くじ運悪く、相手チームは県大会常連の強豪校だった。


 エースとして先発した俺は、初回から打ち込まれる。なんとかアウトを取って攻撃に回っても簡単に三者凡退で打ち取られ、手も足も出せずにコールドで敗戦となった。


 正直、悔しさは無かった。三年間の試合で、俺は自分の実力を把握していたから不思議な結果では無かったのだ。ただ、ガッカリした空気の応援席の中で、袖で涙を拭う俊也を見たのは辛かった。


 惨めに打ち込まれた俺は、俊也の目にどう映ったんだろうか? もうあいつにとって、ヒーローではなくなったんだろうか?


 この試合で中学生での野球に終わりを告げたが、地元の公立高校に進学した俺は、また野球部に入部した。もう子供の頃のように、プロになるとか甲子園に出たいとかの夢は無かったが、野球が好きだったので他の部活は考えられなかったのだ。


 そんな時にショックな出来事が耳に入る。中学の後輩野球部員から、俊也が入部していないと聞いたのだ。俺はすぐ自分の部屋にいる俊也に確認した。


「お前、野球部に入らんかったんか?」

「うん、入ってないよ」


 俊也は取り繕うことなく、当然のように答える。


「なんでやねん! お前、チームでエースやったやろ」


 少年野球の中心選手であった俊也には、野球部の後輩たちも期待していた。俺も含めて当然入部するものと思い込んでいたのだ。


「俺、中学ではバンドやるねん」


 俊也はいつの間に買ったのか、エレキギターを誇らしげに掲げる。ふと気付くと、部屋の中には、聞いたことのない洋楽ロックが流れていた。


「貯めてたお年玉を全部使ったわ」


 俊也は照れくさそうに笑う。その時の俊也は、ずっと俺の後を付いて来た幼い弟ではなく、一人の個性を持った中学生だった。


 俺は「そうか……」と呟くことしか出来ずに俊也の部屋を後にした。


 その時に俺は気付いた。俺達はもう野球部に入っていないことを人づてに聞く関係になっていたのだと。俺が高校受験で忙しくしていた間に、俊也には自分の世界が出来ていたのだ。


 高校生と中学生。十代の三年差は大きい。俺達は野球という共通の話題が無くなったことにより、会話が極端に減っていった。



「あれ? 最近、『緑のたぬき』も同じくらい買ってるんや」


 ある日、帰って来た母の買い物袋を見て、俺は疑問を感じた。以前は俺が好きな「赤いきつね」を多く買っていたのだが、今は同数になっている。


「俊也は『緑のたぬき』の方が好きやからね」

「えっ、そうなんや」

「あの子、あんたと一緒に食べる時は『赤いきつね』も食べてたけど、今はサクサクの天ぷらが美味しいって『緑のたぬき』ばっかりよ」


 意外な事実を初めて知った。俊也は俺に合わせて「赤いきつね」を食べていただけで、本当は「緑のたぬき」が好きだったんだ。今「緑のたぬき」ばかり食べている俊也は、もう自分の道を歩み続けているんだと実感した。



 高校を卒業して、俺は地元の大学に進学した。三年後、俊也は東京の大学に進学し、家を離れた。もう家を出る前の俊也とはほとんど会話も無く、お互いに今何が好きでどんなことにハマっているのかなど、全然知らなかった。


 俺は大学を卒業して、今は地元の企業に就職している。俊也も今年卒業して、東京で働き出した。



 働き始めて最初のゴールデンウイークに、俊也が帰省して来た。


 俊也が帰省して二日目。両親ともに仕事で、家には俺と俊也だけだった。俺は昼前に目が覚めて、ダイニングで「赤いきつね」を食べていた。


「いい匂いやな」


 今目覚めたのか、俊也がダイニングに顔を出した。


「お前の分もあるから、自分で作れよ」


 俊也はカップ麺のストックから「赤いきつね」を取り出し、お湯を入れ始めた。


「あれ? 『緑のたぬき』やないんか?」

「ああ、兄ちゃんの食べてるの見てたら『赤いきつね』も美味しそうやと思って」


 俊也はお湯を入れて蓋をした。


「昔から兄ちゃんが食べてるものは何でも美味しそうに見えてたな……」

「ええっ、そうなんや」

「食べ物だけやなく、兄ちゃんが好きな物はなんでも面白そうに思えてたよ」

「まあ、三つ年上やからな。それだけ大人に見えてたんやろな」


 俺はそう言うと熱いお揚げを口に運ぶ。口の中に、だし汁の旨味がじんわりと広がる。


「母さんから聞いたけど、野球をまだ続けてるんやってな」

「ああ、草野球のチームに入ってるよ。明日も試合があるねん」

「凄いな。小学校から続けてるものがあるなんて」

「なんや、おだてても何も出えへんぞ」


 俺は少し照れくさくて、冗談めかした。


「兄ちゃんは野球やってる時だけはカッコ良かったからな」

「その時だけなんかい!」


 お約束でツッコミを入れる。


「最後に見たのは、中学の試合かな」

「嫌な試合が最後やったんやな」


 そうだ、惨めに打ち込まれた、あの試合が最後だった。


「ああ、でもあの試合もカッコ良かったよ」


 「赤いきつね」を食べていた、俺の手が止まる。


 あの時もそう思ってくれてたのか……。ヤバい、泣いてしまう。


「お前もバンド続けてるんか?」


 俺は話題を変えて誤魔化した。


「ああ、プロになるとか、そんなんちゃうけど、大学の仲間とやってるよ」

「そうか、一回聴いてみたいな」

「ライブする時あれば連絡するわ。東京やけどな」


 そう言って、俊也は笑う。


 久しぶりに落ち着いて話をしてみると、案外昔と変わらない気がした。進む道が違って、もう俺の後ろを付いて来てはいない。だけど、俺達は違う個性を持った兄弟として、大人の人間として認め合うことが出来るのだ。


「明日は予定も無いし、兄ちゃんの試合を観に行こかな」

「ああ、だったら俺のジャージを貸したるから、試合に出ろよ」

「ええっ、そんなん出来るの?」

「ええよ、ただの練習試合やし。代打と守備固めぐらいなら出せるよ」

「そうか……それは楽しみやな」


 そう言って笑う俊也は、小学生の頃と同じだった。


 明日の試合は今まで以上に気合が入る。兄として、俊也に良いところを見せねば。

 俺も小学校の頃に戻った気がした。


                                    了                     

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