第四章 約束

小生意気な連中

 雪山などで吹雪に見舞われた際、地面と空の見分けがつかなくなって方向感覚が狂ってしまい、どちらに進めばいいのかがまったくわからなくなってしまうホワイトアウトと呼ばれる現象がある。

 なにを突然――という声が聞こえてきそうだが、これ以上ないほど本当に調子が悪く、なにをやっても裏目を引いてしまうという日に麻雀を打っていると、私はそんな現象に見舞われているような感覚に陥ることがあるのだ。

 例えば――

 二三四五六七②③④⑧⑧334 ドラ 4

 ちょっと極端な気もするが、こんな手であったとする。リーチかダマかは分かれそうだが、3切りの一手だろう。

 しかし、最悪の日には次巡に3を引いてきたりする。シャボだったら一発ツモ――それだけならまだいいが、ときにはその3が今テンに刺さったりなど、まさに踏んだり蹴ったりと言える目に遭ってしまう。

 偶然の結果とはいえそんな目に遭ってしまえば、次からは選択の際に疑心が生まれてしまう。どう考えてもこちらを切ったほうが待ちの数も打点の高さも有利ではあるが、今日はツイてないからあえて逆にしてみよう――などと考えて打っても、やはり当然のように裏目を引く。そんな事態が連続して起こるものだ。

 自分の手をどのように進めていけばいいのかがわからない。また、相手のリーチに対してなにを切ればいいのかがわからない――そんな八方塞がりの状態になってしまえば、必然的にどれだけ勝てるかではなくどれだけ負けを減らせるかという戦いになってしまう。

 逆にいえば、自分ではなく敵をそんな状態におちいらせてしまえば、その日は少なくとも大きく負けることはないだろう。

 麻雀においての完勝――それは十万点越えのトップを取るとか、どんな役満をアガったかなどではなく、相手の牌勢、精神をボロボロに突き崩し、復活しようという気持ちすら持てなくさせることである。

 私はある日から、そう考えるようになった。



 麗奈さんと雅さんによる勝負の日から、一週間が経過した。

 蘭遊荘の争奪を境に地下組織による襲撃は止まり、あれから裏魅神楽の雀荘に彼女たちが現れたという話は聞かない。もっとも大きなグループの主である麗奈さんの本陣を崩したということは、組織は連鎖的に傘下に納まっている雀荘も手に入れたということになる。十数はある雀荘のうちの大半を支配下に置けたから、ここらで終戦と踏み切ったのだろうか。

 いずれにせよ、いまや私の家とも呼べる雀荘やよいは無事なまま騒動が終わってくれた。麗奈さんには気の毒だが、私にとっては事なきを得たと言えるだろう。

 しかしそんな反面、馬鹿げた話ではあるが心のどこかで残念がっているような自分もいることに私自身が驚いていたりもする。東風にて双子と対局した際はほとんどハナさんのお陰で勝てたようなものなので、それだけならばこんな気持ちにはならなかったかもしれない。だが、やよいの権利を賭けて亜希と小依と囲んだときの麻雀は、普段では到底味わえぬ緊張感を含んだものだった。

 まさか、これが麗奈さんが言っていた博奕の真髄とやらのことなのであろうか。そうなれば、私も既に“焼かれてしまっている”ということになる。

 そんなことはない――と否定したい気持ちは山々だが、とはいえ、麻雀という道で生きていきたいと考え、この裏の世界に入る決断をした時点で既に正常ではないと言える気もするが……


 その日は江上さんや遠藤さんといった常連組のほとんどが偶然にもやよいに集まっていた。

 常連以外にも何人か来ており、一度に四卓立つことなど私が勤めてからは初めてのことだ。私も四卓目の一人として参加している。

 勿論、美琴さんも来ているのだが、彼女が座っているのは別の卓だ。少々残念ではあるが、私はあくまでも仕事として卓についている。わがままは言えない。

 ――仕事といえば、こんな大人数のお客さんが来ているというのに、弥生さんは相変わらずである。彼女はカウンターの奥という指定席から動かず、マグカップを片手にテレビをぼんやりと眺めていた。場代すら客に集めさせて自分の元まで届けさせるという始末だ。

 普通の雀荘ならばあり得ぬ光景ではあるが、やよいはこれでいいのだろう。なにせ、常連の人たちはこのなんともいえぬ気の抜けたような適当な雰囲気を気に入っているのだろうから。かくいう私も、そのうちの一人だが。

 麻雀面での話をすると、三時間打っている現状、少々マイナス気味と言ったところだ。牌勢が悪いというワケではないが、今日はどうにも乗り切れない。

 ――その理由は、私の上家に座っている少女にあるだろう。さっきから、私の有効牌を一枚も切りやしない。私は“ここまでするか”と少々呆れ気味に彼女を横目で見た。

「なんだ、その目は。敵の手を進めないよう牌を絞るのは麻雀の基本だろうが」

「なにも言ってないけど」

「目は口ほどにものを言うってな。二五を鳴かせてくれって心の声が聞こえてくるぜ。巡目が巡目だし、良形の筒子のほうでも仕掛けそうだな。まぁ、どっちも切らねぇけどよ」

「牌を直接言うなっての……!」

 私はちょっと怒り気味に言ったが、亜希はむしろ機嫌をよくしたように表情を緩ませて私の手牌とはまったく関係のない2を切ってきた。

 私は小さく溜め息をついてから、ツモ牌を持ってくる。

 三四六七八③④r⑤⑥⑦88南 ツモ 南

 ドラは8。南三局の親番で、私は17600持ちの三着目。なにがなんでもこの手はアガっておきたい。理想は面前テンパイだが、既に六巡空振りが続いている。いちおう鳴いても満貫はあるのであわよくば萬子の両面を鳴いて筒子の三面張で――と考えていたが、前述したとおり上家に鼻持ちならない奴が座っているせいで、萬子はおろか筒子すら鳴けない。

 そうこうしているうちに下家に対して危険な初牌の南を持ってきてしまい、とりあえずテンパイするまでは抱えておこうと持っていた結果、その南が対子になった――というのが現状だ。さて、どうするべきか。

 南を持ち持ちと判断して抱えた場合、私のアガリ目は限りなく薄くなってしまう。やはり、ここはロンではなくせいぜいポンであることを祈って南を切るべきか。

 しかし――

 ??????? (3)12 發發(發)

 これが下家の仕掛け。そして捨て牌には索子が一枚も切り出されていない。ロンだった場合は仕掛け方から考えて満貫以上は確定しているだろう。ドラの色や赤がまだ見えていないことを加味すれば、跳満だって十分に考えられる。

 踏ん切りがつかずに小考してしまっていると、当の本人である下家――小依がくすりと笑って言った。

「切ってみれば? 案外通るかもよ」

「――通してくれるの?」

「当たってたら当たるよ」

「……そりゃそうだ」

 私は覚悟を決めて、南を打ち出した。ほとんど同時に、小依が「ポン」と発声した。よし、ポンならまだ――

「あの仕掛けに対して初牌の南を切るかね、普通。お前正気かよ」

 ここぞとばかりに煽りの言葉を投げてくる亜希。私は「人の打牌に文句つけんな」と一掃し、心中では“お前から当たってやるからな”と意気込んでいた。

「ねー、そんなことより、あのピンク髪の人はまだ来ないの? さっきも言ったけど、蘭那は初心者呼ばわりされたことに対する仕返しをしたくてここに来たんだからね」

 小依の次のツモ番である――つまり私の対面に座っている蘭那ちゃんが、溜め息混じりに私に言ってきた。

「私に言われても困るよ……ハナさんはいつもここに来てるってワケじゃないし、普段どこに居るかもわからないんだから」

「ちぇ、もー帰ろうかな。凛音と一緒じゃないと、麻雀って思うように勝てないし」

 蘭那ちゃんはそう言ってから、「カン」と発声し、⑧を四枚晒した。私の三面張が……

「まぁそう言うなよ、蘭那。こいつの負け面拝むってぇのも悪くはないハズだぜ。そのピンク髪とやらとやる前の肩慣らしにもなるじゃねぇか」

「もう十分肩慣らしになったよ。早く来ないかなぁ……」

 蘭那ちゃんの打牌は②。それ以前にも、彼女の捨て牌には私が欲している牌がバラバラと切り出されている。それなのに、私のツモ筋には一枚もいないし、亜希は意地でも切ってこない。もう正直、嫌になってくる。

 しかし次巡のツモで、五を引いてきた。先ほどの蘭那ちゃんのカンによって④が新ドラになってくれていたので、ダマ跳の手となった。四枚目の南を切って実質②⑤のみの三面張に構える。リーチはかけない。この小生意気な連中に18000直撃という鉄槌を下して――

「ツモ」

 5578 (南)南南 (3)12 發發(發) ツモ 6

 ――私は6000点を支払い、小さく溜め息をついた。


 その後のオーラスはラス目であった蘭那ちゃんが五巡目リーチで跳満をツモアガり、当然の如く私がラスに落とされた。

 勿論千点五百円というレートもつけているので、私は場代抜きで25500円という金額を支払った。

 わなわなとした感情を必死に抑えながら、全員分の場代を集めて弥生さんのもとへと行く。弥生さんは私に気付くと、私を見てニコニコしながら言った。

「楽しそうね」

「いいえ」

「嘘おっしゃい。いまのあなた、生き生きしてるように見えるわよ」

「……そんな風に見えます?」

「ふふ……この世界にあなたと同年代の打ち手なんて滅多にいるものじゃないからね。対抗心が生まれるのは自然なことよ」

「対抗心だなんて別に……」

 私は気恥ずかしくなって否定しようとしたが、弥生さんは聞く耳を持たずに嬉しそうに笑うだけ。

 ――正直に言えば、確かに亜希たちと打つ麻雀は美琴さんらとはまた違った感覚ではある。美琴さんのような一回り年上の人たちと打つ際は、打ち負かしたいというよりもどこか認めてほしいといった感情が強かったりするのだ。

 しかし亜希や小依、蘭那ちゃんのような相手だと、自分が一番麻雀を知悉しているという虚勢を張らずにはいられなくなる。

「――戻りますね」

「ええ。頑張ってね」

 弥生さんは笑顔をそのままに、私に手を振ってみせた。


 もう許さない、仕事とか関係なしにあいつら徹底的に――と私が意気込みながら卓に戻ってくると、蘭那ちゃんの姿が消えていた。

「蘭那は帰ったよ。眠いんだって」

 私が訊く前に、小依が答えてくれた。

「――じゃあ卓割れだね。まだ打つなら、他の卓に空きが出るのを待ってて」

「いや、私たちも帰るよ。久々に遊べて楽しかった。ありがとう、渚」

「そ、そう……? そっか、わかった……」

 数秒前まで殺気すら覚えかねない激情に駆られていた手前、小依の礼の言葉を素直に受けることができなかった。

 しかし、そのもどかしい気持ちはもう一人の鼻持ちならない奴のお陰で解消された。

「そうだな、帰るか。最後の半荘でラス喰わせることができたしな。オレもそれなりには満足できた」

「――いつか泣かせてやるから」

「やってみろ。次までにもっと勉強しときやがれ。じゃあな」

「……じゃあね」

 そうして、亜希と小依の二人もやよいを出ていった。

「あら、帰っちゃったの?」

 弥生さんが私のもとに来て、出口のほうを見ながら訊いてきた。

「私をコテンパンにできたから、満足したそうです」

「あら、ふふ……リベンジはまた今度ってワケね」

「……はい」

 不思議なことに、私は敵であるハズの彼女たちに友情のような温かな気持ちを抱いていた。

 弥生さんとの問答では否定していたものの、無意識のうちに綻んでいたそのときの表情がその気持ちを素直に反映していたと言えるだろう。


 私たちの卓が割れた一時間後に、三つ目の卓も同時に四人がやめることになって解散となった。

 すべての卓掃を終えたあと、私はやはり美琴さんの麻雀を見ていた。

 と言っても、蘭遊荘で麗奈さんの麻雀を見ていたときのように真横にくっついてじっくりと見ているワケではない。断りもなしにそんなマネをするのは失礼であるし、ちょうどカウンターの椅子の位置から見える場所だったので、そこから遠目に見ているのだ。

 戦績のほうは、どうやら彼女の下家に座っている遠藤さんが一人で浮いているらしく、他の三人は自分の牌勢を崩さぬよう守りに徹しているといった様子であった。

 二人以外の面子もやよいの常連組のなかでは腕の立つ打ち手なので、あの卓ではさぞ厳しい麻雀が繰り広げられていることであろう。

 ――そういった麻雀を見ているとき、私は考えることがある。果たして私があのような卓に加わったとき、どこまでやれるのだろうかということだ。

 この世界に入って間もなく、美琴さん、ハナさん、弥生さんと打ったときは、完膚なきまでの敗北を喫した。しかし、自分で言うのもなんだが、あのときと比べれば私だって少しは成長しているハズだ。それならば、多少は違った結果になるかもしれない。

 機会があれば試してみたいと思う反面、やはり手も足も出ずに潰されてしまうのではないかという恐怖心も確かにある。

 それでもいつかは、そんな麻雀を打つ日が来るのだろうか――と、そんなことを思いながらぼんやりしていた、そのときだった。

「やっほー、美琴いるかな?」

 やよいに現れたハナさんは、美琴さんの姿を見つけるなり彼女のもとへと歩いていった。

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