入口扉に鍵を差し込んで回したところで、私は眉をひそめた。出てくるときに確かに閉めていったハズなのだが、鍵が開いていたのだ。

 怪訝に思いながらも扉を開け、中に入る。すると、その謎の答えはすぐに判明した。

「おかえりなさい。どちらに行かれてましたの?」

 カウンターの席に座っていたのは、麗奈さんであった。

「れ、麗奈さん……? どうしてここに……」

「近くを通りかかったので、寄ってみたんです。今日はもう閉店しているそうですが、せっかくだからお茶の一杯でも頂いていこうかと思いましてね」

「はぁ……ところで、どうやって入ったんですか? もしかして、鍵開いてました?」

 私がそう訊くと、ちょうどカウンターの奥から弥生さんが出てきて、彼女がその質問に答えてくれた。

「鍵はちゃんと閉まってたわよ。――それなのにこの子ったら、壊すつもりなのかってぐらいの勢いで扉を叩いて呼び出すんですもの。普通鍵が閉まってたら、閉店してるってわかりそうなものだけど?」

「ふふ……お店の都合などわたくしの知ったことではありませんわ。それに、竜胆さんが淹れてくれるお茶を飲みたかったのですよ。どんな茶葉を使おうと、この形容しがたいイマイチながらもクセになる味は再現できなくて」

「褒めてるの? バカにしてるの?」

「半々ですわ」

「あっそ……」

 弥生さんは呆れた様子で溜め息をつき、カウンターの内側にある自分の椅子に腰かけた。

「さて、先ほどの続きですが――」

 麗奈さんが話を切り出す。私はなんの話をしていたのかが気になり、カウンターのもとへと歩いていった。

「さっきも言ったけど、私にそんなつもりはないわ。この店はいまが一番ちょうどいい状態なのよ」

「再三申しあげることとなり恐縮ですが、この状態が続くという保証はないのですよ。それでしたら、いまのうちに少しでも新しい客を獲得して常連と呼べる人間を増やしておくべきです。そのほうがこのお店にとっても――」

「客が来なくなったら閉めるまでよ。そのときは、スナックにでも転職しようかしら」

「――あくまでも、規模の拡大は拒否するというのですね?」

「大きくなればなるほど、面倒な事柄だって増えていくからね。そんなの私はお断りよ」

「わかりました……ではそのように」

 会話が途切れるのを待っていた私は、ここぞとばかりに口を開いた。

「なんの話をしているんですか? 規模の拡大と仰っていましたけど……」

 答えてくれたのは麗奈さんであった。

「この店の未来のために、わたくしが考えた提案がありましてね」

「提案?」

「わたくしのグループに入っていただければ、いま以上に客が入るように手配できる。加えて、組に払っているみかじめ料もグループが負担。どうです? いい話だとは思いませんこと?」

「――いいことずくしですね」

 私は疑心を秘めた声でそう返答した。いいことずくしなことなど、この世には存在しえないのだから。

 麗奈さんは私の意図を察したのか、苦笑を浮かべながらこう続けた。

「勿論、いいことばかりではありません。グループに入るということは、経営権が実質的にわたくしのものになるということです。売り上げだって竜胆さんの手に渡るのは、割合で引かれた額となりますよ」

「……最終的には、どっちのほうが得なんですか?」

「引かれるとはいえ売り上げがいまとは比べ物にならない額になることを踏まえれば、承諾したほうが圧倒的に手取りの金額は増えるでしょう。勿論、それに比例して労働も少しは過酷なものになるかとは思われますが」

 後半のデメリットの部分に、弥生さんがすかさず口を挟んだ。

「少しって言い方は悪意があるわね。それこそ比べ物にならないくらい過酷になるわよ」

「その点につきましては、こちらからも何人か人手を用意するつもりではありますが――」

「なおさらよ。どこの馬の骨ともわからないような人間となんて働きたくないわ」

「頑固ですわね……昔はもう少し融通の利く方だったと記憶しているのですが……」

「――なにが言いたいのよ」

「ふふ……失言ですわ。ごめんあそばせ?」

 麗奈さんはからかうように小さく笑うと、手に持っていたマグカップをカウンターの上に置いて椅子から立ち上がった。

「提案を承諾していただけなかったことは残念ですが、久々にお話できてよかったです。とはいえ、気が変わるようなことがあれば遠慮なく仰ってくださいね。そのときはすぐに手配いたしますので」

「万に一つもないとは思うけど、いちおう頭には入れておくわ」

「ふふ……それでは、ご馳走様でした」

 麗奈さんはそれを最後に店の出口へと向かったが、扉を開けようとしたところで動きを止め、私たち二人に向けて言った。

「――近々、この近辺の雀荘を狙っている組織がいるという噂が流れています。真偽のほどはわかりかねますが、くれぐれもお気を付けください。それでは」

「組織……?」

 私が詳しく訊き出そうと口を開いたときには、既に麗奈さんの姿は店内から消えていた。

 わざわざ気になるところで話を止めずに詳しく説明してくれればいいのに――私はそんな気持ちを共感してもらおうと思いながら、弥生さんに視線を移す。

 すると、彼女は真剣な面持ちでなにかを考え込んでいるように見えた。

「弥生さん……?」

 私の呼びかけに、弥生さんは少し遅れて反応した。

「――どうしたの?」

「いえ……ただ、いまなにか考え込んでいるように見えたので」

 弥生さんは答えるかどうかを迷ったのか、すぐには答えなかった。やがて小さく息をつき、椅子から立ち上がって麗奈さんと自分が使っていたマグカップを片付けながら話し始めた。

「紅龍がある通りをもう少し進んでいった先に、古い小さな雀荘があってね。一昨日、そこに二人組の女の子が来たらしいの」

「女の子――ですか?」

「聞いた話じゃ、あなたよりずっと幼いそうよ。それでその二人、そこで麻雀を打っていったみたいなんだけど、店にいた人間全員を“ハイナシ”にしたらしいわ」

 ハイはお金のことで、ナシはそのまま無いということ。つまり、その二人組は全員を麻雀で圧倒したということだ。

 私はその二人組に興味を持った。私と同じクチで裏世界に入り、麻雀でシノギを削っているのだろうか。

 しかし、そんな私の健気な考えは即座に否定された。

「おそらく、麗奈ちゃんが言っていた組織とやらの手先でしょう。目的はわからないけど、その店に客が来ないようにするために荒らさせたんじゃないかしら」

「でもそんなことしたら、宮代組の人たちが黙ってないのでは?」

「そのハズなんだけどね。その件に関して、宮代組は動かなかったみたいなの。そればかりか、損害から考えたら雀の涙ほどと言えるばかりのカネを握らせて、“ここではない別の町で店を開くといい”というようなことを言ったらしいわ」

「追い出したということですか……?」

「結果から言えば、そうなるわね」

 洗い終えたマグカップを所定の位置に戻し、弥生さんは「これは私の推測に過ぎないけど――」と続けた。

「宮代組とその組織は繋がっているんじゃないかしら。そうだと考えれば、今回の行為を見過ごしたのも納得がいくわ」

「繋がっているって……それじゃあ、今後もそういったことが起きるかもしれないじゃないですか」

「さっきも言ったけど、組織がなにをしようとしているのかはわからないわ。でも、連中の目的次第では、ウチも標的になるかもね」

「ど、どうするんですか……? そんな組織に狙われたら、この店はもう――」

 終わりだ、という言葉は出てこなかった。やはり、言いたくなかった。

 しかし、私の焦燥とは反対に、弥生さんは至極落ち着いた様子で言った。

「そのときはそのときよ。やれることやってダメだったら、さっき麗奈ちゃんにも言ったけど、スナックでも始めるとするわ。そのときは、あなたにも看板娘として働いてもらおうかしら?」

「い、いいんですか……?」

「勿論。若い子がひとりでもいるといないじゃ、客の喰いつき方が――」

「その話じゃありません! そんな簡単に諦めていいんですかって訊いてるんです!」

 弥生さんは口を閉ざし、私の表情を伺うように横目で私を見た。その視線を受けた途端、私は冷静さを取り戻して慌てて謝った。

「す、すみません……いきなり大きな声出しちゃって……」

「ふふ……いいのよ。それにしても嬉しいわ。あなたがそんなにこの店のことを思っていてくれてたなんて」

「当然です。この店は私にとって、もう実家のような場所です。それに、この世界に入って初めて麻雀を打った店でもあります。思い入れがないワケがありません」

「そう……あなたの気持ちはよくわかったわ。でもね、私たちがやることに変わりはないのよ。さっき言ったでしょ? やれることはやるって」

「なにをする気なんです?」

「簡単な話。そっちが麻雀で攻めてくるなら、こっちも麻雀で迎え撃ってやるだけよ」

 弥生さんはそう言ってから、ニヤリと口元を歪ませてこう続けた。

「徹底抗戦よ。二人組の女の子ってのがどれだけ強いのかは実際に打ってみなきゃわからないけど、私たちには敵わないでしょう」

「私“たち”――ですか?」

「あら、きょとんとしてる場合じゃないわよ? あなただってこの店の人間――そのときが来たら、しっかり戦ってもらうからね」

「え、ええ……?」

「ふふ……なんだかワクワクしてきちゃったわ。楽しみね、ウチはいつ狙われるのかしら?」

 弥生さんは機嫌よさそうにそう言いながら、店の奥へと消えていった。

 一人ホールに残された私は、いまだ状況を完全には呑み込めずに困惑していた。この裏街にある雀荘を荒らした謎の組織――その目的とは? そして、雀荘を荒らすほどの腕を持つ二人組の少女とは、いったい何者なのか。

 私は自分の心臓が高鳴っていることに気付いた。この高揚感は未知なる恐怖に対する不安か、それとも、好敵手との出会いに対する期待か。

 いずれにせよ、直にわかるだろう――私は深呼吸をして気持ちを宥め、自室へと向かった。

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