ホワイトアウト
白川脩
邂逅篇
第一章 流転
はじまりの雀荘
どうして麻雀を知ったのか、そして興味を持ったのかはあまり覚えてはいないが、おそらく親の影響だとは思う。私の父親は酒やギャンブルなどには無縁な人物だったが、麻雀だけは学生時代夢中になっていたらしい。そんな話を、いつだか本人の口から聞いた覚えがある。
いまから三年前――中学三年の夏の終わり頃だったか、同級生の家で麻雀をやろうという話になった。私を含め、ルールの把握すらも怪しい四人での麻雀だったが、初めて牌を触ったときのあの胸躍る感覚はいまでも忘れない。
以降、放課後その友人たちと集まっては卓を囲み、家にいるときはいるときでゲームの麻雀に没頭していた。高校受験の際には少しは落ち着いていたが、それが終わればまた同じ日々に戻っていた。
――そして今日、私は言わば“本物の麻雀”というものに手を出そうとしている。“麻雀 やよい”という文字が記された看板を前に、私は既に十分以上そこに立ち尽くしていた。
中でなにが行われているのかは察しがついている。だからこそ入ろうとしている。しかし、あと一歩が踏み出せない。
だが、入る必要がある。入って、カネを稼ぐ必要がある。しかし――
そのとき、店の扉が開き、中からサラリーマン風の男が額の汗をハンカチで拭きながら急ぎ足で出てきた。私を一目、ちらっと見はしたが、それどころではないと言わんばかりにその場を去っていった。
危険な雰囲気を感じ、なおさらに店に入る気が失せてきた私であったが、少し遅れて店の中から赤色のカーディガンを羽織った女性が扉を閉めに現れた。
「なにか用?」
場所にそぐわぬ学生服を着ている私を、その女性は怪訝そうに見つめる。私は緊張によって震えた声で彼女に言った。
「麻雀を打ちたいんです」
女性の目が、すっと細くなった。「――お金は持ってるの?」
私はポケットに手を入れ、最後の持ち金である三枚の一万円札を取り出して見せた。
すると、女性はにっこりと笑い、「どうぞ」と言って私を招き入れた。
もう引き返せない――私は意を決して店の中へと入っていった。
店内には六卓の全自動卓があり、内二つだけが稼働していた。稼働していない卓の上には伏せられた牌がきっちりと並べられていたが、四つの内、一卓だけは散乱していた。直前までやっていたのだろう。私は入れ違いで出てきたサラリーマン風の男を思い出していた。
散乱している牌を私が呆然と見つめていると、背後から女性の声が聞こえてきた。
「こっちの卓に次で抜ける人がいるから、少し待っててね。飲み物はどうする?」
私は少し反応が遅れ、慌てて「結構です」と返した。しかし――
「遠慮しないで。あなたからは飲み物代以上の場代を取るんだから。飲みたいものを言って頂戴」
「は、はぁ……では、暖かいお茶を」
「わかったわ。そこのソファーにかけて待っててね」
私は言われたとおりに、指し示されたボロボロの革ソファーの端に腰をおろした。
すると、稼働している卓の片方で打っているニット帽を被った壮年の男が、私を見てニヤニヤと笑いながら言った。
「おや、こりゃ珍しいね。こんな掃き溜めみてぇな雀屋に可愛らしい学生さんが来てくれたよ」
「よそ見してる場合かよ、おっさん。“親リー”かかってんだぜ」
ニット帽の
「わかってるよ。兄さんのリーチだね。怖い怖い――怖いが、ここは追っかけリーチだな」
「はぁ?」
よく喋るその二人は気にならなかったが、私はニット帽の下家に座っている女性に視線を惹かれていた。ちょうど私の場所からでは顔は見えなかったが、代わりに彼女の手牌を見ることができた。私は食いつくようにその手を見つめていた。
①①①②③③③東東東北北北
ドラは北である。彼女は火の点いた煙草を左手に、しれっとした顔で卓上を眺めている。
すると、ホストと喋っていたニット帽が再び私に視線を合わせ、笑いながらこう言った。
「クロちゃん、ギャラリーの女の子がキラキラした目で手ぇ見てるよ。そんなにいい手なのかい」
私はしまったと思った。対局中にギャラリーがわずかでも対局者たちにヒントを与えることは禁忌である。
しかし、クロちゃんと呼ばれた女性は鼻で笑うだけで、嫌悪感は一切見せなかった。それどころか、「ええ、いい手よ。どこからでも当たるから、気をつけなさいよ」とまで言ってみせた。
そして次のツモ番で、彼女は持ってきた牌を親指ですっと撫でて識別し、「ツモ」と言って手牌の横に静かに置いた。
ツモった牌は、④であった。続けて手牌を倒し、「4000・8000」と点数を申告する。
「まーたクロちゃんの逆転トップだ。点差は2800しかなかったのに、倍満作るなんてあんまりだよ」
点棒を払いながら、ニット帽が苦笑いを浮かべる。
「俺なんかこれでパンクだ。くそ、覚えてやがれよ」
そう言いながらくしゃくしゃの一万円札を三枚取り出して卓の上に投げ付けたのは、ホストであった。彼はそのまま席を立ち、店を出て行ってしまった。
「さ、空いたわよ。どうぞ、お嬢さん」
カーディガンの女性が熱いお茶を淹れたマグカップを手に持ちながら、私のほうを見て言った。私はさっと緊張すると同時に、卓上に置かれた一万円札を見つめながら言った。
「あ、あの……私、そんなに持ち合わせがなくて、一回くらいしかできないかもしれないんだけど……」
「一回でも二回でも、好きなときにやめてもらっていいわよ。それが雀荘という場所ですもの」
カーディガンの女性がにっこりと笑ってそう言ってくれたお陰で、私は少し気を落ち着けて卓に向かうことができた。
「よ、よろしくお願いします……」
「はい、よろしくね。アタシは
ニット帽が嬉しそうに笑いながら訊いてくる。私は素直に答えた。「
すると、江上さんは先ほどクロちゃんと呼んだ女性と私を交互に見ながら驚いた様子で言った。
「へぇ、それじゃ、クロちゃんにシロちゃんってワケだ。こりゃいいね。華の白黒コンビだ」
「白黒……?」
「こちらの
「はぁ……」
陽気な人だな――私がそう思っていると、私の対面に座っているクロちゃんこと黒崎さんが、溜め息混じりにこう言った。
「喋り過ぎよ。勝手に人のことをぺらぺらと教えないで頂戴」
「相変わらず手厳しいねぇ、クロちゃん。今日もアタシはもう十万近くキミに払ってるんだよ?」
「悔しかったら麻雀で勝ってみなさい」
「よぉし、上等だ。野郎が消えて華が増えたところで、アタシの本気というものを発揮してやろうかね」
江上さんがわざとらしい動きで袖をまくって中央のボタンを押し、牌を卓上にあげた。
私の人生初となる賭博麻雀――その第一局が始められた。
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