第19話 落花枝に上り難し

 アデレイドは、普段通りの如何にも魔女という身形で、大きな窓越しに外の風景を眺めていた。南方辺境の大森林が広がる先、冴えた青い空に巻雲が浮かんでいる。いよいよ春本番。この時分の開拓地の空模様は穏やかで、朝には雲雀に似た鳥の澄んだ歌声が遠空から耳に届く。白い花を咲かせる木の枝々には蕾が一斉に付き始めているのが目に留まる。あと七日も経てば、蕾はほころび、白い花びらが穏やかな春風に舞い始めるだろう。


「非道に悲憤慷慨しようとも世情は変わらず」


 アデレイドは古人の警句を口にして一呼吸おくと振り返った。


 美しい銀髪が揺れる。清涼にして透明な音色と蕩然とさせる光を纏う優雅な動きで、アデレイドは自席に座ると、目前に佇む背の高い美丈夫に雅やかさからは隔絶した冷たい眼差しを向ける。


「幼子ではありませんので、分別は持ち合わせておりますとも」


 ジェームスは臆することなく澄まし顔で応じる。


 アデレイドの執務机の上に広げられた特殊な魔法陣が描かれた敷布の上。迷宮核を暴走させて過剰に魔物を生み出した呪物が置かれていた。


「今更、物議を醸す呪物ガラクタを見つけてきおって、全く呆れた奴よ」とアデレイドはジェームスを責めるも、気の利いた皮肉一つ思い浮かばなかったことが、癪に障った。


 名画のような伊達男の佇まいに、若干の腹立たしさを覚えたことも相まって、アデレイドは目の前の美丈夫を睨みつける。


「深淵の魔女とあろ御方が、外法を野放にされるなどありえませんな」


 ジェームスが焚きつけるが、外法云々は正教会の熱心な信徒でもなければ、心に響かない。アデレイドは魔女の娘なのだ。正教会にとって不倶戴天の敵なのだが、アデレイド自身は正教会のことは歯牙にも掛けていない。


「定命の者に外法の代償は払いきれぬ。放っておけ。自滅は逸れ得ぬ」


 定命の者共が外法と称される神々が秘匿した神技を悪戯に用いようともアデレイドにとっては些事だ。


 知恵者ぶった愚か者が外法を以って、世界の理を捻じ曲げたところで、瞬く間もなく世界は復元してしまう。外法の躬行者が刹那の喜びに浸ろうとも、揺れ戻しは避けようがなく、至福は泡沫の如く弾け飛ぶ。故に野放しで構わない。那由多を越えようとも無益な労苦は報われず。愚か者は黄金の方舟から遺棄され、不可説不可説転の時のはざまに漂いながら、無貌なる神の哄笑を聞くだろうとアデレイドは想い至った。


「異論を俟たず。煉獄の門の一件、蒸返には些か時が経ち過ぎた」とアデレイドが冷たく言い放てば、「ご冗談を!当事者が生きていたのですよ?」とジェームスが心外であると言わんばかりに芝居がかった大袈裟な身振りで訴えかける。


 アデレイドは先程と変わらず冷ややかな視線を向けるが、彼に悪びれる様子はない。冒険者ではなく歌劇の役者でもやっていれば良いものを、魔女の娘の前で何者かを演じたところで銅貨一枚の稼ぎにもならんぞ、と彼女は胸中呆れた。


 ジェームスが関心を寄せる当事者とは、先日、キースとジェフリーが救助した女冒険者のことだ。名前はレイラという。断絶した西方の公爵ベスタブルク家派閥の有力領主のライエン伯爵の御令嬢。三〇年前に死んだはずの冒険者。


「間が悪いにも程がある」


 だが——とアデレイドは思う。冒険者たちの庇護者たる南方の辺境開拓地の冒険者組合長としてはどうかと言えば、自分の庇護下の冒険者達が不条理なことに巻き込まれる惧れは無いとは言い難い。

 改めて自身の責務を鑑みれば、確かに無関心ではいられないかもしれない。危ぶみを治めんと欲すれば、種子の萌芽は予め摘むべし。敵の本意ではなく、その器量に備えよ。


「外法を一度用いらば、以後は躊躇ためらわずか……」


 レイラは、伯爵家正妻の娘ではあったが、お胤が西方の公爵だった。単なる御令嬢であれば、誰も不幸にはならなかった。しかし、西方の公爵一族の中でも、当主の公爵の才能を受け継いだのがレイラだけであったため、身内にも敵が多く、内外問わず、その飛び抜けた才能ゆえに厄介者扱いとなった。

 才気溢れるレイラを狙って、煉獄の門の最後の魔物氾濫スタンピードを人為的に発生させた者がいた。彼女の才能に嫉妬した西方城塞都市の前冒険者組合|支部長ナッサス・ヴィルヘルム男爵の息子アウグステスバカ息子——現西方城塞都市の領主代行にして冒険者組合支部長アウグステス・ヴィルへイム伯爵——だった。


 深淵の娘たるアデレイドは、生来の能力により、この壊れた魔導具に関わった人間たちの記憶を当時の様子そのままに脳裏に再現することができる。

 半透明な映像として繰り返される様々な過去の記憶——関係者が織りなす挿話が彼女の視界に乱雑に並べられている。それらの映像記憶に、ジェームスが重なって見える。アデレイドは、ただ黙ったまま、それらを判然と眺めずともなく、ジェームスの顔をじっと見つめていた。


「アデレイド様。如何なさいましたか?」


 怪訝そうなジェームスの問い掛けに、ふっと、苦味を含む笑みを浮かべ、アデレイドが煩わしげに言い放つ。


「貴様も見るが良かろう」


 アデレイドは徒疎かにも彼女が心中で再現している膨大な過去視をこの伊達男に見せつけた。


「おおッ!何と!!」とジェームスは驚嘆する。初めての体験に心が震えるほどの喜びを感じているようだ。


 当時、アウグステスバカ息子は、次代の剣聖と呼び声の高かったレイラが、煉獄の門を少人数で攻略しようとすることを阻止し、名声に傷をつけるだけのつもりであったようだ。だが外法の魔導具ガラクタを売り付けた者は、レイラの抹殺を意図していた。

 小娘一人亡き者にするにしては、仕掛けも被害も大き過ぎた。中央王国の西方域の主要都市がほぼ壊滅したのだ。偶然なのか、魔物の備えとして造られた城塞都市は、何の被害も受けなかった。

 アウグステスバカ息子は間違いなく浅はかではあったが、自身の行為を大いに後悔した。売り付けた者も予想外の結果に愕然とした。二人の愚か者の所為で、王国の西方領域は一時的に荒廃したが、三〇年の年月を経て、新たな領主達の下で、復興を遂げた。今は、西方城塞都市を中心として、以前にも増して繁栄を謳歌している。



 アデレイドは呟いた。「落花枝に上がり難し、破鏡再び照らさず」と。



 煉獄の門は今や枯れた迷宮と呼ばれるようになり、魔物氾濫スタンピードなど、最早、誰にとっても歴史上の出来事に過ぎなかった。世人には自然災害でしか無く、人災などとは思い至らない。永らく生きた故ではあるが、アデレイドは迷宮からの魔物の過剰放出を屡々目にしていたこともあって、魔女の娘である彼女ですら迷宮の自然崩壊の一つとして、煉獄の門の最後の魔物氾濫スタンピードを記憶に留めることはなかった。


「ですが、アデレイド様はレイラ嬢の庇護を宣言されました。我々にとっては軽々しい事ではございません」


 その様にジェームスが指摘するも、アデレイドは張り詰めた笑顔で貌をめかしつけるだけだ。


 全く憎い奴だとアデレイドは少々不機嫌になる。


 彼女が深淵の娘たるアデレイドの名において、レイラを庇護するとギルド内で宣言したのは、一昨日のことだ。ジェームスは、その宣言を待っていたかのように、今日、この壊れた魔導具を冒険者組合の窓口に持ち込んだ。彼にとって予定外の事態にアデレイドを巻き込んで、事態を喜劇にしようという魂胆なのだ。


「貴様は、レイラの見た目が厄介とは思わんのか?」


 当時一七歳だった頃のままと言うのが頂けない。流石に、煉獄の門の魔物氾濫スタンピードによって命を狙われた当事者と言い張るのは厳しい。それこそ外法の使用を疑われる。隠し子という程度であれば無理筋ではないが、態々、面倒ごととなりそうな挿話作りなど蛇足に過ぎる。


「忠義に篤い者共が泣いて喜ぶかと」


 ジェームスは、自身の母方の血縁にあたる亡き西方の公爵の面差しを浮かべながら言った。


「巫山戯たことを……」


 アデレイドは、レイラが西方の公爵の実娘として、また剣聖として、過去の亡霊どもに担ぎ上げられる可能性を直ぐにでも潰すべきだと心に決めた。


「そもそもレイラの生死の如何は、貴様の目論見に何ら影響しないであろう?」


 ジェームスは肩を竦めた。鋭さを増したアデレイドの冷たい視線は、透明度の高い美麗さを感じさせる。彼にとっては、眼福であるのか、叱責の意味を込めたところで、無意味であった。


「物事は単純なほど間違いが生じ難い。相違無かろう?」


 当時の首謀者の意図が何であれ、三〇年前に外法の魔導具を使って、煉獄の門から膨大な魔物を発生させた証を手に入れたのだから。


「確かに余計な仕掛は加えず仕切る方が無難ではあります」


 ジェームスは已む無く肯定する。


「彼奴の首挿げ替えはついの事なれど……」


 アデレイドは少しだけ思考を遊ばせる。魔女の娘ならば、人間一人、村一つ、街一つ、砦一つ、領地一つ、国一つ、大陸一つ、滅ぼすことなど容易い。だが、それは彼女自身が望む事ではない。人の世の事は、人の法に従って、始末を付けるべきという拘りは捨てられない。とは言え、遣り様——事が成されるまでの過程——に依って首尾が変わる。


「煩い事は召喚事由と段取りの二つ」


 外法の魔導具を表沙汰にすれば、間違いなく正教会が動く。外法の回収と関係者の始末は三十一人衆が担う筈だ。だが落とし所が難しい。冒険者組合の根幹を揺るがす事態になりかねない。事件を引き起こした本人の死罪だけでは済まないということだ。王家も正教会もここぞとばかりに冒険者組合の首根っこを抑えにかかるだろう。それはアデレイドも含めて、大陸中の冒険者組合員の望むことではない。王国権力や教会権威に従わずにいられるのも弱き民草の守護者という建前があってのことだ。魔物氾濫を抑える役割の武装集団が自ら魔物氾濫を引き起こし、西方域の民人を苦しめたとなれば、その存在は危ぶまれるだろう。


「一切の関与無しとなり得るか否か……」


 冒険者組合は緩い共同体であるとはいえ、王都の冒険者組合本部は、支部に対する許認可や監査権限を保有している。何事かあれば、西方城塞都市の冒険者組合支部長本人だけを王都に呼びつけることは容易だ。だが召喚する事由は慎重に選ぶべき問題だろう。

 「外法使用の疑いあり」では、半独立状態の西方域全体の武装蜂起に繋がりかねない。「三〇年前の煉獄の門の魔物氾濫スタンピードに関する聞き取り調査」ということでは、延々と先延ばしにされることは明白だ。とうの昔に機能が失われた枯れた迷宮に関して、今更何を聞き取ると言うのか、誰であっても納得し難いことだろう。

 原理原則に拘る王都の冒険者組合副本部長が適当な理由付けで西方城塞都市の冒険者組合支部長アウグステス・ヴィルへイム伯爵を巧みに呼び出して処分することなどできるだろうか、とアデレイドは自問自答した。


「……及び難し」


 アデレイドは、珍しくため息を吐くと、先ほどから借りてきた猫のように大人しく長椅子に座っているキースに視線を向けた。


 レイラとは瓜二つ、と言える程に似ている。キースは孤児院育ちではあるが、断絶したと言われている西方の公爵ベスタブルク家に連なる者である可能性は高い。


「キースは如何に?」


 キースは、急に呼びかけられて、心臓が強く脈打った。アデレイドは、先ほどから魔女の娘としての力を解放していたため、魔女の眷属となったキースには、その力の放射がとても心地良く、傍に控えているだけで呆けてしまい、碌に話を聞いていなかった。


 はっと気を取り直すと、キースは少し間を空けて、普段通りの口調を殊更に意識しつつ、アデレイドの問いに答えた。


「レイラは、ジェフリーさんのになる人だから、騒動には関わらせたくないかな……。暫くは、僕らと一緒に魔物狩りだね」


 アデレイドはキースの返答に鷹揚に頷く。

 

「よかろう。レイラは西方城塞都市とは無縁。妾の孤児院育ちの駆け出し冒険者。キース預かりとしようではないか」


「えっ?」


 予想外の指示に戸惑うキース。大きな瞳をさらに見開いて、驚きの表情をアデレイドに向けた。


「不承知か?」


 上気した様子のキースを愛でながらアデレイドは僅かに口角を吊り上げる。少し弄るつもりのようだ。


「ジェフリーさんでは?」


「ジェフリーは運び屋。冒険者では無かろう?」


「それなら僕も冒険者じゃなくて迷宮遭難救助人サルベージャーだけど……」


「ジェフリーの客人は長旅が多い。その間、D.E.我が末妹に預けても良いのだぞ?」


 無論、そんなつもりは毛先ほども無い。彼女の末妹の性格は、気まぐれな外なる神々と大差が無く、世人の法から易々と逸脱するので扱い難い。


「うっ。それはダメかな……」


 キースは、D.E.ドロシア=エレノアは特に避けるべきだろうと即断した。レイラが人道から外れてしまう恐れがある。キースも心得ている。D.E.に感化されたクロエやミーアのような冒険者を見ている。南方の辺境冒険者組合の最強の剣士と最高の魔法使いと称えられる彼女たちは生きることが魔物を屠ること、生活の全てが魔物退治であり、最早、人とは言い難い。

 他人の人生に何かを押し付けるような立場ではないが、それでもレイラを迷宮から救助した者として、彼女には幸せに過ごしてもらいたいと願っている。

 

「尤も、ジェフリーが冒険者組合専属の運び屋など辞して、に復帰というのであれば、構わんぞ」


 悪い顔をするアデレイド。


「ジェフリーさんとレイラに相談するよ」


 キースは、アデレイドの悪気に満ちた笑顔に気圧され、慌ててそう返すと、立ち上がってその場を辞した。


「そうするといい」


 アデレイドはキースの後ろ姿を眺めながら満足げに頷いた。ふとジェームスを見遣れば、自分を興味深げに眺めていた。さてはて、美丈夫に見つめられても、何かを感じる事など微塵も無いが、芝居がかったセリフやら身振りやらを見せられるよりは悪くない。数拍の後、アデレイドは、ジェームスが意図する喜劇的演出は採用しないことに決めた。


「ライエン家御令嬢の死亡確認は済んだな。王都の冒険者本部にも本日中に伝達しよう」


「致し方ありません」


 ジェームスもレイラが生きていたことには驚いた。彼の当初の目論見通りであれば、御令嬢は死んだままの方が事態を掌握し易い。だが、ジェームスとしては、縁故のある西方公爵家の再興という目も残したかった。アデレイドを嗾けては見たものの、残念ながら彼女から色良い返事は得られなかった。

 そもそも王国の貴族たちにとって妾腹の娘の生死など取るに足らない。外法の魔導具が小娘一人を殺すために使用されたなどと、馬鹿げたことは誰も信じないし、事態を矮小化する可能性もある。アウグステスバカ息子たちのは台本通りにすり替えておくべきだろう。


「さて、発端のことだが、彼奴が西方域の簒奪を図って、外法の魔導具を使用したことにしようじゃないか。貴様の台本通りであろう?」


 その事実は正教会経由で王国貴族たちに悉知させれば良い。哀れにもそして偶然にも伯爵家御令嬢は巻き込まれて亡くなった。それが三〇年後の今になって、枯れた迷宮、嘗て煉獄の門と呼ばれた迷宮にて死亡が確認された。この外法の魔導具の最初の犠牲者とする物語を紡げば良い。王都で公演される歌劇の題材になるかもしれない。


「事実は歌劇の台本よりも奇なりです。私はアウグステスバカ息子を少々高く評価しすぎていた様です。私の読みは大きく外れていました。結果から逆しまに辿って、アウグステスバカ息子のことを野心家にして希代の謀略家と評定しておりました」


 ジェームスはその美しい眉を顰める。なるほど美丈夫の悔しさを滲ます表情も良いものだなどとアデレイドは無思慮なことを思い浮かべた。


「貴様は、権謀術数渦巻く王都の貴族として生まれ育ち、無能者では生き残り難い闘争に勝ち残って来たのだ。仕方あるまい?」


 アデレイドは、明明白白にして語るまでもない事実を口にした。取って付けたような慰めであろうとも、彼女が無慈悲な魔女の通り名で知られる偉大な魔導師にして、辺境の冒険者組合長なのだから、その言葉は千金の重さと価値に匹敵する。伊達男の口角が僅かに緩んだ。


「アデレイド様の過去視により、外法の魔導具に纏わる人々の記憶を垣間見せて頂き、驚愕しました。偶然とは実に恐ろしい。無能者を時代の寵児に祭り上げたとは……」


 今のジェームスは、芝居がかった口調も無く、仕草も無い。笑えない現実、不条理さを感じたのだろうとアデレイドは察した。人の歴史とは、往々にして、不条理なものだ。英雄譚で語られるような大義公義に駆られて達成された大事は極めて少なく、私事私怨、所謂、妬み嫉み僻みの積み重ねの結果に過ぎない。歴史とは賢者が紡ぐものではなく、大抵の場合、アウグステスバカ息子のような無能者どもが演じる喜悲劇なのだ。


「貴様にも無貌の神の哄笑が聞こえることだろう。外なる神々は、宿命にも偶然にも介入する。そうして愚者の狂宴を楽しむのだ」


 ジェームスには、アデレイドの語る無貌の神が如何なる存在なのか分からなかったが、彼女の虚空を湛えた眼差に身震いを覚えた。虚無縹渺たる深淵を覗き見た気分になる。


「さて……」


 アデレイドは、再度、ジェームスの筋書きを頭の中で検める。


 今、この場で、御令嬢としてのレイラの死亡を確定させることで、バカ息子を呼び出す当たり障りのない事由も決まった。アウグステスバカ息子は、レイラの生死を確かめずに冒険者組合支部の持分を抹消していた。レイラが遭難ロストして一年も経たないうちにだ。明らかに規約違反だ。西方域の混乱に乗じて手続きしたのであろう。冒険者組合受付嬢兼組合長秘書のモモに命じて、事前に取り寄せた資料で確認済みだ。


「今の副本部長が就任したのは一〇年前。それ以前は、粗忽者ばかりだったが、今は例の堅物か……」


 レイラ死亡確定の報告が本部に上がれば、副本部長は手続きを淡々と進め、過去の記録を遡り、手続きを一々完璧なまでに確認するだろう。レイラに関わる全ての権利帰属も継承手続きも残らず調べ上げる筈だ。


「レイラは王都の冒険者本部も認めし剣姫。ベスタブルク公爵家に連なる者。実家は領地を失い、法衣貴族に身を落としたとは雖も、家名は依然受継がれておる。故に手筈は御座形とは不成……」


 冒険者組合の持分名義の失効手続きは特に慎重に吟味されるであろう。レイラの持分抹消手続きには明らかな瑕疵がある。従って、過去の事例に倣うなら、持分比率一割程度の過料を支払う程度の軽い罰が課され、加えてから直々に譴責されることに疑いはない。


「今の世に本部長は名誉職であるが、中央王国のラーヴェンスベルク軍務卿が務めておるな」


 アデレイドが視線をジェームスに向ければ、ゆっくりと頷き返す。


あれとて中央王国の貴族なれば思消こと能わず。西方城塞都市を離れて、王都に行迎であろう」


 ここで要となるのは、微罪であるが故に、王都の冒険者組合本部からの召喚に応じ易いというところだ。西方域の人間の気質では、この程度の罰則で痛痒を感じることはない。召喚を無視するのであれば、冒険者本部がヴィルへイム伯の支部長としての既得権益を全て剥奪する可能性は高い。従って、損得を秤にかけるならば、過料に譴責、加えて王都への長旅を選ぶことに理がある。


 後は、西方城塞都市領主代行アウグステス・ヴィルへイムが王都滞在中、正教会から絶妙な間合いで、外法の魔導具を濫用したことで告発されれば、それでこの歌劇の幕は下りる。間合いが重要なのだ。そこまで至って、アデレイドは彫像のように佇んでいる伊達男に話しかけた。


「ジェームスよ。繰言になるが、毀れたる魔導の具物が、世人余すことなく肯首するような証たりえるか?」


 魔女の娘の根源力は、この世界の神々とは大いに異なる。アデレイドは神々の奇跡に全くと言って興味が無い故に神聖魔法の体系には不案内であった。果たして、正教会の司祭や司教が彼女と同じような過去視が可能なのかと怪しんでいた。


「大聖堂の審判の間にて検分させましょう。大司教たちを召集して、三人にをさせれば十分かと。アデレイド様はお誂え向きの人物と知己を得ておられるのでは?」


第五位枢機卿ヒルデガルドか……」


 ヒルデガルドは、信仰よりも現実を優先させて、物事を政治的に解決することを好む。西方城塞都市の武装蜂起も抑え込むであろうし、神聖騎士団が西方城塞都市に神罰をなどと騒ぎ立てることもないだろう。しかし、無慈悲な魔女の依頼では、ヒルデガルドも動き辛かろうとアデレイドは思案する。

 微妙な表情の変化で察したのか、ジェームスは普段の伊達男の佇まいで、辺境伯を仲介役として立てることを促す。


女辺境伯ヨハンナ様経由でご依頼されては?」


 領主とその地の冒険者組合長という組合せに何ら不自然さはない。冒険者が重大事態に遭遇した場合、組合長から領主、領主から正教会の管区長、あるいは王国宰相に報告という流れになる。


「さるべき申し合せ取り決めであるな」


 ヨハンナは彼女の弟子であることを公言して憚らず、正教会からの評判は頗る悪い。アデレイドは躊躇する。だが中央王国随一の財力を誇るだけでなく、王室に対する忠誠心も厚い辺境伯を無碍に扱えば、宗教勢力も含めて中央王国ミットヘンメルの鼎の軽重を問われる事態を招きかね無い。


「お気に召しませんか?」


 そもそもヒルデガルドの最大の後盾は、ヨハンナであることなど周知の事実であり、その関係に異議を唱える者などいない。枢機卿など各領主の利益の代弁者に過ぎないのだから。


「異存無し。貴様を使い役としよう」


「承りました」


 ジェームスは優美に一礼した。





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