第5話 万全の準備(改訂版)

 日の出前。不寝番のカネヒラとジェフリーが交代した。ジェフリーは朝食の準備にとりかかった。その朝食が出来上がるまでの間、カネヒラは少し横になる。


 ジェフリーは、焚き火の勢いを増すよう、マツの薪を焼べ、竈が燃立つのを待って、鉄瓶を火に掛けた。鉄瓶には、樽から汲み入れた浄水と乾燥させて細かく砕いた樺穴茸カバノアナタケ。火の勢いが増すにつれ、少しずらした蓋からしゅうしゅうと音を立てながら蒸気が抜けて行く。強火で煎じ、湯が濃いめに色づくころには、樺の香りが仄かに燻り、同時に茸の香気が漂う。


 彼は、食台の前に座り、下拵えを始めた。


 収納箱から玉葱を取り出して、 小刀で頭の部分を切り落とす。茶色い皮を根元に向かって引っ張り取り除き、 根元を切り、半分に、そして軽妙な音を立てながら薄切りにする。続いて、作り茸マッシュルームを手に取り、布巾で汚れを落とし、石突を切り取り、冊切にする。燻製にした鹿の肋肉リブを厚めに切り出し、全てを切り終える。食材を盛った木皿を手に竈へ。


 ジェフリーは、焚き火の前、台座に食材を置き、小ぶりで簡素な椅子にドッカリと座った。

 竈の中に設置されていた横長の五徳トライベットの上、柄付きの平鍋フライパンを置き、十分に熱する。橄欖オリーブの油を引き、燻製にした鹿の肋肉を強火で焼き始める。五徳上、平鍋を燃え上がる焚き火の中心から熾火の方へと横にずらせば、弱火となる。焼き上がるまでの火加減は、表面を強火で一六〇拍二分間ほど焼き目をつけてから弱火で二四〇拍三分間。裏返して強火で少し肉汁が浮き出るまで。そして弱火で二四〇拍三分間程度。肉を焼き終える。

 肉汁が残っている柄付きの平鍋にを牛酪バター を加えて、中火で薄切りにした玉葱と作り茸を炒める。玉葱が透き通り、作り茸もしんなり、となる頃合いに薄力粉を加え、しっかり炒める。苦味のある柑橘類を砂糖で煮込んだ糊状の調味料マーマレードを加え、 最後に岩塩と荒く挽いた黒胡椒で味を整えれば、掛け汁ソースは完成だ。その横で、昨日の夜に蒸した馬鈴薯と人蔘を、少し小ぶりの平鍋の上、軽く焦げ目がつく程度に温め直す。調理は滞りなく進み、ほどなく料理が仕上がった。

 木の皿には、厚く切り分けられた鹿肉の鉄板焼きステーキが載っており、玉葱と作り茸を使った掛け汁ソースが掛かっている。表面を少し焦がした馬鈴薯と人参が添えられ、乾燥させた旱芹パセリが振りかけられている。


 三人分の朝食が出来上がった頃、キースが目を覚ました。彼は、今日から始まる回収作業サルベージの中心ということもあり、見張りをせずに、昨日の夕食後直ぐに寝床に入っていた。寝床から起き上がると、顔を洗い、口を濯ぐため、洗い場が設置されている幌馬車の方に向かった。

 スッキリした様子で食台に戻って来ると、ジェフリーに朝の挨拶をして席に着いた。暖かいお茶が注がれた木製の杯カップを手にとり、一口飲むと、ほうと息を漏らした。

 キースは、食卓用刃物ナイフ刺し匙フォークを手にし、鹿肉を一口分切って、口に運ぶ。香草の香りが良い感じに滲み出てくると、思わず笑みが溢れる。


燻製の漬け汁ソミュール液を変えた」と少し自慢げなジェフリーも同じ様に鹿肉を食べ始める。


「今までのものより塩気が控えめ。こっちの方が好きかな」とキースが素直に感想を伝える。

 

「力自慢どもには、いまひとつの評判だ」とジェフリーが荒くれ冒険者たちをあえて引き合いに出す。


 寝起きのキースは油断していた。彼の仕草も話し方も歳若い女性のようだ。食事をする姿は、優美であり、どことなく品があった。この様子こそが、キースの素なのかもしれない。

 日頃から意図的に不屈タフ頑健マッチョな伊達男を気取っているのだろう。ジェフリーは遠回しに今のキースの様子を指摘するが、彼は食事に夢中なのか気づかない。


「キノコの掛け汁も美味しい」とキースは実に嬉しそうに食事を味わっている。鹿肉の鉄板焼きは彼の大好物。仕方ないのかも知れない。


「アタリだろ?」ジェフリーはニカッと笑う。


 満面の笑顔でキースも頷きつつ、食事を続けた。傍目からは仲の良い『父親と娘』が野営中に食事をしているような雰囲気を感じ取れるだろう。

 二人を知る者たちが見れば、奇妙な光景かも知れない。カネヒラが側にいれば、分かり易い合いの手を入れながら混ぜ返すはずだが、彼は未だ毛皮に包まって眠っていた。


 キースとジェフリーは朝食を済ませると、馬車に積み込んであった救助用の機材を運び出し、一辺が一〇肘呎クシャ(凡そ五米メートル)程の厚手の敷布の上に整然と並べていく。救助用装備を検め、降下および引き揚げ用の機材に不備がないかを確認するためだ。


 日が昇り、早朝の寒さが和らいだ頃、カネヒラが寝床から這い出してきた。眠気まなこで食台の前に座り、蝿帳を取り去って畳み、食事をとり始めた。温め直せば美味しく食べられるものを横着をする。自分のことは手を抜く男だ。彼は、キースとジェフリーの作業を眺めながら、温いキノコ茶で、冷えたリブステーキを流し込む。あっという間に朝食を終えると、食台の食器と柄つきの鉄鍋などを洗い場に運んでいった。


 キースとジェフリーが装備の半分ほどを検め終えた頃、三人分の食器と調理器具を洗い終えたカネヒラが戻ってきた。直ぐに装備・機材の点検作業に加わる。彼ら三人は、役割に応じて機材を分け、背負子に載せ、細綱で確りと固定。手際は良い。

 機材整備を終えたキースは、敷布の上で、胸当、手甲や足甲を外し、丈夫な革衣も分厚く硬い長靴も脱ぐ。手足の動きを制限されないためだ。柔軟で伸縮性がある素材で作られた黒色の内衣はピッタリと体に吸い付いている。丈のある柔らかな編み上げ式の長靴ブーツを履き、薄手の革手袋を背嚢から取り出した。そして引き揚げ作業中の墜落防止のため、安全帯ハーネスを身に付けた。馬革製の分厚く幅広の胴帯ウェストベルトと幅広い腿帯レッグループストラップが二つ。

 胴帯の締まり具合いを掛け金と尾錠で調整する。胴帯の上下には綱紐通しが5箇所それぞれに縫い付けられており、予備の綱紐を通して、二重天糸結びの要領で、更に確りと締める。また連結器具クイックドローなどの道具を下げるための革の綱紐ギアループが左右にそれぞれ2箇所、腸骨の辺りに小さな弧を描く様に取り付けられている。 

 腿帯は臀部の外側を回る様に釣帯で止められていて、その釣帯を背面の骨盤帯を絞って確りと固定する。左右の腿帯の周りを二本の留帯ストラップがぐるりと通っている。その留帯は、臍下の接続輪タイ−イン ポイントを通り、二つの腿帯の複数の輪穴を通し、二重の尾錠バックルで留められている。これにより二つの腿帯は鼠蹊部のあたりまで持ち上がっている。この安全帯は拘束具に見えなくもない。


「カネヒラ。検めて」


 キースはくるりとカネヒラの方に体を向ける。直ぐにカネヒラは安全具の状態を調べ始めたが、少し緩く感じたのか、怪訝な表情を浮かべる。


「痩せたんじゃないか?」


 カネヒラはキースの安全帯を検めながらそう言う。確かにキースの腰周りは半年前より細くなっていた。そのと言っては何だが、お尻の周りの肉付きが良くなり、綺麗な丸みを帯びている。カネヒラは「またちょいと女っぽくなったな」という言葉をかろうじて飲み込み、「身体に合わせて、冒険者組合長アデレイドに作り直して貰った方が無難だな」と言った。


「……」


 キースは少し不機嫌そうにカネヒラを睨む。身体に合わせてと言うのが気に入らない。近頃、理想の体型からますます離れて行くことに焦燥感を覚えている。意識したくはないが、目立って胸が膨らみ、腸骨が横に広がってきた。第三者から見ても、彼の髪型の所為もあるが、特に安全帯で胴が締まり、お尻の肉が持ち上げられて、強調されてしまうと、肩幅の狭い後ろ姿は、女性の様な嫋やかさを醸し出してしまう。


「お年頃だからな」とジェフリーがキースの後ろ姿を見ながら楽しそうに指摘する。


 その指摘は不本意であった。キース本人の嗜好や願望とは正反対マギャクの方向へ身体が変化し続けている。ここ数年、冒険者組合長アデレイドから女性化を止める薬を提供されてきたが、日毎に効果は薄れる一方だ。

 彼女曰く、『腺の働きは悪くないが肝の気のが整わない。秘薬の効力を相殺するが生成されたか、あるいはが過多なのか、もはや血を御するだけではおさまらない』とのことだ。要は、男のが体の隅々に正しく行き渡る前に変質している。キースにとっては解呪できない呪いデバフのようなものだ。


「むう……」とキースは膨れっ面を肩越しにジェフリーに向ける。


 キースの表情は「ちょっと可愛い」とジェフリーに思わせる程の効果があった。カネヒラの方は、何とも言えない生暖かい表情になっており、それを見咎めた彼が更に苛立った。意趣返しのつもりか、冴えない中年冒険者に突っかかる。


「カネヒラはお腹がでてきたんじゃない?」


 キースは冴えない中年冒険者の安全具の結束部分をグイグイ引っ張りながらやり返す。カネヒラの方は取り立てて気していない。「おっさんだからなッ!」と右手の親指を立て、顔の高さまで持っていくと、いい笑顔を返す。


「すっかりお年頃だ」とジェフリーが繰り返す。


 敢えて中年太りが気になるお年頃については詳しく語る必要はないだろう。


「むぅ」


「戻ったら神蜘蛛アラクネの素材やるから冒険者組合長アデレイドに新しい安全帯ハーネスを作ってもらえよ」


「……わかった」


 一通り戯れあった後、キースは、安全帯の調整を終え、薄手の革手袋を填め、なめし革で作られた袖なしの丈長い上着サーコートを羽織る。準備万端、相整った、とキースは気合を入れる。


「さあ、回収地点に移動しようか」


 そう言って踏み出そうした時、後ろから気の抜けた声がした。


「キースさんや。忘れもんだぜぇ」


 カネヒラが嫌味な笑顔を浮かべて、不恰好な兜を手渡そうとする。


「それは……要らないかな」


 キースは目線を泳がした。


 ——この装備にその兜は合わない。


 キースは、仕事中の装いにもこだわりを持っている。落石から頭部を守る装備は必要ではあるが、甲虫のような兜の造形に美しさを見出せずにいる。とてもじゃ無いが洗練されているとは言い難い。伊達男を目指している彼は、常々、この兜を身につけることを嫌がっていた。感性の違いだ。機能性と言う観点では優れているが、防御結界の呪符を内側に貼った狩人帽で十分に代替ができる。


冒険者組合長アデレイドのお手製兜だぞ」とジェフリーは腕組みをしながら迫る。


「身につけないわけにはいかないな」とカネヒラが嬉しそうに追従する。

 

 カネヒラは、この甲虫型の兜を被り、満更でもないという顔をしている。恐ろしく不恰好で滑稽さを極めていた。ある意味、冴えない中年冒険者にはお似合いなのかもしれない。戯れあいを引っ張るのはおじさんたちの常であろう。付き合わされる若者は呆れるしかない。


「竪穴を降りる時につけるよ」とキースは顔を顰めながら背負子の釣り金具に兜を引っ掛ける。


 ジェフリーとカネヒラは誰もみていないだろうにと思いながら顔を見合わせた。


 この不格好な兜は、甲殻類型の魔物の外殻を加工したもので、軽量でありながら、頑丈にできている。内側には、太い紐を編んで作った吊り床がある。隔離物として、兜と吊り床との間には、綿花のような繊維が詰め込まれた平袋が三つ挿入されている。それらは頭頂部と側頭部を覆う位置に固定されている。落石からの衝撃を和らげ、致命傷とならないようにするには十分な作りだ。


 キースが荷物を背負い、山刀マチェットを手にして、いよいよ出発と一歩踏み出すと——


「うおッ。不荷重布かッ」


 カネヒラが声を上げた。何事かと、キースがカネヒラの方へと視線を向ければ、空中に浮いている厚手の敷布の上、小柄なおっさんカネヒラが踠いていた。


「おっさんおっさん。そいつで遊ぶな。子供か?」とキースは呆れる。


 呆れてはいるが、今よりも若い頃に人目の無い場所で、この厚手の敷布を広げ、その上で飛び跳ねて遊んだことがあった。


「いや。遊んでないっての。畳もうとしたらこれだ。神印どこだよ」


 正教会の司教の祝福によって、この厚手の敷布には浮遊機能が付与されていた。凡そ六年前。王都でとして、キースが大聖人に纏わる聖遺物回収のために、正教会の教区長から借り受けた代物だ。浮遊の奇跡を発動させるのに祈りは不要。刺繍された神印に触れるだけで、誰でも簡単に使うことができる。

 通常の不荷重布であれば、三ヶ月ほどで祝福の効果が薄れ、浮遊機能が消失し、普通の敷布と何ら変わらなくなる。数年も祝福の効果が消えずに浮遊機能が永続するような品は珍しい。


「ああ、それか。見えないよ」とキース。


「嘘だろ……神代の遺物アーティファクト級じゃないか。雑に普段使いするなよ」とカネヒラが呆れたように応える。


緑玉板神の碑文を食器敷きに使っていた不心得者に言われたくないね」とキースがきつめに言い返す。


「そりゃ悪かった」


 二人は似た者同士である。


 ——そういえば深緑髪のヒルデ様はお元気だろうか。


 聖遺物回収の依頼主の名前が思い浮かぶ。


 聖遺物石棺をこの布に包み、教区長の目前まで運び込んだのだが、聖遺物以外は目に入らない様子であった。大いに喜び、涙ながらに感謝の言葉を連ねる教区長。彼女に気押されて、成功報酬や貸与された装備品などの処理については確認するどころではなかった。

 キースが不荷重布を返却する機会を失って、現在に至るまで既に六年が経過した。おそらく、教区長のヒルデを含む当時の関係者は、奇跡の効果がこれほど長く継続するとは思っていなかっただろう。


 ——別れの挨拶もできなかった。


 最後の依頼となった日のことを思い返す。大聖人の聖杯回収の依頼を受けたとき、深緑の教区長はキースのことを酷く心配した。御神託でもあったのかもしれない。

 キースに対する接し方には常々困惑することが多かったが、今思えば、彼のことを女性の冒険者だと思い込んでいた節があった。身体的な接触が多く、距離感が近かった。妹でも愛でるような接し方だった。何ともむず痒い気分。


 過去の思い出に引きずりこまれそうになるキースの目前には不荷重布と格闘するカネヒラ。何とも締まりのない光景があった。現実に引き戻されるにしても、僅かでも心地の良い情景はないものだろうか。


「はいはい。さっさと畳む。出発するよ」とカネヒラを急かせる。


 そうしてキースたち三人は、大岩の背後、三条の迷宮の最深部に直結している縦穴に向かった。


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改訂版ではISであることについて解像度を上げました。なおアデレイドの独り言はFeO3+ とCYP19A1についての説明です。

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