迷宮遭難救助隊

LMDC

魔女の娘たち

魔女の娘と迷宮の忘れもの

第1話 仕事の依頼(改訂版)

 ここは、中央王国ミットヘンメルの王都から南北に伸びる街道を下り、東西に連なる比較的低い山脈を三つほど越えた辺境の開拓地の冒険者組合ギルド。その一階に併設された酒場。


 冒険者組合長ギルドマスターが酒場に姿を現した。酒を飲みに来たわけではないようだ。十中八九、酒がまずくなるような|指名依頼を酔っぱらった冒険者たちに放り投げるつもりなのだろう。冒険者組合内の酒場では至極見慣れた光景だ。


 酒場にいた冒険者たちの何人かは自分の手元の酒杯に視線を落として背を丸める。冒険者たちにしてみれば、一仕事の後の一杯の最中、お偉いさんから声などかけてほしくない。もちろん冒険者組合長が来てはならないという定めはない。そもそもこの酒場の持ち主は冒険者組合長なのだから。誰かが犠牲になるまでは、冒険者組合長と目を合わせたら負けだ。


 如何にも魔女という身なりの組合長が優雅に酒場のテーブルの間をすり抜け歩を進める。見た目通りに性別は女性であるが、冒険者組合長に対して、ギルドミストレスなどと間怠い呼び方をする冒険者は一人もいない。組合長は組合長ギルマスなのだ。


 彼女がコツコツと小気味よく踵の音を立て進むその先には迷宮遭難救助人サルベージャーと呼ばれている特殊な仕事を受ける冒険者が一人で蜂蜜酒を飲んでいる。読んで字の如く、迷宮で動けなくなった冒険者たちを救助する役割をになっている。大抵の場合、彼と彼の仲間の仕事は、遺体や遺品の回収になるが、稀に命を繋いで、迷宮から救い出すこともできる。


 組合長の動向を伺っていた冒険者たちは、ほっとした様子で成り行きを見守る。


 冒険者たちの視線を集めている迷宮遭難救助人の名はキース。痩身であり、華奢という言葉が相応しく、撓やかで冒険者というよりは踊り手ダンサーあるいは吟遊詩人バードと云う方がしっくりくる体つきだ。目の細かい平織りの生地でつくられた枯れ草色の襯衣に濃いめ褐色のスウェードのような鞣革で作られたゆったり目の上着を羽織っている。厚手の丈夫な綿布でできた黒い軍袴に柔軟性の高い鹿皮の長靴という身なりだ。


 胴締には厚い馬革の雑嚢が二つ、刀身に厚みのある湾曲した短刀ククリ刀が二本ぶら下がっている。革鎧の胸当だけを身につけ、膝丈までの足甲で固めている。斥候などの職種を務める冒険者たちにありがちな風態でさして珍しいものではない。目を惹くのは本人の顔の方だ。


 キースの髪色はブルネット。ショートボブで毛先にいくほどに巻き毛となり、艶があってふんわりとしている。色は白く、目は瑠璃色。額は狭く、鼻筋はスッと通っており、小ぶりの鼻頭は美しく整っている。それらに加えて髭らしきものが全く生えていない。一見して凹凸の少ないスリムな女性に見える。しかし一般的な女性にしては少々背が高い。芝居がかった仕草や男性らしい歩き方は様になっているとは言い難い。


 キース本人は、女性に間違えられることを酷く嫌っており、タフでマッチョな見た目の冒険者になるべく、日頃から意識しているようなのだが、彼の努力が結実するのは随分先になりそうだ。誰が見ても男装の麗人である。

 

 組合長は、キースの背後に周り、左手を彼の右肩にそっと載せる。彼女は、彼の右耳に艶やかな唇を近づけると、小声で囁く。


「勇者一党が迷宮最奥で消息を絶った」


 透き通った混じり気のない声音は聴く者の耳元をくすぐる。放たれた言葉に不吉という以外の感想を持つことは難しい。彼女はフッと笑ったような吐息を漏らすと、優美な動きで彼のテーブルの前に周り、音もなく椅子に腰をかけた。先ほどまで態とらしくたてていた足音は全く聞こえなかった。


 キースが険しい視線を向ける。この五年の間、辺境の冒険者組合で、負傷することもなく、無難に依頼をこなし、卒なく働いている。 

 組合長とは既に互いに気兼ねするような間柄ではなくなっているとは言え、この眼差しは、上役に向けるべきではない。

 しかし剣呑な視線を向けられている本人は気にする様子も無い。度量が広いのか、他人の感情に無関心なのか、本人以外には窺い知ることはできない。


ご遺体の回収サルベージの依頼だ」


 この辺境の地には、無数の迷宮が存在している。正確を期するなら次々と新しく生まれる。調べ尽くされた迷宮もあれば未踏の迷宮もある。どんな迷宮であれ、冒険者が遭難ロストした場合、救助の仕事——大抵は遺体や遺品の回収——がキースに回ってくる。


 彼は、自ら冒険者から足を洗ったと公言しており、気が向けば遭難者の救助や遺品の回収の仕事を受けている。しかし組合長は、彼を引退させた覚えは無く、無理難題を押し付けては、専ら回収作業ではあるが、彼を仕事に追い立てる。


「今は勘弁してくれ……」


 キースは、蜂蜜酒の入った大きめの酒杯をテーブルに置くと、聴く者の耳に心地の良い綺麗な女性声で、組合長に応じる。


 組合長は、体をわずかに後ろに反らしながら、キースに視線を向けた。目深にかぶった魔女の帽子のせいで他の席の冒険者たちからは、表情を伺い知ることはできない。彼女の視線を向けられたものは、常に居心地の悪さを感じ、落ち着きがなくなる。彼女は身動ぎもせずに返しを待っていた。


 キースは、首を左右に振り、諦め顔で組合長に問いかける。


「五年間で三人だ。正教会公認の勇者ってはそんなにお安いものか?」


 キースは声を潜めて問いかけるが、組合長は応えない。只々じっと見つめているだけだ。キースはますます居心地の悪さを感じているようだ。


「正教会は免罪符並に勇者認定を乱発し過ぎ。連中の尻拭いなどあり得ない」


 その言葉に対して組合長は一瞬不穏な気配を発すると低めの声音で静かに尋ねた。


「正教会への批判は不要。勇者の遺体回収の依頼を受諾するか否か。疾く応えよ」


 目深に冠られている魔女の大帽子が邪魔で表情がほとんど見えない。だが素直に色良い返事を返さないキースに対し、組合長は苛立ちを覚えたのか、彼女の唇の形が不機嫌さを伝える。


 選択肢があるようで実際は無い。受けるという応え以外は許さないという雰囲気だ。自由な気風を愛する冒険者たちに対して、仕事を押し付け気味なのは彼女の悪癖であろう。

 

「如何に?」と彼女は煩しげに問う。


 魔法使いの大帽子の鍔を右手でくいッと持ち上げると組合長の顔が顕になる。


 酒場の仄暗い照明でも美しさが鮮烈に伝わってくる。十代半ばという印象だが、魔術師であり、しかも『妖精種』ということもあって、彼女はこの冒険者組合員の誰よりも遥かに年上だ。数千年を過ごしているとの莫迦げた噂もある。


 大きな眼は碧色であり、艶やかな髪はプラチナブロンドで仄かに輝いている。白桃色の健康的な頬。若干薄くもあるが優美な曲線を描く唇。高すぎず低すぎず形の良い綺麗な鼻が酒場の照明で浮かび上がる。その白い肌は透き通っているかにも思える。見る人によっては整いすぎて冷酷という印象しか持たないかもしれない。


 彼女の名はアデレイド。この辺境の開拓地を治める辺境伯の懐刀とか、辺境の大魔術師とか、無慈悲な魔女などと呼ばれ、神の恩寵に与らない『祀ろわぬ者』をこよなく愛する変わり者だ。南方の辺境の広大に広がる魔女の森という不可侵域を支配する神話上の存在である始原の魔女が産み落とした深淵の娘という噂もある。


 ちなみに彼女の下で働いている冒険者たちは、組合設立当初からの重要な構成員を除けば、彼女が実際に魔術を使うところを見たことがない。如何にも魔術師という風体が辛うじて魔術師であることを連想させているに過ぎない。日頃の彼女は、怪しげな魔道具を作り、突拍子もない効果の水薬を生成する錬金術師のイメージが強い。


 キースは、テーブルに置いてあった手甲付きの革手袋と革の帽子を手に取り、軽く頭を振りながら席を立つ。


「勇者が斃れたような難易度の高い迷宮はダメだ。無論、迷宮主が残っているなら尚更お断りだ」


 勇者が遭難ロストした厄介な場所だ。生半可な冒険者ではたどり着くことなど常識的に考えれば不可能であろう。キースは、最初から何も聞かなかったかのように、立ち去ろうとしたが、アデレイドが呆れたような表情を浮かべながら呼び止めた。


「粗忽者め。回収自体は容易いのだ」


 二人はじっと見つめ合うと、やがてキースが諦めたように「ああ、もうわかったよ」と言葉を発して、改めてアデレイドの前に座り直した。

 回収の仕事が容易いと言う事は、件の迷宮主は倒されており、その魔力は既に霧散し、内部には魔物が存在しない、ということだろう。キースも含め酒場に居合わせた冒険者たちには容易に想像できた。


 ——勇者が何者かと相打ち?


 厄介ごとが隠されているのは明らかだろう。キースが渋々場所を尋ねると、アデレイドは 憮然とした表情で返してくる。


三条みすじの滝の迷宮」


 キースは、意表を突かれ一瞬の間の後、信じられないという表情を浮かべて、アデレイドを見つめた。


「三条の滝」と彼女は機械的に繰り返す。


「聞こえてるさ。あそこは運が良ければ駆け出しヌーブでも最奥部に辿り着けるような迷宮だ」


 ——まあ相応の準備は必要だが、時間をかければ新人でもなんとかなる。ましてや優れた勇者に抜かりなどあるわけが無い。


 キースとアデレイドの周りのテーブルに座って酒を飲んでいた他の冒険者たちが騒つき始めた。


 「おいおい、マジかよ」「またか。また低難易度の迷宮か」「ヤバイ奴らが湧いてくるか」「五年前の再現とか勘弁してくれよ」「勇者ってあの美形の勇者くん?」「残念すぎる」「私、狙ってたんだけど…」「不味いぞ」「魔王が攻めて来る前に勇者が倒れちまったのかよ」「正教会やらかしたな」


 酒場にいた冒険者たちは、どいつもこいつも聞き耳をたてていた。仕事がキースに振られた以上は、自分たちは気楽な野次馬として、成り行きを楽しむことができる。


 アデレイドは、すっと立ち上がると、周りを見渡しながら、張りのある良く通る声で厳命する。


「お前たち!詮索無用。他言無用。了知せよ!」


 ざわついていた組合の酒場が一瞬だけ沈黙する。誰とはなく「わかった」あるいは「仕方なしだ」など口にするとまた何事もなかったように酒場は愚にもつかない会話で満たされた。


「キースよ。首尾良く為せ」


 そう言い残し、アデレイドは酒場の上階にある組合長の私室へと姿を消した。仕事の中身は何も説明されないまま、キースは厄介ごとを押し付けられただけだ。文句の一つも返すべきだったのだろうが、彼は只々アデレイドの背中を見送るしかなかった。実際、彼女は後見人のような存在であり、依頼については否やは無い。しかし、頭では理解していても腹落ちしない。


 暫くして、穏やかな声音と共に近づく者の気配がした。聴き慣れた声と柔らかい雰囲気。彼は、声の主に視線を動かすと、猫耳の獣人族の女性——白桃色の髪の毛をおさげにまとめた——がキースに話しかける。


「依頼の受諾書に署名をお願いします」


 彼女の名前はモモ。冒険者組合の受付嬢で、その中でも一番年若く見える。典型的な猫人族に違わず大きい瞳は昏い金色をしている。小さめの丸顔は実に女性らしく優しげで見るものの心を和ませる。しなやかな体躯は、嫋やかな曲線を描いて、地味な受付嬢の制服の上からでも荒くれ冒険者の扇情的な想像を掻き立てる。彼らの無遠慮な視線を惹きつけて止まない。


 彼女は、自分の見た目が優れた武器であることを理解しており、仕事においてその武器を十全に活用していた。見た目から想像できないほど強かだ。


 そんな彼女のお気に入りの冒険者の一人がキースだ。パッと見で女性にも見えるほど秀麗なところが特に気に入っている。多少、愚痴が多めだが、自らの管理能力に信頼を寄せるキースとの関係性は心地よく、手配師としての遣り甲斐になっていた。


 満面の笑顔のモモからキースは受諾書が止めてある木製の板と魔法の鉄筆を受け取ると依頼内容を確認すべく黙読する。


 ——勇者一党三名の遺体発見と回収。可能であれば聖剣も回収せよ。


 正教会なら骸よりも聖剣を優先するだろうという先入観の所為か、キースは依頼内容の優先順位に違和感を覚えた。加えて依頼料金が通常ではありえない額が記されていた。


回収サルベージの依頼料の桁がおかしい。高すぎる……」とキースが呻く。


 繰り返しになるが、三条の滝の迷宮は辺境の開拓地では初心者冒険者御用達として知られている。構造は単純で規模も小さく、迷宮核が健在でも、比較的弱い魔物の棲み家に過ぎない。先史時代のありふれた遺跡の一つだ。しかも冒険者たちによって細部にわたって調べ尽くされていた。


 当然、キースもこの迷宮の構造は熟知していた。滝の上流にある縦穴を使えば、迷宮の最深部からの引き上げであったとしても往復の旅程込みで五日もあれば十分という簡単な仕事の筈だ。その仕事量の割に依頼料があまりにも高すぎる。


 モモは、キースの左側に並ぶように立ち、彼の手元の書類を覗き込むようにしながら「依頼主をよく見てください」と依頼主の署名欄を指差しながらそう言った。


 ——ヒルデガルド……この署名……


「正教会南方統括の大司教で序列第五位の枢機卿。これ断っていいかな?」とキースが半ば諦めたようにモモに問う。


 モモはキースの態度が理解できないのか僅かに首を左に傾げた。彼女にすれば、今回の依頼主が途轍もなく高貴な人物であり、高貴な人物ならば気前が良いのは当たり前だ。


 しかしキースの脳裏に警報の鐘が鳴り響いていた。彼の表情は厳しい。勇者関連の案件は、国王の名で取り計らわれるべきコトで、正教会の教皇ならいざ知らず、大司教が直接何らかの働きかけを行うことなどあり得ない。


 今回の件は、冒険者組合に依頼が回るような事案ではなく、王国の騎士団が派遣されるような非常事態と言える。冒険者たちは、精々案内人や人足として騎士団に徴用されるというのが定番であろう。今回の依頼は、何もかもが、キースには胡散臭く思えた。


「何方と組んでも問題ありません。キースさんにお任せです。なお期限は本日から一ヶ月以内ですからね」とモモがキースの泣き言を取り合うこともなく仕事の期限を告げる。


 キースの表情は冴えない。今更ながら厄介ごとに巻き込まれたことを痛感しても遅い。ひとり酒を楽しんでいる最中に冒険者組合長のアデレイドが無理強いしてくる仕事が厄介ごと以外の何だというのか。


「緑髪の司教様なの?いやあり得ない……」とキースはぶつぶつと呟きながら受諾書に署名し、それを受付嬢に手渡す。


「よろしくおねがいします!」


 モモは溌剌としてそう言い残すと受付カウンターの奥へと姿を消した。

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