故人個人

バブみ道日丿宮組

お題:昔の青春 制限時間:15分

故人個人

 科学が進歩してなかった……(そういうわけではないが)時代、僕らはテレビゲームという存在はあまりしなかった。

 外で遊ぶ。

 おいかけっこや、縄跳び、スポーツといったものが主な遊びだった。個人的なのでいえば、お人形でおままごとだろうか(今もそのお人形は大事に飾ってある)。

 昔はそうであったが、今はゲームセンターとか、カラオケだとか、ボーリングだとか、ソシャゲだとか、ネトゲだとか、様々な遊びが広がってる。

 それは別に悪いことじゃない。

 親戚の子どもと遊ぶのは主にそういったもので、元気に遊ぶというのはなくなった。体力の低下というのもあるし、そこはよかったかもしれない。

 青春といえば、恋をまともにしてこなかったのは、残念だ。

 授業中にバイブのスイッチを入れたり、トイレで性行為にはげんだり、保健室で女子の測定を覗いたり、そんなピンク色のものを感じ取りたかった。

 もう一度やり直せるならば、小学校の時に思う存分楽しみたいと思う(犯罪だけど)。

 

 純粋におっぱいがもみたい。


 小学生なら、きっとできる。

 だから、青春のリメイクをお願いしたいが、こんな不良品なような自分をそうやったとしても、意味はない気がする。

 世の中にはもっと素晴らしい人がいて、惜しい人が亡くなってる。

 自分のような凡人に果たしてそういうのが意味を持つものなのか。

 昨今流行りの異世界転生で、強くてニューゲームがよくでる話だが、それは面白いのだろうか。もちろん、人生イージーモードであることにこしたことはないだろうが、青春という風に乗れてない気がする。

 まぁ……おそらくそういう思考が今の自分を作ってるのだろう。

 こんな落ちぶれた故人になることもなかった。

 そんな自分を泣いてくれる親たちには、感謝と謝罪しかない。

 このまま地獄にいくのだろうか、天国にいくのだろうか。

 迎えっぽい存在はこない。

 ただ自分の葬式を見るだけで、それ以上の変化はない。

 もしかすると、これを見て悔い改めよという神の計らいか。

 個人一人ひとりを認識してなそうだし、なさそう。

 青春時代にほぼ不可能である覗きが今の状態ならできるな。

 そう考えると、あとは決まったようなものだった。

 自分を発散できることはできないが、脳に焼き付けて興奮することはできる。

 それで死後の生活を楽しむとしよう(迎えがくるまで)。

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故人個人 バブみ道日丿宮組 @hinomiyariri

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