第61話 最後の審判の日が来た!

 岸根医師が何も言わずに、最後の骨髄こつずい穿刺せんし検査の結果を書いた紙を僕に見せてくれた。僕にはその紙が何だか死刑の宣告書のように思えた。僕は恐る恐るその紙をのぞきこんだ。手が震えているのが自分でも分かった。


 その紙には真ん中に何かの図と写真のようなものが載せてあって、その下に文章が書いてあった。文章の中に『m-RNA』といった文字が見えた。僕は必死になって『白血球』とか『異常』とかいった文字を探したのだが、見つからなかった。図の下の文章も僕には何が書いてあるのか・・難しすぎてさっぱり分からなかったのだ。


 こんな紙を見せたりせずに、もし検査の結果が『白血球に異常あり』ならば、はっきりとそう言ってほしい。こんなのって・・・何だか真綿で首を絞められているようだ。真綿で首を締める様な真似は止めて欲しい。そう思った僕はたまらず岸根医師に聞いた。つい叫ぶような声になった。


 「先生、こんな専門的な解説では分かりません。白血球は異常ありだったんですか?」


 岸根医師は意外そうな顔をした。そして、その紙のある一点を指で示して、僕にこう言ったのだ。


 「えっ? 見えませんか? ここに書いてありますよ」


 えっ? 


 僕は岸根医師の指先に視線をそらせた。何ということだ。さっきは何も見えなかったのに・・・岸根医師が指し示す、その場所には『白血球は異常なし』とはっきりと書かれているのが見えた。


 えっ?・・・これって・・・異常なし? ということは白血球は異常なし? やった! 白血球は異常なしだ!


 僕は極度な緊張状態にあったようだ。紙には明確に『白血球は異常なし』と書かれていたのだが・・・僕は緊張のあまり、その文字を読み取ることができなかったのだ。


 一度に肩の力が抜けた。そして、そのときの気持ちといったら・・・とても文字では書き表すことができない。安心した、やった、終わった・・といったいくつもの感情がいっぺんに僕の心にあふれ出してきた。そしてそれらと同時に、僕の胸に入院中のさまざまな出来事が一度に走馬灯のように甦ってきたのだ。


 本当にいろいろなことがあった。思い起こすと、不思議に治療の節目節目に大きな出来事が起こっていたように思われた。


 最初の薬を飲む投薬治療をしていたときには、右ひざの半月板を損傷して、1カ月近く歩けなくなった。第一回目の点滴治療では、入っていた805号室の天井から冷気が降りてきて僕を苦しめた。第二回目の点滴治療では、生まれて初めて受けた輸血によるアレルギー反応で苦しんだ。そして、最後になる第三回目の点滴治療では、抗生物質による耐性菌で僕は死ぬ思いを味わったのだ。


 いろんなことがあって、その都度、僕は本当に苦労した。しかし、よくあんな様々な苦労を堪え忍んで、今まで生きてこられたものだと思ったのだ。


 それから僕は最初に大学病院から、APL(急性前骨髄性白血病)ですと言われたときのことを思い出した。僕はすぐにAPLの生存率を調べた。生存率は40%程度だった。


 実はあのとき、僕には不思議な予感があったのだ。生存率は40%と高くなかったけれども、僕はこの病気から回復するという予感だった。それは予感というより・・・確信だった。僕はこの話の中で、小さい時から僕は何かを確信することがあったという話を書いた。その確信が、このときにも起こったのだ。


 僕は非科学的な論旨をここで展開しようというのではない。僕の仕事はエンジニアだ。自然法則に立脚して方程式を打ち立てて、それを解くのが僕の仕事だ。だからここには、淡々と事実だけを書き記しておきたい。


 事実として、APLと言われたときに、僕は『病気から回復する』という確信を持ったのだ。僕はこの確信を信じた。それが苦しい局面、局面で僕を勇気づけてくれた。もちろん、この確信だけが僕を退院へと導いてくれたのではない。しかし、この確信は僕の心の支えになったのだ。この確信が僕に生きる勇気を与えてくれたのだ。


 そして、そのように確信する僕を本当の意味で退院に引っ張っていってくれたのは、妻や病院の人たちに他ならない。僕を本当に退院へと導いてくれたのは、妻や病院の人たちなのだ。


 妻が僕を退院に導いてくれたのだ。


 そして、岸根医師や病院の人たちによって、僕は退院に導かれたのだ。病院とは今までにいろいろあったが、それでも岸根医師や病院の看護師さんが僕を退院に導いてくれた事実は揺るがない。岸根医師や病院の看護師さんがいなかったら、僕は今日ここに元気でいることはできなかったであろう。僕は岸根医師や病院の看護師さんに感謝した。


 さらに、この話には登場しなかったが、僕に関係するすべての人たちによって、僕は退院に導かれているのだ。僕は見舞いを受けることを固く止められていた。これは見舞いに来た人が病室に外の菌を運んでくるからだ。だから、病室に見舞いに来たかったが来れなかった人がたくさんいるのだ。そういった人たちの応援によって、僕は退院に導かれたのだ。


 岸根医師は四回目の骨髄穿刺検査検査の結果で、今後の僕の治療が大きく替わることを話してくれていた。もし『白血球に異常あり』ならば即入院だ。そして、今まで受けた抗がん剤の点滴治療とは異なる新しい治療が始まるのだ。しかし、幸いにも僕はこのコースにはならなかったわけだ。


 そしてその日岸根医師は、四回目の骨髄穿刺検査検査の結果で『白血球に異常なし』となった僕に、今後の治療の内容を詳しく説明してれた。


 それによると、僕はあと5年間は経過観察となるのだ。5年とは何とも長いが・・5年間、再発しなかったら、それで白血病は完治したと認定されるのだそうだ。その間、僕は定期的に病院の外来を受診しなければならない。そして、外来を受診するたびに血液検査を受けて、白血病が再発していないことを確認していくのだ。岸根医師は当面は1カ月半ごとに病院に来てくださいと言った。それで異常が無ければ、来院する頻度を2~3カ月に一度に替えていくのだそうだ。この5年間は特に薬を飲んだりすることも必要ないという話だった。


 それで5年間の経過観察措置の間に、白血球の減少が見られたら・・・また、再入院となって、新たな治療が始まるのだ。どんな治療になるかというと・・・僕は聞いたが、岸根医師は笑って答えてくれなかった。またいつもと同じように、「そのときが来たら、お話しましょう」とだけ言うのだ。僕も笑い返した。僕も話を聞くのは、そのときでいいやと思ったのだ。僕はもう何も考えたくなかった・・・


 こうして、僕の白血病の治療は、5年間の経過観察という新しい段階に入った。


 改めて僕は思ったのだ。


 僕は一人ではなく、妻や周りの人に生かしてもらっているんだと・・・


 そして、さっきの不思議な確信も実は妻や周りの人から与えられているんだと僕は思った。妻や周りの人の僕に対する配慮や気配りが、僕に『病気から必ず回復する』ということを確信させたのだ。ここにきて僕は長年感じていた不思議な確信の本当の意味が分かったように思うのだ。それは周りの人の配慮や気配りが僕に何かを確信させていることに他ならないのだ。


 僕はこの入院で多くのことを学んだように思う。


 今回の経験は、僕にとって初めての入院であり、初めての抗がん剤の治療であったが、こうしてすべてが終わった。終わってみると、なんだかとてもすがすがしい気分だった。やり遂げたという感があった。入院の半年間は長かったが、その一方であっという間に終わったような気もした。


 僕は外来の診察室を出ると、携帯を取り出した。僕の一番大切な人に連絡するためだった。それは妻だ。僕は妻に電話をかけた。妻は息を潜めて家で僕からの電話を待っているはずだ。妻がどんな気持ちで待っていてくれるのかと思うと、僕の胸は張り裂けそうだった。


 電話の呼び出し音が鳴ると同時に妻がでた。妻は黙って僕が口を開くのを待っていた。僕の胸に万感こみあげるものがあった。僕は妻に一言だけしか言えなかった。


 「無事に終わったよ」


 携帯からは妻の泣き声だけが聞こえていた。僕も泣いた。病院を出て、歩道を歩きながら、僕は泣いていた。歩道を歩く人たちが何人も驚いて僕を振り返った。僕は涙もふかず、携帯を握りしめたまま駅に向かって歩き続けた。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る