彼の香

くずき

彼の香

ピンク色に染める、伸びかけの爪。

はけを薄くして塗っていくのだと、妹は不器用で、要領の私に教えてくれた。だが、どうしたって色が均一にならない。

指先に息を吹きかけると、アルコールの香りが鼻をついた。

不意に、私の告白を聞いて、心底嬉しそうに笑ったあの人が横切る。

あの人からくれたものは、こうした意味のない時間に頭を巡る。

そうして、意味もないのに、少しでも綺麗に爪をぬっていく。

あの人が笑ったのは、私が告白してくれたことを喜んだわけではない。

ゆっくり息を吸うと、鼻の奥が痛む。

あの人は、告白されたことに、自分を認めてくれたことに、喜んだのだ。

あの人はまだ若かった。

手を伸ばした先、化粧水に指がぶつかる。反射的に腕を引っ込めるが、シワがより、歪なネイル。

まだ若いのなら、若いなりに素直でいてほしかった。

滲む視界の中で、彼の笑った顔が鮮明に浮かんだ。

「人間的には好きだよ。友達として仲良くしてくれてたら、次は俺から告白するかもしれないから」

辿々しく、低い声で紡がれた言葉。

次は俺から告白する、なんて人をふるときに言ってはいけないんだよ。彼は知らないんだろう、その言葉はまるで呪縛のように、人の心を縛ることを。

吐いた息の音が、嫌に耳につく。

あのとき、いくつも聞きたかったことがあった。

少しは私を好いてくれてた? 私が告白したのは、君のためなら寝ないで頑張れると思ったからなんだよ。もしかして、まだ元カノのこと好きでいるの?

どれもが喉に詰まって、出てこなかった。「好き」というだけで精一杯だった。

周りから、「そんな男よりも良い人いっぱいいるよ」という励ましの言葉はまるで、心に響かない。

私にとっての良い人は、他の誰でもない、彼なのだ。

アルコールの匂いが、鼻をつく。この匂いが、彼の匂いを忘れさせてくれる。

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彼の香 くずき @kuzuki

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