-私とおじさん- 喫茶店でブルマ(持ってない)を求められたと思ったら違う世界とのいざこざに巻き込まれてしまっていたんだけど。

ななないなない

私とおじさんの遭遇


…やばい。

…いや、まじでやばい。


 ひとつ空けて右隣の席に座ったおじさんが、さっきからじっとこっちの方を凝視してるのに私は気がついてしまった。

 くるくま駅の改札下にある喫茶店『三日月クレッセントムーン』のカウンター席で、アールグレイを嗜みながら、エリザベス朝の優雅なお姫様※エリザベス朝はそんな時代じゃないの気分になってゆったりと過ごす。

 これがここ三ヶ月くらい続く学校帰りの私の習慣だったわけだけれど。

 その三ヶ月で一番やばい状況だぞこれは。

 冷や汗だか脂汗だかよくわかんないけど、額に何か少し出てきてるのがわかる。脂汗のわけないか。私女子大生ですからね。脂汗なんて出るはずがないですね。脂汗って、主におじさんから出るものでしょ?そう、ひとつ空けて右隣の席からこっち見てくるおじさんみたいなおじさんから!


 にこやかにティーカップを口に運んでいた手が止まり、肩をすくめて縮こまり、緊張で引きつった笑い顔を浮かべながら、顔はまっすぐ正面に、瞳だけきょときょと右側を伺う哀れな私。   

 店長は私の危機を察してくれたのか、カウンターの向こうから食器拭きの手も止めて、じっと見守ってくれている。ありがとうございます・・・って、じっと見守ってるような状況じゃないと思うんだけど。


…私、何か悪いことした?


 思い当たるようなことはなんにもない。

 なんにもないぞ…

 とりあえず、おじさんにバレないように索敵してみよう。


 ふむ。おじさんと言ってもバリバリのおじさんというわけじゃなくて、だいたい三十手前くらいかな。お兄さんと言ってあげてもいいような気がするけれど、そんな義理はない。割とスラッとしている感じでかっこよさげに見えなくもないけど、服がなんだかしわしわくちゃくちゃ…。横にした人差し指を鼻の下に当てながら、なんか美術品を鑑定するみたいに、落ち着いた雰囲気でこっちを見てる。おじさん不審者なのに堂々とし過ぎだよ。これ立派な事案ですよ?


「あのお、おみずいりますかあ?」


 この、間の抜けた声! 

 店員さんの悠々ゆゆちゃん(無表情)が、おじさんにお水の確認をしてくれた!

 もしかして店長の指示?


――てんちょうは あわわ というかおで めをしろくろさせている


 だよね。違うみたい。

 店長って、人間的にはいい人だけれど、『いつもきてくれてる可愛い女の子が変な人に絡まれて困ってる!助けなきゃ!俺は店長だぞ!』なんて職責を重んじるタイプじゃない。客と一緒になって怯えるタイプだもんね。


「あのお、おみず…」


 悠々ちゃん(無表情)も大概だなあ…

 普通、一回聞いて返事がなかったらスルーして次行っていいんだよ…

 いやでも今この状況下では好都合だ。悠々ちゃんが変なおじさん気を反らしてくれてるその隙に、私はサッとどこかへ逃げちゃえばいい!っていうか逃げちゃおう!

 意を決した私が、おじさんとの間合いを確認するべく、一瞬瞳を右に動かしたその一瞬。私とおじさんは、ばっちり目が合った。


 私とおじさん目が合ったやばい。


…こらあかん。


 私は引きつった笑み(?)を浮かべながら、右へと顔を向けてしまった…

 いや、こうなったらもう仕方ないというか、自動的にそっち向いちゃうでしょう?

こういう時に目をそらせない性なんです私は。だから、頼まれごととか断れなくて、いつもつまんない思いしちゃうんだよね。

 そんなの今関係ない。


「おみず…」


 私とおじさんの緊迫した状況も、店長からほとばしる『あわわ…』のオーラも察することなく、水差し※お冷のピッチャ片手におみずおみず連呼する悠々ちゃん(無表情)。

 その好意(?)に、1㍉の反応も示すこと無く不動を貫いていたおじさんは、おもむろに腰を上げると、ひとつ空いてた左に席に移ってスムーズにさっきと寸分違わぬ美術品鑑定ポーズをとった。


 えっ、ひとつ空いてた左に席を移った?

 ってことは?

 私の右隣の空いてた席が、おじさんの席になったということで?


 私とおじさんゼロ距離やばい。


「あなたのブルマで、世界が救われます。」

「えっ…」

 おじさんは、私の顔をじっと見つめたまま、よくわからないことを言った。

 思わず汗笑顔で『えっ…』とか言ってしまった。

「あなたのブルマで、世界が救われるんですよ。」

「えっ…えっ…」

 繰り返されたってよくわからない。

 こっちだって『えっ…』を繰り返すしかない。

 ブルマって、あれでしょう?前時代の女の子が運動する時に履かされていっていう、よくわかんない物でしょう?紺色のやつ※紺とは限らない。そんなの、持ってるはずがないではないですか。

「ブルマはちょっと…持ってないです…ね」

 さっきまでの汗笑顔に、ちょっとだけご機嫌取りの笑顔成分を少し増した顔で、私は正直にブルマ持ってない旨を伝えた。話せばわかる。


「ブルマがない?」

 おじさんが、あからさまに失望した顔をする。

 本当に?とでも言いたそうな顔だけど、本当だよ。

「ブルマがないって、どういうことだ…?」

 こっちが聞きたいよ。

 割と小洒落た喫茶店で、可愛い女子大生と変なおじさんが『ブルマ』『ブルマ』って言い合う光景はちょっと珍しい。居合わせたお店のお客さんたちもようやく事態の異常さに気がついたのか、ちらちらこっちを観察してるのがよくわかる。舞台女優にでもなった気分ですね。っていうか、もっと早く気付け!


 絶望に打ちひしがれたおじさん。

 汗笑顔の私からようやく視線を外したと思ったら


「 ナンマドール に 厚 岸 草あっけしそう 」


   「 トリパノソーマ と すねこすり 」


  「 ブ セ フ ァ ラ ン ド ラ 電気椅子でんきいす 」


 「 ご ま し お ふ り か け オ ト ラ ン ト 」


  「 オンコセルカ に 駆 虎 呑 狼くこどんろう 」


…他にも何か言っていたけど、よくわからなかった。

…あとは最後、ふらふら店を出て行く時に大声でつぶやいた(?)

「あーあ!所長なんてクッキーになっちゃえばいいのになあ!」

という、よくわからないセリフだけ。


 私はもちろん、お店に居合わせた不幸なお客さんたちはもう首しか動かない。

 おじさんがぶつぶつ意味不明の言葉を並べ立てながら退店していくその様子を、首から上だけ動かして追うのが精一杯。みんなそろってポカーンと眺めていることしかできなかった。


じょろろろろ…


 悠々ちゃん(無表情)が、おじさんのお冷に念願のお水注ぎを成し遂げたと同時に

「あっ、あっ!お客さん!」

我に返ってお金を貰ってないことに気がついた店長さんが、おじさんの後を追ってすっ飛んでいった。







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