ことわざを食べに行ったときの話

僕は大学の頃に彼女ができた。

そしてデートといえばレストランでの食事だろうということで、彼女と行く前の下見をしに行った。

フレンチやイタリアンも良いが、僕はことわざを食べに行くことにした。

ことわざは僕のような庶民にも親しみがあり、決して敷居は高くないので、大学でもよくデートに使われていた。



店の扉を開けるとウエイトレスが迎えてくれた。

最低限の格好をした僕は窓際のテーブルへ案内され、メニュー表を渡された。

見ると料理の名前がひとつひとつお洒落だ。

『豚に真珠を添えて』

『泣きっ面~蜂とともに~』

数あるメニューの中から1つを指差し注文した。


「『馬の耳に念仏』をください。」


僕は『馬の耳に念仏』ということわざが好きだった。

いったい馬の耳に念仏を唱えなければならない状況とはどんな状況だったのだろうか。

お坊さんが馬に耳打ちするようにお経を唱える姿、それを見て周囲はどう思ったのだろうか。

さぞ滑稽だったのではないだろうか。

様々な想像を巡らせることができて非常に楽しいことわざだ。



しばらくすると運ばれてきた、真っ白な皿の上に置かれた馬の耳。

僕はそれを見た瞬間、異変に気づいた。

馬の耳に念仏がかかっていなかったのだ。

これではただの馬の耳だ。

『馬の耳に念仏』を注文したときは馬の耳よりもむしろ念仏のほうを楽しみにしているまである。

それが味気のないどこぞの馬の耳を出されてはデートどころではない。



デートの下見として、これは指摘しておいた方がいいなと思い、手を上げて「あの、念仏のソースがかかっていないのですが」とウエイトレスに伝えた。

ウエイトレスは一瞬驚いた顔をしたが、「いやいやお客様、ご注文は間違いありません。」と言うではないか。

このメニューのどこに『馬の耳の単品』があるのかと問いただすと、ウエイトレスは答えた。


「ご注文は『馬耳東風』で受けております。」


改めてよく見るとソースこそないが、馬の耳自体に本場中国だかの四川風だか広東風だかの香辛料だかスパイスだかがすり込まれているようだ。


「いや、絶対に『馬の耳に念仏』注文しましたよ!」


「と言われましても、確かにキッチンでも『馬耳東風』を注文されるお客様がいるなんて珍しいなぁと話していたんですよ。ことわざの店なのに四字熟語を注文されるなんて、フレンチレストランに行ってカレーライス頼むようなものだよね、と。だから間違いございません。」


「ちょっと伝票見せてください。ほら、注文は『馬の耳に念仏』で受けている!馬の耳違いですよ!」


「……わかりました、そんなにおっしゃるなら……」


ウエイトレスはカツカツとキッチンへ行き、再び戻ってきた手には何やら小瓶を持っていた。

それを躊躇なく馬の耳にかける。


「はい、これで念仏ソースがかかりました。」


僕は絶句した。

これでは『東風馬耳の念仏ソースがけ』ではないか。


「……もういいです。」


代金を置いて店を出た。

高い勉強代にはなったが、やっぱりちゃんとしたイタリアンにしようと思った。


「馬耳違いの客失い、か。」


ことわざはこうやって生まれるのだなと思った。

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