妙メモリー
みょめも
辞書を飼っていたときの話
大学生を卒業し社会人1年目の僕は、彼女がいるわけでもなく、学校が仕事になったこと以外は特に変わりない生活をしていた。
仕事が終わると、夕方のスーパーで値引きシールの貼られた惣菜を買って帰り、それをツマミにビールを飲みながらテレビを見て1日が終わる。そんな何でもない日々を送っていたときに高校の頃の友人から電話があった。
「辞書をもらってくれないか」
唐突なことで詳細を聞くと「知り合いの去勢していない辞書が重版したから、受け取り手を探している。もらってほしい。」とのことだった。
特にペットを飼うつもりはなかったのだが、友人の頼みを無下に断れず一冊だけと承諾した。
次の日から僕と辞書の生活が始まった。
引き取ったのは血統書付きの国語辞典で僕は『大辞林』と名付けた。
最初こそ接し方に戸惑ったが、次第に心とページを開くようになり、嬉しいときには『嬉しい』のページを開きフリフリと嬉しそうに振った。
お腹が空くと『空腹』のページを開くし、眠いときには『眠気』のページを開いたまま無防備に寝ていることもよくあった。
月日が経つにつれ、いつしか僕らはただの飼い主とペットよりも強い絆で結ばれていった。
しかしある時、あまりに言うことをきかない大辞林に、つい大声で怒鳴ってしまうということがあった。
大辞林の散歩中に、他所様が連れていた英語辞書にしがみつき興奮して腰を振ったことが原因だった。
「何やってんだ!やめろっ!」
大辞林は一瞬ビクッと驚き『悲しい』『謝罪』のページを立て続けにめくってみせた。
撫でてやるくらいのことはすべきだったのかもしれないが、『悲しい』から『謝罪』へとページが移るときに一瞬『興ざめる』で止まりかけた態度が癇に触り、大辞林を突き放すような態度をとってしまった。
帰宅後、様子を伺おうとゲージを覗くともうそこには大辞林の姿はなかった。
そのかわり、『ペット』のページが無造作に破りとられていた。
あれからしばらくして、この辺で大辞林に良く似た模様の英和辞典を見るようになったのは偶然だろうか。
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