手元にカボチャはない。つまり何も起きない
退屈というと勉強を教えてくれる先生に悪いのだが、そんな時間を終えて放課後がやってきた。
友人たちにカラオケにでも行かないかと誘われたが昨日あんなこともあったし少しゆっくりしたかった。
「まあそれもそっか」
「分かった。あぁでも無神経に誘ったわけじゃないんだ」
当然分かってるよ。
一応俺は渦中にいた一人だが、友人たちがそれを知っているわけがない。いくら無関係とはいえ近くで事件が起きたのだ、それを少しでも忘れさせるために遊びに誘ってくれたんだろう。その心遣いは本当に嬉しくて、俺は彼らという友人が出来たことを心から感謝した。
週末には友人宅でハロウィンを過ごすことにしているし、その時に思いっきり他に迷惑を掛けない程度に遊ぼうと約束して彼らと別れた。
「さてと、まだ冬ってわけじゃないけど冷えてきたしなんか温かくなるものでもコンビニで買うか……うん?」
コンビニで温かいコーヒーでも買おうか、そんなことを考えていた俺の前に男子生徒について行く亜利沙さんが見えた。
二人の男女、放課後、向かう先はおそらく屋上、この三つのキーワードでなんとなく何が行われるのかは予想がついた。
「昨日大変な目に遭ったばかりなんだから勘弁してやれよ……」
亜利沙さんと共に歩いてたのはサッカー部のイケメンで、確かあの姉妹と同じクラスだったかな?
……ったく、あんなことがなければ告白かよ頑張れで終わることなのに、俺は悪いと思いながらも気になってしまった。
「……ま、これもある意味縁か」
俺はバレないように二人の後について行った。思った通り向かった先は屋上で、意を決したように真剣な表情になって男子が亜利沙さんに体を向けた。
しっかり閉めないと少し開いてしまうボロい扉に感謝をしながら、俺は変なことが起きないようにと事の成り行きを見守ることにするのだった。
「亜利沙さん、俺と付き合ってくれないか」
ほらやっぱり告白だった。
あの男子はかなり人気者だったはず、俺のクラスでも彼のことを良いと言っている女子もそこそこ居たはずだ。だが、そんなイケメンからの告白への返事はバッサリだった。
「ごめんなさい。私には心に決めた方が居るのであなたとは付き合えません」
「……え?」
ふーん?
彼の信じられないような表情はともかくとして、亜利沙さんがそう返すとは思わなかった。誰だよ極度の男嫌いとか噂を流したやつは……ちゃんと好意を向ける相手がいるんじゃないか。
「断るための方便かもしれないけど」
「いや、実際本当なんだよねこれが」
マジかよ、それは凄い情報を……ってちょっと待て、今の声は誰だ? 俺は焦る気持ちを隠すようにギギギと後ろに振り向いた。そこにいたのは亜利沙さんに勝るとも劣らぬ美少女、その真紅の瞳に俺を映しながら佇んでいたのは藍那さんだった。
「……っ」
「静かに。声を出したら気づかれちゃう」
声を出さないようにと優しく俺の唇に藍那さんは人差し指を当てた。この行為自体にも混乱はしたけど、おかげでビックリして声を上げることはなかった。
「姉さんはすぐに戻るなんて言ったけど妹としては気になるわけですよ。結果は分かりきってるけどねぇ」
あの男は脈無し、そう言ってカラカラと藍那さんは笑った。そして彼女は再び俺に顔を向けた。
「君は何をしてるのかな?」
「……あ〜」
覗き見なんて最低だと、それくらいは言われると覚悟していたが藍那さんの表情はニコニコとしたままだ。
俺は少し言い淀んだものの、素直にここに来たことを話すことにした。
「……昨日大変なことがあったんだろ? それなのに今日いきなり告白ってどうなのかなって思ってさ」
「なるほどね。君は優しいんだね」
「……自分で言うのもなんだけど簡単に信じたな?」
「君は信じられる。なんとなくそう思ったんだよ。疑われるよりはマシでしょー?」
「それはたしかに」
疑われるよりは遥かにマシだなそれは。
さて、そんな風に藍那さんと会話をしていたけどどうやらあちらの話も進んだみたいだ。
「昨日のことを聞いて気が気じゃなかったんだ! 君の身に何かあったらと思うと俺は辛かった! だからもうそんなことがないように俺が君を守りたいんだ!」
こいつ性格もイケメンか?
必死な男の様子に亜利沙さんは何と返すのだろうか、僅かに開いた扉の隙間からじっと眺めていると背後に居た藍那さんも覗き込むように近づく。
「っ!?」
俺の背中に抱きつくように、その豊満な肉体を惜しげもなく押し当てるように。
「何を言っても姉さんは首を縦には振らないよ。脈無しだって人差し指向けて笑ってやりたい気分だなぁ」
「……あのぅ新条さん」
「おっぱい当ててるの恥ずかしい?」
めっちゃストレートに言ってくるやんこの子は! シャツとカーディガンに包まれたそれは俺の背中に当たって形を変えていく。手で触れているわけではないのに、その柔らかさは何故か鮮明に伝わってきてしまうのだ。
「離れてくれるとありがたいんですが」
「そうしたら私が見えないよー」
前に出りゃええやんけ……。
少し揶揄うつもりだったんだろう。クスクスと笑って体を離してくれた藍那さんはごめんごめんと言い、その後続けてこんなことを口にした。
「私も姉さんも同じ苗字だし、私のことは名前で呼んでくれないかな? その代わり私も君のことを名前で呼ばせて?」
それは別に構わないのだが、何というか大変恐れ多い気がしないでもない。何か裏があるのではと思ったものの、藍那さんが浮かべているのは純粋な笑顔だ。俺がその笑顔を見て本質を見極めることが出来るわけじゃない、けれど疑っても仕方ないし信じてみることにした。
「それじゃあ……えっと、よろしく藍那さん」
「呼び捨てでもいいのに」
「……それはちょっと」
「ふふ、今はいいよ。追々は考えてね?」
呼び捨てはもう友達の段階なんですわ。
俺は別に藍那さんとは友達っていうほど親しくもないし、こうやって会話をしたのも偶然が重なった結果だ。この先特にそこまで話をする機会はそうないだろう。
「それじゃあ私も。よろしくね隼人君」
「あぁ……って」
「どうしたの?」
「いや、俺の名前知ってるんだなって思ってさ」
美人姉妹として有名だからこそ藍那さんの名前は知っている。けれど俺の場合はどこにでも居るような一般人、それこそモブみたいなもんだ。それなのに彼女が俺の名前を知っていることに驚いたのだ。
「クラスは違っても同級生なんだから知ってるよ。それくらい普通じゃない?」
「……ごめん。俺下の名前知らない奴めっちゃ居るわ」
「あはは、これからは覚える努力をしたらどうかな?」
確かに一理あるな。俺は頷いた。
さて、そんな風に藍那さんと話をしていたがついつい屋上でのことから気が逸れていた。
「何度だって言います。あなたとは付き合えません」
「っ……分かった。ありがとう来てくれて」
マズい、あいつ走って出口に向かってきた。
急いで隠れないと、そうしようと思った俺を藍那さんが引き寄せた。突然のことでビックリしたがちょうど扉が開いて見えなくなる死角だったため、亜利沙さんに告白した彼に見られることはなかった。
「……っ」
「……近いね♪」
お互いの顔がとても近いこの距離、俺はたまらず彼女から距離を取った。息を整えるように軽く深呼吸をすると、藍那さんが屋上に続く扉に向かいながら口を開く。
「それじゃあ無様な告白劇は終わったみたいだし私は姉さんのところに行くよ。隼人君も見守ってくれてありがとね」
「見守るなんてほどじゃ……でも分かった。俺はこれで帰るよ」
「うん。またね♪」
ヒラヒラと手を振って藍那さんは亜利沙さんの元へ向かった。
俺はそれを見送り、取り敢えず変なことにならなくて良かったなとその場を後にするのだった。それにしても……良い匂いだったし柔らかかったなぁ、なんてことを思春期の男子高校生っぽく考えるのだった。
「……あぁ気持ち悪い! 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!」
「あ~あ荒れてるねぇ姉さん」
先ほど告白してきた男子に対し、嫌悪感をこれでもかと隠せない様子の亜利沙に藍那は苦笑した。ただ亜利沙の気持ちは藍那にも十分に理解が出来ることだ。何故なら男嫌いなのは藍那も同じだからである。
「私もよく告白されるけど本当にキモいよね。普段全く話さないのに脈アリとか思ってるのかな」
「本当よ。男なんて野蛮で下劣、下品な生き物よ」
「そうそう。お父さんはともかく、あの人以外の男なんて居る価値あるのかなぁ」
「ないわ」
藍那の言葉に亜利沙は速攻で言葉を返した。
あまりの速さに苦笑した藍那だったが、早く帰ろうと亜利沙を促した。
「私もそうだけど、藍那も相当男が嫌いよね。“手を繋ぐこと”すら嫌悪しているじゃないあなたは」
「だって気持ち悪いもん」
姉と違いいつも明るい笑顔を浮かべている藍那だが、その笑顔に隠されたもう一つの顔がある。それを知っているのは亜利沙と母親くらいだ。
「それに藍那は“クラスの男子の名前も覚えてない”でしょう?」
「必要ないもん」
名字は頭に入っているが下の名前は全く覚えていない、聞いたとしてもすぐに頭から消え去るくらいには興味がないのだ。
「まあいいわ。下らない時間を過ごしてしまったし早く帰りましょう」
「うん」
亜利沙に続くように藍那も屋上の出口へ向かう。
その途中でふと藍那は立ち止まった。ジッと見つめるのは自分の人差し指、さっき隼人の唇に押し当てた指の先だ。
「……ぱくっ」
何を考えたのかその指を口の中に入れた。
まるで飴を舐め回すように舌を這わせる。亜利沙が変に思わないように、気を付けながらビチャビチャと音を立てて舐め続けた。
「……これで妊娠できれば楽でいいのに」
そんな藍那の囁きは風に溶けて消えていった。
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