いつもと同じ/違う一杯

今福シノ

East

 いつの間にか、日付をまたいで帰宅するのが当たり前になっていた。


 静まりかえった帰り道を歩き、ようやくたどりついたワンルームの部屋。かばんを無造作に置き、スーツを脱ぎ散らかして、敷いたままの布団ふとんへと身体を放り投げる。途端に疲労が身体からじんわりと溶け出す。まるで布団と一体になっていくようだ。


 シャワー浴びて、歯みがいて、それから……。やるべきことが頭の中に浮かぶ。けれどそれらは眠気という波にさらわれて、すぐさま泡のように消えていく。

 ……まあええか、このまま寝てしまうか。思考がまどろみの中に落ちていく。眠りという深い暗闇に包まれそうになった瞬間、「ぐうう」と腹の虫が鳴った。


「……メシ、食うか」


 意識を覚醒かくせいさせるよう自分に言い聞かせてから、のろのろと起き上がる。手を伸ばし、鞄と一緒に床に置いたビニール袋から真っ赤なパッケージのカップ麺を――赤いきつねを取り出した。

 インパクトのある「きつね」の文字が描かれたフタをはがし、やおらお湯を注ぐ。


 帰宅後の深夜にこれを食べるのは、俺にとってのルーティーンと化していた。

 だからといって、毎日食べるほどカップ麺が、赤いきつねが好き、というわけではない。言ってしまえばこれは消去法。少しでも早く家に帰って眠りたいから外食はなし。じゃあコンビニで何か買って帰る、とはいえ夜遅くに弁当やおにぎりが残っているはずもない。結果、俺はいつもカップ麺の棚に手を伸ばす。


 たまには美味うまいものを食べたい。そんな気持ちはほとんどない。

 カロリーの摂取せっしゅ。空腹を満たす。俺にとって食事は、そのためだけの行為。


 5分経って、フタをはがす。かつおの香りが鼻の奥をくすぐって、無心だった俺の中に「食欲」という感情がぽつりと生まれた。


 そこから先は早いもので、時折ふーふーと息を吹きかけながらも、あっという間に完食する。麺を1本も残すこともなく。つゆまで全部。


「ふう……」


 ぽかぽかとしたあたたかさが身体の奥まで包み込んでいる。そんな余韻よいんひたるのもつかの間、再び眠気が襲いかかってきた。


 あかん、これは寝てしまうわ……。

 背中から布団に倒れこむと、まぶたがどんどん重たくなっていく。せめてアラームだけでも確認しておこうとスマホに手を伸ばすと、何やらLINEがきていることに気づく。


『久しぶりにこっち帰ってこれたりしないん?』


 茜音あかね……か。

 それは、恋人――遠く離れた場所にいる彼女からのメッセージ。ならばすぐにでも返信をした方がいい。だけど、


 ……眠、い。

 疲労と食後からくる睡眠欲にあっさりと敗北し。

 俺の意識は暗い水底へと沈んでいった。



 あくる日も、俺は仕事を終えて帰ってくる。なんと、日が昇っているうちに。定時退社? いや、そうではない。

 今日は日曜日だ。しかし当たり前のように休日出勤。いつもより早いのは仕事を切り上げられたから、ではない。こうでもしないと、曜日感覚すら保てなくなるからだ。


 とはいえ早く帰れたことには変わりないのだから、たまの息抜き、リフレッシュ――なんてすることもなく、今日も俺は真っ赤なパッケージのきつねうどんをすすっていた。


「ごちそうさまでした」


 いつもどおり残さず食べてひと息ついたところで、スマホの画面が点灯する。


『どうしたん? 風邪ひいたりしてない?』


 そういえば返信してへんかったな。


『ごめん、また忙しくて返信できてなかった。体調は大丈夫』


 茜音とは大学生のときから付き合い始めて、もう5年になる。だけど、ここ1年半は遠距離恋愛だ。理由は簡単、俺が仕事で東京に異動になってしまったから。


『ちゃんとごはん食べてる? 仕事忙しいん?』

『うん、忙しいけど、食べてる』

『年末年始はこっち帰ってこれそう?』

『たぶん難しいかな。仕事もどうなるかわからないし』


 遠距離になって以降、茜音とは会えていなかった。東京こっちに来たばかりのころは会いに行くことも考えたのだが、お互いの休みが合わない、というより俺が休みをとれなくて流れてしまい、今に至っている。なので、LINEを介したコミュニケーションが茜音と俺をつなぐ唯一の糸となっているのだが、


 何話してええか、最近はようわからんくなってしもたしな……。


 ぼんやりと、そんなことを思うようになってきていた。仕事漬けで灰色の毎日。話題なんてこれっぽっちも浮かんでこない。大学のころはあれほど会話も弾んでいたっていうのに。

 そのせいで、メッセージの頻度も下がりつつあった。無論、自分に非があるのはわかっている。ただ、仕事を言い訳にしているに過ぎない。


 ……そのうち愛想を尽かされるかもしれんな。


 次に来るメッセージは、もしかしたら別れを告げるものかもしれない。もしそう・・なったら――その時はその時だ。俺は、潔く受け入れよう。それが甲斐性かいしょうなし俺にできる精一杯の誠意というやつだろう。

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