少女銀盤

藤宮藤子

Prologue

何年も前から毎日毎日見る景色、毎日聞く氷を削る音。

毎朝4時に起きて練習に行って、終わったら学校に行って、帰ってきたらまた練習に行って。

そんな生活を繰り返して何年が経ったんだろう、それにしては随分とパッとしない。


「リリィちゃんダブルアクセル安定するようになったね~すごいすごい!」


と先生は褒めてくれてはいるが、小学六年生にもなってやっとこう言われるのはいささか遅すぎるということを最近になってますます感じている。


何故なら同じリンクで、世界に出ているリンクメイトが何人かいるからだ。



彼女の名前は、リリィ。

本名は島田りりさというが、物心付いたときからずっとリリィと呼ばれ続けた結果、りりさと呼ばれてもあまりピンとこなくなってしまった。島田って呼ばれるほうがピンとくるくらいだ。

年齢はあと二ヶ月で中学生になる小学六年生、12歳。


4歳の頃たまたま来たスケートリンクでスケートをして楽しくなり、それからずっとフィギュアスケートをしているものの、不器用でどんくさい故か有望新人発掘と呼ばれるような合宿にも行ったことがないし、飛べるトリプルジャンプはトウループとサルコウだけな上に安定しないと言った状態だ。


それでも毎日練習をしていれば、きっと出来るようになると信じて続けていたが最近はやはり厳しいという現実が見えてきたところだ。


そんな事を考えていたらダブルアクセルを失敗し転倒。嫌気が差して立ち上がらないでいたら、突然誰かがスライディングしてきて、氷の粉をふっかける。

驚いて叫ぶと、それはもうイタズラが成功したと言わんばかりの笑顔でにやけながら猛スピードで向こうへ逃げていくリンクメイトの姿が。


「あっはははリリィ、顔がおもしれーぞ!」

「うるさいバカ!」


と怒鳴りつけ、追いかけるがスピードが速すぎて追いつけない。


彼は坂木銀河、あだ名は銀ちゃん。リリィとは同い年でかつスケートもほぼ同時期に始めたが、銀河には天性と言ってもいい運動能力を持っているからか、アクセル含む三回転ジャンプを決める事ができ、今年の全日本ノービス選手権でも上位に入って全日本ジュニアに出場した。


疲れて銀河を追いかけることをやめると、背後で着氷する音が聞こえてその直後周りからの拍手と「柚ちゃんすご~い!」という声が聞こえた。


彼は高村柚樹、あだ名は柚ちゃん。一年前に大分県から引っ越してきた中学二年生でジュニアでトップクラスの選手。ジュニアグランプリシリーズ2つの大会でメダルを獲得し、ファイナルに進出。そこでも銅メダルを獲得した。数週間後には世界ジュニア選手権を控えている。


また柚樹がジャンプの助走に入るのを見ていると、今度はそばに風が吹いた。


「やったやった!トリプルルッツ出来たよ~!先生見てた?見てたよね!?」


とはしゃぎながらリンクサイドに滑っていく彼女の名前は、小野まち。

ひとつ下の小学五年生だが、身長が平均より低く未だに130cmも無い。

それにも関わらずスピードやジャンプ力は恐ろしく高く、ジャンプの助走に入ってるタイミングですれ違うと強風を感じるし、身長の倍ほど飛び上がる。


心の底の劣等感がむくむくと湧いてきて泣きそうになったので、再び滑り始めることにした。ひとまずスピンの練習をしようかと迂回したところで、ビールマンスピンをする男の子が目に入る。


「…本当に体柔らかいね…」

「まぁ、それしか取り柄ないから…」


彼は氷田冷生、一個上の中学一年生でノービスA2年目の選手。ジャンプは銀河や柚樹よりは劣るが、スケーティングが正確で尚且つ生まれつき体が柔らかい体質のためドーナツスピンやビールマンスピンも演技に取り入れている。


おまけにビジュアルもいいから、王子様とか言われてモテる。

まぁ、彼女がいるのだけれど。


「冷生く~ん、冷えたからちょっと休憩行こうよ~!」


そう言って冷生の手を引いて、リンクサイドへ滑っていくのは宮城聖子。


冷生と同い年だが、5月生まれのため既にジュニアの選手として世界に出ている。

ジャンプもアクセル以外の三回転ができてスピンも一切ブレがなくポジションも完璧で、解説者からも絶賛され、全日本ジュニアで表彰台に上がった。

ぐんぐん成長していてかつ美人でスタイルも良いとリリィにとっては羨ましい要素しかない。


そんな彼らを所属者として持つここ、黄昏フィギュアスケートクラブには今多くの選手になりたいと願う子が滑っている。


柚樹が来るまでは近年これといった有名な選手は出ていなかったが、それ以前…リリィや銀河が生まれた年に開催された長野五輪にはこのリンク出身で、今は専属コーチである安村佳奈代が出場したという唯一の栄光で成り立っていた。


それが今シーズンから数人大会で好成績を納めるようになったし、おまけに昨年は五輪シーズンだったために最近は「うちの子をオリンピックに!」という親や「自分も世界に行きたい」と願って教室に入る子が多い。


皆が皆そうなれるわけじゃない。

今級を持たずに滑っている子達のうち何人が今後級を取って大会で勝ってトップに立つんだろう。

何人が耐えきれずにやめていくんだろう。


実際今このクラブに残ったリリィと同い年の子はもう銀河しかいない。


あの子かな?と思ったら違う、この子は無理だろうかと思った子がトップに立ったり本当に分からない世界だ。


「リリィちゃん、考えてないで早く体動かしなさい」


と安村先生に言われて慌てて練習を再開する。


定期的に自分の中でネガティブになって動けなくなってしまう癖をリリィはどうにかしないといけない。

またおかしなことを考えてしまわないよう必死に体を動かすが、一度劣等感の苛まれた心身は思うように動くわけがない。


こうして今日もいつもと同じ練習風景だった。

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