track.39 霧島からの贈り物

 神剣 天羽々斬あめのはばきりで胸を貫かれて尚、最強の狼は最後の力を振り絞り、僕を切り裂こうと前足を高く振り上げる。

 もはや、天羽々斬は僕に道を示してはくれなかった。ノエルの叫び声が部屋中にこだまする。



 「アズマ、逃げて!! 殺される!!!」



 僕は一瞬頭が真っ白になり、自らの死を覚悟した。

 だが、後ろにいた霧島が、ついにその沈黙を破って声を上げたんだ。



 「いいえ、那木君の勝ちよ! 言ったでしょ……そんな狼になんて絶対に負けないって!」



 霧島の心強い言葉と共に、フェンリルに突き刺した天羽々斬が再び眩く光り始めた。

 そして、フェンリルは光が増していくに連れ、まるで電気でも流されたみたいに体をジタバタと震わせる。



 「天羽々斬は退魔の剣……邪悪な魔物を消滅するまで食らい尽くすわ」



 地団駄を踏んで苦しむフェンリルを前に、僕は剣の束を離して後ずさりする。フェンリルは倒れこんで断末魔のような咆哮を上げた。

 そして、最後にフェンリルは僕の後ろにいた霧島を見つめ、穏やかな顔で何かを呟いたような気がした。



 ――ハハ……やっと見つけたのにな。ロキシー……お前にも会わせてやりたかったぜ……」 



 僕が床にへたり込むと、巨大なフェンリルの体はどんどん小さくなっていく。

 やがて、突き刺さった天羽々斬が消えてなくなる頃には、あの大きな狼は元の人間の姿に戻っていたんだ。



 「……死んでる……のか?」



 アレックスはついに力尽き、この前の霧島と同じように裸体でうつ伏せとなっていた。

 僕は無慈悲に横たわるアレックスを見て、ゾッとする。

 ついさっきまで、彼から溢れ出る最愛の妹への思い、妹を殺したエルフたちへの憎しみを自分の事のように感じていたからだ。

 僕はそんな彼の命を奪ってしまったと思った。



 「心配しないで、消滅は免れたみたい。彼は根っからの邪悪な存在ではなかったから……」



 僕は霧島にそう言われて、胸を撫で下ろしていた。彼は人間ではなかったが、命を奪ったとなるとやはり堪えるものがある。

 確かに霧島への行為は許せないが、妹を殺されたことへの復讐心が彼を突き動かしていたんだ。もし僕が彼と同じ境遇だったとしたら、或いは……。

 横たわる寂し気なアレックスの姿に、僕と霧島は感傷に浸っていた。そんな僕らを労うように、ノエルが立ち上がって声をかけてきた。



 「二人とも、協力に感謝するわ。マリカはともかく、まさかアズマがあんな力を隠していたなんてね」

 「ノエル!? け……怪我は大丈夫なのか!?」

 「正体バレちゃったわね。エルフには傷を治癒させる力があるの。そんなことより、心配なのは彼女の方じゃない?」



 ノエルが僕に目で合図を送る。振返ると、やっとのことで意識を保っていた霧島が、フラフラと今にも倒れそうだった。



 「き……霧島! 大丈夫なのか!?」

 


 僕は慌てて霧島に駆け寄り、床へ崩れ落ちそうになる霧島を抱きかかえた。彼女は僕に柔らかに微笑みかける。

 


 「大丈夫よ……こんな怪我、あと少し経てば治るもの。それより……」



 霧島は僕の腕に手を置いて、リビングに立っていたノエルを見つめながら、心配そうに言った。



 「この人は……佐伯先輩はどうなってしまうの……? ならず者ではあったけど、本当は一人ぼっちの可哀想な人だった……」



 佐伯先輩ことアレックスは、人間社会へ紛れこそすれ、完全に解け込むことはついにできなかった。彼はどこまで行っても、フェンリルであることを捨てられなかったのだ。

 彼の生きる目的は、確かに妹を殺されたことへの復讐だった。でも本当は、フェンリルである自分を理解し、ただ抱きしめてくれる誰かを探していただけなのかもしれない。 



 「そうね、大英博物館秘宝庫への強盗に諜報機関のエージェントの殺害……これだけ派手にやってれば死刑は免れない……」



 ノエルが重い口調でそう言った瞬間、霧島の目つきが変わり、背筋がゾクッとした。

 おいおい、今度は二人で一戦おっ始める気じゃないだろうな? それくらい、霧島の怒りをひしひしと感じたのだ。



 「……と言いたいところだけど、最後のフェンリルは貴重な存在よ。君たちのおかげで生きたまま拘束できたし、英国政府の監視下にはおくけど、殺したりはしないはずだわ……。だから怖い顔しないで、夜の女神様」



 霧島の反応を見て、機転を利かせたのか。それとも、彼女お得意のジョークだったのか。霧島の前でそういうのは心臓に悪いから、やめて欲しいものだ。



 「同情する気持ちもわかるけど、こういう男はやめておいた方がいいわよ。さっきみたいなDV夫まっしぐらだから。アズマみたいな優しい人をおすすめするわ」

 「べ……別に、そういう話ではないの!」


 

 今度は明らかにジョークだったが、霧島は少し恥ずかしそうに語気を強める。

 だけど、とりあえず安心したのか、彼女は穏やかに微笑して胸を撫で下ろしていた。



 「それと那木君……言っておきたいことがあるの」

 「……へ、僕に?」



 今度は僕に、霧島はらしくもなく、照れ臭そうにもったいぶった感じで言った。こ……これはまさか!?

 彼女は穏やかな表情で、徐に僕の顔へ右手を伸ばす。そして彼女の小さな手は、とても愛おしそうに僕の頬を……。



 「イ……イテテテテテテ!? ひ……ひりひま(霧島)?」


 

 僕の頬を、溜め込んでいたもどかしさを発散するように、強い力でつねったんだ。



 「那木君、いつものことだけれど、今日の遅刻はいくら何でも酷すぎるんじゃないかしら?」

 「ご……ごえん(ごめん)、ほほにふるはれ、ひろひろはっらんら(ここに来るまで、色々あったんだ)」



 僕の謝罪がちゃんと通じたか分からないけど、霧島は僕の頬から手を放し、俯きながら更に言葉を続けた。



 「……軽音部に一緒に入ってくれるって言ったのに、私を一人で置いて行ったし……」

 「ごめん……だけどあれは決まりだったし」

 「それに……ここ何日か、全然話しかけてもくれなかった。美人の留学生に夢中で、天城さんとは一緒にお出かけまでしてたのに……」

 「ま……待ってくれよ! みんな不可抗力だし!」

 「……大嫌い」



 ど、どうしよう。普段クールな霧島からの非難が止まらないぞ。やっぱり、軽音部に置去りにしたことを根に持ってたのか……。

 しかしながら、考えてみれば、こんなナイーブな気持ちを面と向かって彼女にぶつけられたことが、かつてあっただろうか?

 霧島は散々僕に不満をぶちまけた後、再び僕の頬へと手を伸ばす。一瞬、またつねられるんじゃないかって、ドキッとした。



 「でも……大遅刻だけど来てくれたし、今日はこれで許してあげる」

 「……え? 霧島?」


 

 霧島は僕の頬を撫でるように軽くつねって、穏やかに微笑していた。

 そういえば、もとは霧島から呼ばれてここに来たんだっけか。僕は思い出したかのように聞いた。



 「そうだ霧島、今日僕をここに呼んだのって、まさか今のことを言う為……?」

 「……違うわ。今のはついでよ」



 そう答えると、霧島は僕の肩に手をかけてゆっくりと立ち上がった。僕は心配そうに彼女を制止する。



 「ちょ! まだ動いちゃ!」

 「大丈夫……少しそこで待っていて」



 霧島はおぼつかない足取りで、奥にある部屋へと歩いて行った。

 僕は首を傾げながら、すぐ目の前にいたノエルの顔を見る。彼女は耳の長いエルフから元の人間の姿に戻っていて、呆れた顔をして肩をすくめていた。



 「あーあ、もう見てらんない。初々しすぎて体中が痒くなりそうだわ……。私は先に行ってるから」



 そう言うと、ノエルは床に倒れていたアレックスをひょいと担いで、玄関の方へと消えて行った。

 素っ裸の金髪美少年を担いだ、妖精みたいな金髪美少女……あれはあれで、センセーショナルな光景だよな。

 

 

 そうこうしてるうちに、霧島が奥の部屋から帰って来た。彼女の腕には、大きな楽器のケースが抱えられていた。



 「霧島、それって……?」

 「どれにしようか凄く悩んだの。佐伯先輩も色々とアドバイスしてくれたわ……」



 霧島は部屋の電気を点けると、その黒い大きなケースを床に置き、僕の前でゆっくりと開けてみせたんだ。

 中には新品の茶色いエレキギターが入っていた。彼女は大事そうにケースからギターを取り出すと、照れ臭そうに僕に差し出したんだ。



 「もしかして……これを、僕に?」

 「フェンダー・ストラトキャスターよ……気に入ってくれるかは分からないけど、那木君にはこれが一番似合うと思ったの。受け取って……くれるかしら?」



 ギターには全く興味がなかったが、霧島が悩みぬいて選んでくれたこの贈り物が、嬉しくないわけないじゃないか。

 しかも、家族以外(毘奈も含む)の女性から、プレゼントをされるなんて生まれて初めてのことだ。色々な意味で感無量だった。



 「ありがとう……こんな高価なもの、凄く嬉しいよ。でも、何で僕にギターを?」



 すると、霧島は再び立ち上がって深呼吸をし、並々ならぬ覚悟を決めた様子で言ったんだ。



 「最初はあそこでギターを弾けるだけで満足だった。でも……何か足りないの。那木君にはきっと迷惑かもしれない……だけど、私は……」



 それはきっと、彼女にとっても家族以外の誰かに対しての初めての贈り物であり、彼女が他人に対して言った初めての我がままだった。

 今考えてみれば、ずいぶんな無茶振りをされたものだ。それでも、悩み苦しみながら変わっていこうとする彼女が、僕には愛おしく見えてならなかったんだ。



 「那木君……私は、あなたとロックがしたいの!!」 

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