track.38 フェンリルの秘宝

 最強の狼を前に、ボロボロの体で立ち上がった霧島。溢れ出る紫色の光が彼女の小さな手へと集約していく。

 アレックスは霧島の傷口から溢れる光を目の当たりにし、ノエルを蹴り飛ばして踵を返した。



 「聞いたことがある……。極東のフェンリルには、大昔から伝わる最強の神器を持っている奴がいるってな。単なる作り話だとは思っていたが、摩利香お前が……?」

 「夜を待っていたの。夜は私の味方……力を私に与えてくれる。もうあなたの思い通りにはさせない。私は自由を勝ち取ってみせる!!」



 気分が高揚していくアレックスを無視するように、霧島は淡々と言葉を紡いでいく。

 霧島には夜が似合った。夜は彼女の美しさを際立たせ、夜空に燦然と輝く月や星々も、或いは深い闇でさえも、全ては彼女の物のようだった。

 僕には霧島の言っていることが何となく分かる気がした。前に彼女が狼に変身したのも夜だったし、何より夜の青い闇を帯びた彼女は精悍で、恐怖を感じてしまうほど美しかったんだ。



 やがて、霧島から溢れた紫の光は、眩いばかり輝いて一本の剣の形を成した。それは実体こそないものの、見とれてしまうほど神々しくて、美しい刀剣だった。



 「へへ、益々気に入ったぜ、摩利香。伝説の極東フェンリルの秘宝を、まさか雑種のお前が持っていたとはな。その剣もろとも、俺のものになってもらうぜ!」

 「いにしえの時代、伝説の怪物を退治した神々の剣……神剣 天羽々斬あめのはばきり……あなたの邪悪な剣なんかには、決して負けない!」



 アレックスは興奮したのか、意気揚々と霧島目がけて斬りかかってくる。

 そして、その実体のない霊剣は、アレックスの渾身の一撃を刀身に触れた瞬間に弾き返したのだ。



 「な……何をしやがった!?」

 「天羽々斬は神々が創った退魔の剣……あなたの邪悪な剣など、触れることすらできない……」

 「く……雑種が! いい気になんじゃねー!!」



 体勢を立て直し、アレックスが左右から連撃を繰り出してくる。霧島はその場を動くことなく、彼の攻撃をいとも簡単に再び弾き返す。



 「……そして、この実体のない霊剣は……絶対に壊れない!!」



 完全に形勢が逆転したように見えた。力任せに魔剣を振り回すアレックスは、霧島に一太刀も入れることができないのだから。

 だが、それでもアレックスは戸惑いを見せなかった。霧島の様子を伺いながら、不敵に笑ったんだ。



 「よお摩利香、剣を受けているだけじゃ、俺には勝てねーぜ! それに、ずいぶんと息が荒いようじゃねーか?」

 「霧島……!?」



 アレックスの言う通りであった。霧島は確かに一太刀もあびてはいなかったが、負傷が酷くて攻撃に転じる余裕がないように見える。

 どうする? 僕なんかしゃしゃり出たところで、足手まといもいいところだ。だけど、霧島に守ってばっかりの自分を、僕は許せなかった。



 「そらよ! 足元がお留守だぜ!」

 「……くぅっ!!!」



 動きの鈍くなってきた霧島のか細い足を、アレックスの強烈な足払いが薙ぎ払った。

 霧島は崩れ落ちるが、床を転がるようにして必死に後方へと下がる。僕は我慢できず、霧島を受け止めて言った。



 「霧島、もう体は限界なんだろ!? だったら……できるか分からないけど、このままやられるくらいなら、俺にも手伝わせてくれ!!」

 「な……那木君、ダメ! その剣は!!」

 「たく、弱っちい人間が。部外者は引っ込んでな!!」



 苦しみながら戦う霧島を、助けたいって一心だった。すぐ目の前には、アレックスが容赦なく追い打ちをかけてこようとしている。

 そんな中、僕は霧島が制止するのも聞かず、彼女が握っている天羽々斬の束に触れたんだ。



 「な……なんだ!? 今度は何をしやがった!!? ……ぐ、ぐぅあぁぁぁー!!!!」



 その瞬間、天羽々斬は眩いばかりの光を放ち、目の前に迫ったアレックスをリビングの方へと吹き飛ばしたんだ。

 アレックスの体は頑丈な防犯ガラスを粉々に砕き、バルコニーの手摺へと勢いよく叩きつけられた。

 僕は何が起こったのか全く理解できず、呆然としながら霧島の顔を見る。



 「き……霧島、い……今のは一体?」

 「驚いたわ……並みの人間なら、触れることすらできない剣よ。それをあなたは、剣本来の力を……」

 「つまり……それって?」

 「そうよ、あなたはこの神剣 天羽々斬に選ばれたの。日ノ本を脅かす邪悪なものを打ち払う力に」



 天羽々斬を握り合った僕らは、吹き飛ばされたアレックスを見据え、二人で支えあうように立ち上がった。

 血だらけとなったアレックスも、怒りに震えながらゆっくりと立ち上がる。



 「ああ、もう許さねー! お前ら二人ともぶち殺してやる!!」


 

 アレックスの体から、血の色みたいな禍々しい瘴気が溢れていく。そして、その真っ赤な瘴気は、どんどん彼の体を覆っていくんだ。



 「霧島、これって!?」

 「ええ……あの人の本当の姿……」



 この光景には見覚えがあった。つい先日、霧島が巨大な狼に変身した時と全く同じようだったんだ。

 間もなく、真っ赤な瘴気は巨大な獣の姿へと形成されていく。人間など簡単に切り裂いてしまうだろう鋭い爪、鹿や猪を骨ごと噛み砕いてしまいそうな牙。その精悍な獣には、冷酷無比な赤茶けた瞳がギラギラと灯っていた。

 その姿は、この前霧島が変身した狼より一回りは大きかった。これが地上最強にして最後の狼……フェンリルの真の姿だったのだ。

 そして、フェンリルは僕らを威嚇するように、大きな咆哮を上げた。



 この前は、相手が霧島だったから元に戻ってくれたが、今度はそうはいかない。いくら伝説の神器があるとはいえ、あんな化物を僕らに倒すことができるのか?

 そんな絶望的な状況をよそに、戸惑い震える僕の手を、霧島の小さな手が強く握りしめた。


 

 「大丈夫よ……あなたは天羽々斬に選ばれた者。あんな異国の狼に、決して負けたりしないわ」

 「だけど、俺……剣道すら真面にやったことないし、どうやって……?」

 「戦い方は天羽々斬が教えてくれる……あなたはそういう剣を持っているの。私とこの剣を信じて!」



 そう言って、霧島は静かに剣の束から手を放し、天羽々斬を僕に託した。

 霧島にああは言われたが、全く持って自信がなかった。だけど、もう考えている余裕なんてない。この前みたいに夢中で向かって行くしか!



 「霧島を……お前なんかの好きなようにさせるかぁぁぁー!!!」



 僕は剣を正面に構えて、ただガムシャラに駆け出していた。

 最初は気のせいだと思ったが、いつもより体が軽くて速く動けているような気がした。

 しかし、数秒後にはそれが確信へと変わる。こちらへ向かってきたフェンリルが、僕を大きく前足で薙ぎ払おうとした瞬間、僕は咄嗟にジャンプしてそれをかわしたのだ。



 「痛てて! なんだこのジャンプ力は!?」



 いつもの感覚でジャンプした僕は、勢い余ってリビングの天井に頭をぶつけていた。なるほど、そういうことか。

 怒り狂ったフェンリルは、僕を切り裂こうと次々に鋭い爪を繰り出してくる。だけど、僕はその動きが手に取るように分かった。



 「……これなら、いけるかもしれない!」



 凄まじい勢いで繰り出される攻撃を紙一重のところで掻い潜り、僕はついにフェンリルの懐へと入り込む。

 躊躇ためらえば、こっちが殺される。僕は相手の生き死にが頭に過りつつも、無我夢中で巨大な狼の胸に剣を突き立てたんだ。



 「やった……のか?」



 待っていたのは、永遠とも呼べるほど長い長い沈黙だった。胸を貫かれたフェンリルは微動だにしないし、僕も動くことができなかった。

 後ろの霧島からは、何の音沙汰もない。フェンリルの懐に入り込んでいた僕は、剣を掴みながら不思議な声を聴いた気がした。



 ――……



 ――兄さん、東の日本て国にはね、まだ私たちの仲間がいるかもしれないんだって!



 ――極東の島国か、ずいぶんと遠いな……。



 ――私ね、いつか日本に行って、あっちのフェンリルに会ってみたい!



 ――おいおい、戸籍を偽装する必要があるし、大金もかかる。大体言葉だって通じるかどうか……。



 ――捕まったら、お終いだもんね。やっぱり無理かな……。



 ――……ちっ、仕方ねーな! 俺が何とかしてやらー!



 ――ホントに!? ホントに連れてってくれるの!?


 

 ――ああ、行儀良く待ってりゃ、そのうち連れてってやるよ。楽しみにしてな。



 ――わかったよ! いつか二人で日本に行こうね! 約束だよ、兄さん!



 ――……



 それは僕の先入観が見せた幻聴なのか、天羽々斬が見せた彼の記憶の断片なのかは分からない。

 だが、妹のいる僕にとっては、羨ましいほど和やかであり、残酷なほど幸せそうな兄妹の会話だった。



 ――ちっ、政府の犬どもが……嗅ぎつけてきやがったか。ロキシー早く逃げろ、ここは俺が!



 ――ダメよ兄さん、約束したでしょ? 一緒に日本へ行くんだって!!



 ――ロキシー、やめろ! こいつらエルフは秘宝の武器を持ってやがる! 如何にフェンリルでも殺されるぞ!!



 ――あなたたちに兄さんを……私たちの夢を潰させやしない!!



 ――やめろ! やめてくれ!! 行くな、ロキシィィィーー!!!!!



 ――……



 すると突然、呼吸を整えようと深呼吸した僕に向かって、負傷して倒れていたノエルが大声で叫んだんだ。



 「アズマ、まだ終わってない!! フェンリルはそのくらいじゃ死なないわ!!!」

 「……え?」

 「グルルルルルルルッ!!!!」


 

 フェンリルは部屋中が振動するような大きな咆哮を上げ、目の前の僕を不気味な赤い瞳で見下ろした。

 相手に剣を突き刺している僕は、すぐには動けない。勝敗は決したと思いきや、フェンリルの懐にいる僕に最大のピンチが訪れようとしていた。

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