track.32 ノエルと毘奈
毘奈は僕の大袈裟な反応に面を食らうが、すぐにそれがノエルに対するものだと理解した。
ノエルは不敵に立ち上がって、僕らのテーブルまで歩み寄ってくる。毘奈は少し顔をしかめた。
「こんなに可愛いガールフレンドがいるのだもの、私になんか構ってくれないのも当然ね」
サングラスを取ったノエルは、毘奈を舐めるように見ながら言った。
毘奈は些か戸惑いを見せるも、さすがコミュ力モンスター。柔らかに微笑み、すかさず言葉を返した。
「あなたがノエルさん? 本当に日本語上手なんだね。私は天城 毘奈っていうの。よろしくね!」
「ありがとう、ノエルでいいわ。私もヒナと呼んで構わないかしら?」
「もちろん。それにしても偶然だね。ノエル、良かったらお昼一緒にどう?」
おいおい、いくらノエルの素性を知らないからって、同席するのかよ? 僕は脂汗を流していた。
毘奈のお節介はやっぱり健在だ。毘奈の好意にノエルは快く応じる。
「一人で退屈していたの。それじゃ、お言葉に甘えちゃおうかしら」
「うんうん、皆んなで食べたほうが美味しいからね! 吾妻、私の隣に移って」
「ああ……うん」
毘奈は自然と僕を隣に来るよう促した。不幸中の幸いだった。ノエルが隣にいたら、動揺して食事どころじゃないだろうからな。
ノエルは僕が移動した後に、毘奈と向かい合うように座った。そして、唐突に言ったんだ。
「ところで、二人はいつから付き合っているの?」
「……ええ!?」
正直、聞かれてもおかしくないことだったのかもしれない。ただ、僕はノエルの出現に動揺していたのか、持っていた水を思いっきり服の上へこぼしてしまった。
すかさず、毘奈がバッグからタオルを取り出す。
「ちょっと吾妻、買ったばかりの服なのに。子供じゃないんだから気を付けて!」
「い……いいよ、毘奈! 自分で拭けるからさ」
慌てて僕の世話を焼く毘奈を見て、ノエルは興味深そうにクスクスと笑った。
「うふふ……やっぱりね、ヒナってガールフレンドというより、吾妻のお姉さんね」
「うん、まあね。私たちは幼馴染だから、姉弟みたいなものなのかな……」
「それじゃ、私にもチャンスはまだあるのかしら?」
「え……何が?」
テーブルに両肘をついて妖艶に笑うノエル。毘奈は首を傾げ、僕は息を呑んだ。
「私ね、吾妻のこと気に入っちゃったの。皆んなに怖がられてるけど、優しいし、可愛いところもあるしね……私のボーイフレンドにしたかったの」
「え……はい?」
全く持って、この英国人の美少女は何を言い出すか分かったもんじゃない。
僕は途端に凍りついてしまうが、毘奈は不意に笑い声を上げてノエルをまくし立てる。
「あははは……面白いこと言うんだね、ノエるん? でもね、吾妻ってこう見えて意外とライバル多いんだよ。そう簡単にはいかないかもね……」
「え……あ……ライバル?」
「うふ……ヒナがライバルなら、これは強敵ね。それとも、もっと手強いライバルが控えているのかしら?」
「ノエるんがどうしてもって言うなら、止めはしないけど。苦労すると思うなー」
「それは楽しみになってきたわ。ヒナが一目置く女の子っていうのも、会ってみたいな」
「ちょ……二人とも……どうしたんだよ?」
二人とも笑顔だったが、目は笑っていなかった。テーブルを挟んでのバチバチ感が半端ないんだ。
ノエルはともかく、誰とでも仲良くなれる毘奈らしくもない。何をそんなにムキになっているんだろう。
そうこうしているうちに、注文していた料理が運ばれてくる。二人は運ばれてきた料理に興味が移ったようで、一旦休戦となった。
「ノエるんは何を頼んだの?」
「ナスのサラダにテンペのサンドウィッチよ」
「テンペって、インドネシアかどこかの豆の発酵食品だよね……ノエるんってもしかしてベジタリアン?」
「そうよ、別に変なこだわりがあるわけじゃないんだけど、あんまりお肉は体質に合わないの」
そう言われてみれば、ノエルは欧米人にしては小柄で肉付きも僕らに近い。いや、均整の取れたモデル体型だ。
それにしても、彼女ともし結婚したら、脂の滴るステーキなんて食べさせてくれないんだろうな。僕はアホな妄想を膨らませた。
「うーん、うまーい!! こんなに単純そうな料理なのに、なんでこんなに美味しいんだろう!」
毘奈も注文したガバオライスを口に運ぶと、頬をほころばせて舌鼓していた。
僕はグリーンカレーってやつを初めて食べたが、これが見た目のわりに強烈な辛さなんだ。僕は水をがぶ飲みして、むせてしまう。
「吾妻、急いで飲みすぎだよ! 大丈夫?」
すかさず毘奈が背中を擦りだしたもんだから、それを見てノエルは再び声を上げて笑った。
「うふふ……やっぱり、ヒナはアズマのお姉さんだね!」
食事が一段落すると、毘奈はお手洗いで席を外す。僕は嫌な予感がした。
ノエルは相変わらず両肘をついて、まるで僕を吟味するように不敵な笑みを浮かべている。
「安心してアズマ、別にあなたを監視しているわけではないの。本当に君に興味があるだけ」
「きょ……興味……?」
彼女の意味深な発言に、僕は生唾を飲み込んで答える。早く帰って来いよ、毘奈。
「ヒナはキュートでいい子だけど、アズマにとっては家族みたいなものでしょ? そして、本当に気になる女の子は他にいる……」
「あはは……なんだよ、いきなり! 別にそんな子……」
昨日と同じだ。ノエルは無邪気に笑っているように見えるが、その仮面の裏には何か猟奇的なものが潜んでいる。
確かにこれは監視などではないのかもしれない。ただ、これは紛れもない彼女からの警告だったんだ。
どこに行っても、逃げ場などない。明日には洗いざらい正直に話してもらうと……。
――……キリシマ・マリカって言うんでしょ? 今度はその子を紹介してもらえないかしら?」
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