track.4 何故か彼女の家にお呼ばれされてしまった

 一体全体、何がどうしてこうなったんだ? 

 気が付くと、僕は霧島に連れられてとある高層マンションの入口の前に立っていた。



 「すげー大きいマンションだな、ここが霧島の家なのか?」

 「まあ、そんなところ。さあ、付いてきて」



 そうなんだ。僕はどこで何を間違えたかわからないが、あろうことか霧島 摩利香の家にお呼ばれされてしまっていた。

 僕は全くこの状況が理解できてなかったわけだけど、霧島のマジの顔つきからして、あの状況はとても断れる雰囲気ではなかったんだ。



 霧島はエントランスで暗証番号を入力し、オートロックを解除する。

 まあ、素人目から見ても結構な高級マンションだ。お金持ちなのかな、こいつの家?



 「霧島の家は何階にあるの?」

 「二十三階よ……」



 エレベーターの中で霧島はそう答えた。彼女はオンとオフの差が激しい。喋るときはもう止まらないが、喋らないときは本当に無口だ。まあ、喋るときは基本一方通行なんだけど。

 そしてここに来て、僕はある重大な事実に気付く。

 僕らは彼氏彼女でも何でもなかったが、出会って間もない女の子の両親に会うとか、僕にしてみれば相当ハードルが高かった。



 「ちょっと、何を立ち止まっているの?」

 「い、いや、だって、親いるんだろ? ちょっとばかし心の準備が……」

 「いないわ……そんなの」

 「そ……そうか、なら良かった」



 いや、全然良くはなかった。親がいないってことは、一つ屋根の下にこんな美少女と二人っきりになってしまうのか? 

 それはそれでかなり嬉し……いや、あくまでもそれは、普通の美少女であった場合だ。霧島と二人きりとか、色々な意味で不安がのしかかってくる。

 妄想しながら右往左往している僕を尻目に、霧島は鍵を開けて玄関扉を開く。中は薄暗く、人の気配はなかった。



 「さあ、入って、大したおもてなしはできないけど」

 「ああ……うん、お構いなく」



 霧島の後を追いかけて、僕は恐る恐る家に上がった。

 廊下を抜けてリビングに入ると、上半身裸で髭面のおっさんとか、ロン毛でパツパツのタイツみたいなスーツを着た外人、そういう類のポスターが沢山貼ってあった。

 間取りは4DKくらいあるのだろうか? 一見生活感があるように見えるが、部屋は寂しいくらい小ざっぱりしていて、家具なんかもテーブルや椅子だとか、ホテルみたいに最低限しかおいてなかった。

 そんな中にあって、やたら高そうなオーディオシステムと部屋の隅に置かれたエレキギターが、異様な存在感を醸し出している。



 「霧島、親はいつも遅いの?」

 「だからいないと言ったでしょ。ここには私しか住んでないの」

 「ええ! もしかして一人暮らし!?」

 「もしかしなくてもそう、何か問題でもある?」



 まあ、色々と問題ばかりなわけなんだけど、今は僕の男の子としての事情は一旦置いておこう。一番は、ただの女子高生が、こんな凄いマンションに一人暮らしをしているってことだ。



 「霧島んちって、もしかしてお金持ち? こんな広い部屋に一人暮らしとか、何だか海外セレブみたいだな」

 「そうね、否定はしないわ。でもね、どんなに広くて高価な部屋でも、ここは犬小屋みたいなものに過ぎないのよ……」

 


 なるほど、こんな凄い部屋が犬小屋とか、霧島の家はよっぽどのお金持ちなんだな……。

 霧島が儚げに呟いた言葉の真意になど、僕は全く考えが及ばず、ただアホみたいに感心していた。



 それでだ。僕が霧島の家にお呼ばれしたのは、何も僕とおうちデートするとかでも何でもなく、学校では消化不良であった二〇世紀におけるロックンロールの歩みを、実際の楽曲鑑賞を交えてより深くレクチャーする為だった。

 念の為言っておくが、僕はこの時点で彼女の説明してくれた内容の1パーセント程も理解している自信はなかったし、もうそれを白状できる雰囲気でもなかった。

 僕は本気にしてないが、仮にも霧島は学園最凶の問題児だ。壮大な糠の釘打ちをさせられているなんて気付いた日には、さすがに烈火の如く怒り狂うだろう。



 「持ってきたわ、まずは基本の六〇年代、ブリティッシュ・インベージョンを代表するビートルズ、ストーンズ、ザ・フーあたりから始めるわ」



 奥の部屋から抱えきれないほどのレコードを持って来た霧島は、ジョン・レノンみたいな丸メガネをかけていた。

 彼女は小さな手で、慎重にジャケットからレコードを取り出すと、最低でも数十万円はするだろう高級そうなオーディオシステムにセットする。



 「えーと、霧島って目悪かったの?」

 「わ……悪くはないけど、この方が先生っぽいでしょ? へ……変かしら?」

 「……エロい」

 「え? 何か言った?」

 「いやいやいや……その……そうそう、とてもエ……え、偉くて知性的な先生に見えるって言いたかったんだ!」



 霧島はキョドる僕を見て、首を傾げた。

 ふう、危なかったぜ。そういう冗談も通じなそうだから、些細な事で逆鱗に触れてしまうこともあるかもしれないからな。



 「ところで、何でレコードなの? 普通にCDで、いや……今はストリーミングとか便利なものが色々あるんじゃ?」

 「その頃の媒体で聴いた方が、当時の雰囲気が伝わってくるでしょ? それに、レコードの音ってどこか優しくて、懐かしい感じがして好きなの」



 そう言いながら、霧島はレコードに針を落とした。

 確かにCDやMP3と違って、その古めかしいインテリア調の大きなスピーカーから流れてくる音は、どこか柔らかくて温かな人間味を感じるものだった。

 霧島は僕がいることも忘れ、懐かし気で耳馴染の良いそのメロディーに聴き入っている。

 チラッと彼女の顔を覗き見ると、大きな窓から差し込む夕暮れに照らされながら、いつになく穏やかに微笑していた。



 ふーん、霧島ってこんな顔もするのか……。

 これがまた、うっとりしてしまうくらい綺麗なんだ。僕は流れている音楽そっちのけで、ボーっと霧島を眺めてしまっていた。

 


 「ちょ、ちょっと、なに人の顔をジロジロ見ているの? やっぱり眼鏡……そんなに変かしら?」



 あんまり僕が間抜け面して見惚れていたものだから、霧島は少し顔を赤らめて、握っていたレコードのジャケットで恥ずかしそうに顔を隠した。

 なにこの胸キュンな光景、反則じゃないの?



 「いやー! えーと、霧島があまりにも幸せそうな顔するからさ、ほんとに音楽……ロックが好きなんだなー……なんて」

 「そうね……ロックを聴いてるときは、凄く気分が落ち着く……自分が自分でいられる気がするの。私……ロックがなかったら、きっとおかしくなってた……」



 霧島はその場に座込むと、レコードのジャケットをとても愛おしそうに胸に抱えた。

 僕はこの時確信した。だいぶ普通とはずれてはいるけど、こんなに純粋で不器用で儚げに笑う女の子が、悪い奴なはずがない。陰謀論は陰謀論なんだ。



 「皆んなはさ、霧島のことヤバい奴みたいに言うけどさ……何て言うかさ、人って実際会って話してみないと、やっぱり分からないものだよな」

 「……そうね」

 「俺はさ、お前の嘘みたいな噂話なんて信じないよ。だからさ、お前の好きなロックのことはまだあんまりよく分からないけど、良かったら僕と――」

 「……嘘ではないの」

 

 

 レコードから針が外れて静まり返った部屋、さっきまでの温かなムードは、霧島の呟いた一言で一変する。

 何だろう? 急に背中がゾクッとしてきたぞ。



 「……え?」

 「私が事件を起こしたのも、停学になっていたのも全て事実よ。私はあなたが思うような女ではないの……」

 「で、でもさ! そうだとしてもさ、なんか理由があるんだろ!?」

 「今日は私の話を聞いてくれてありがとう……楽しかったわ。でも、もう終わりなの。私には近づかない方がいい……でないと私……」



 既に日は水平線の彼方へ沈み、霧島の体は夜の青い闇に染まっていた。

 闇を帯びた彼女のその姿は、まるで野生動物のように精悍で、そしてため息が出るほど美しかった。

 僕はその光景に唖然とし、息を呑んだ。陰謀論に騙されるな……っていう陰謀論には気を付けた方がいい。



 だってさ、本当に美しいものっていうのは、恐怖を覚えてしまうくらい鮮烈で、危険を孕んでいるんだから。



 「いつかあなたを……食い殺してしまうから」

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