track.2 生徒手帳を届けただけなのに……

 さて、どうしたものか……。



 霧島 摩利香については、「学園最凶」だの「人間凶器」だの「未来からの最終兵器」だの、信じるに足らない噂話が数多くあるみたいだけど、僕はそんな陰謀論を信じるつもりなど毛頭なかった。

 だけど、そんな危ない噂が流れるようなヤバい奴の生徒手帳を拾ってしまうなんて、僕は余程ついてないのだと改めて思ったよ。

 


 「やっぱり、届けるしかないよな……」



 次の日、僕は学校で彼女の生徒手帳を見つめながら呟いていた。



 その生徒手帳の取り扱いに困った僕は、昨日ダメもとで交番に届けに行ってみたのだが、警官に「君の学校なんだから、自分で届けなさい」と突き返され、真面目にお説教されてしまった。

 もういっそ捨ててしまえとも思ったが、さすがに良心の呵責に苛まれる。

 後にも先にも引けなくなった僕は、仕方なく霧島 摩利香の生徒手帳を彼女のクラスまで届けることにしたんだ。

 


 「えーと、クラスは……一年A組か、ちょっと遠いな」



 たまたま拾ったのが、生徒手帳でまだ良かった。クラスの誰に聞かずとも霧島 摩利香のクラスが分かったのだから。

 僕は胸をどぎまぎさせながら、廊下の遥か彼方にある一年A組へと進んで行く。昼休みに誰かを尋ねてこんな大遠征するなんて、高校に入って以来初めてだった。



 廊下で馬鹿騒ぎしてふざけ合っている男子に三回くらいぶつかられ、僕はげんなりしながらやっとこさ一年A組へと辿り着く。

 目的があるとは言え、知らない奴ばかりの別のクラスに入るのって、凄く抵抗があった。

 でも、考えてみれば、自分のクラスだってその点大して変わらないんだから、別に臆する必要なんてなかったんだ。



 「えーと、ちょっといいかな?」

 「ん……なんか用か?」



 僕はとりあえず、クラスの入口付近にいた二~三人の男子のグループに声を掛けてみた。



 「あのさ、霧島 摩利香ってどこにいるの?」

 「え……!?」



 僕が間抜けそうに霧島 摩利香の席を聞こうとしたら、そのグループの男子たちは一斉に目を逸らし、示し合わせたかのように黙りこくってしまった。

 なんだよ、僕がクラスで最底辺の陰キャラだからって、何も無視することはないだろ? しかも僕が周囲を見回すと、クラス中の奴らがみんな不自然に目を逸らすんだ。

 なんだこれ? 新手のいじめなのかよ? いいさいいさ、もう自分で探すから。小柄な子だし、結構苦労するかと思いきや、僕はすぐにこのクラスの異常を発見した。



 「んん……?」



 教室の遥か真後ろ、窓際の席に彼女はひっそりと鎮座していた。明らかにあそこだけ空気がおかしい。まるで結界でも張ってあるみたいに、あの周りだけ誰も立ち入ってない。キープアウトって標識が見えるようだ。

 僕はその光景を見て、思わず生唾を呑みこんだ。何か決して近寄ってはならないものに触れてしまいそうな気がしたからだ。



 「マジかよ……。ずいぶんと信憑性のある陰謀論だな……」



 一瞬躊躇しそうになったものの、せっかくここまで来たので、生徒手帳だけは届けておかなきゃならない。きっと周りの誰に頼んでも、無視されるだけだろうしね。

 僕は机と机の間を通りながら、ゆっくりと彼女の元へと向かった。皆視線を逸らしているくせして、背中には異様に視線を感じる。



 「あの……霧島……さんだよね?」

 「……」



 霧島はバッグを机に置き、音楽プレーヤーを眺めながらイヤホンで音楽を聴いていた。僕の声は聞こえてないかもしれないけど、少なくとも僕がすぐ前に立っていることくらいは気付いているはずだ。



 「あのー、霧島さん?」

 「……」



 彼女は微動だにせず、表情一つ変えない。これは無視されているな。なんだよ、一体このクラスはどうなってんだよ?

 いくら美人だからって、人を小馬鹿にするのも大概にして欲しい。さすがに僕もイライラしてきて、生徒手帳を彼女の机にでも放り投げて帰ることにした。



 「……もういいよ、じゃあ、これ置いとくからな」

 「……!?」



 と、僕がポケットから生徒手帳を取り出した瞬間、彼女の表情が一変して、酷く慌てた様子で僕の手から生徒手帳を奪い取ったんだ。

 彼女はイヤホンを外すと、僕の顔に刃物でも突きつけるような凄い表情で睨みつけてくる。

 おいおい、だから何なんだよ? これじゃ、まるで僕が彼女の下着でもポケットから取り出したみたいじゃないか。

 大体、こちとら親切で(だいぶ嫌々だったけど)落とし物を届けに来ただけなんだぞ。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはない。



 僕が霧島 摩利香の反応に酷く困惑していると、彼女もやっと落ち着いたみたいで、ゆっくりと静かに口を開いた。



 「こ……これ、どうしたの? 何であなたが持っているの?」

 「ああ……昨日帰り道で会っただろ? あの後道に落ちてるのを拾ったんだ」

 「そ……そう」

 「で……君の名前とクラスが書いてあったから、届けに来ただけなんだけど……」

 「そう……なのね、悪かったわ……」



 霧島 摩利香の挙動が何故かたどたどしい。昨日は怖いくらい毅然としていたのにね。今は目を泳がせている。



 「で……見たの?」

 「え……?」

 「な……中身を見たかと聞いているの」



 霧島 摩利香は恥ずかしそうに上目づかいで聞いてくる。ヤバい、可愛い……じゃなくて、あ、そうか、こいつは生徒手帳の中身を見られていないか気にしていたのか。

 まさか、この僕が見ず知らずの女の子の生徒手帳の中身を吟味するなんて、そんな趣味の悪いことするわけ……。



 「ああ! あのポエムみたいなやつ?」

 「だ、黙りなさい!!」

 「えぇ……!?」



 僕がアホみたいに素直に答えてしまったものだから、彼女は声を張り上げて拳を机に叩きつけた。

 教室の空気が一瞬で凍りついて、クラスメイトたちは震えあがった。僕は思わず腰を抜かす。

 そして再び物凄い険しい表情で、唐突にノートを取り出して何かを殴り書きし始めると、霧島は教室中に響きわたらんばかりの凄い音でそのページを破いて、僕に突き付けたんだ。

 

 

 「な……何これ、手紙?」



 わけも分らず、僕はその突きつけられたノートの切れ端を受け取り、さすがにこの教室の空気に耐えられなくなって、引き上げることにした。

 で、肝心の霧島 摩利香からのメッセージはというと、



 “放課後、屋上で待つ。必ず来ること!”



 とだけ書いてあった。

 まあ、この呼び出しの意味が、間違っても愛の告白の類ではないということくらい、さすがの僕でも分かる。

 むしろ果たし状に近いな、これは……。



 「あのバカ、霧島さんを本気で怒らせやがった……」

 「あ……あいつ、確実に殺されるぞ!」

 「わ、私は何も知らない! 見てない!」



 僕は運命の悪戯ってやつを心底呪ったよ。

 そして、何やら周囲から聞こえてくる物騒なヒソヒソ話を尻目に、僕は「何故こうなった?」と、頭を抱えながらその教室を出た。

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