第18話:志果たして――

 ここは志摩の本城――猿蟹城の一室。

 部屋の主は不在にしているが、彼の飼っている鷹はそのまま部屋に残されていた。毎日決まった時間になると、主に代わって色白の若い男が餌やりにやって来ることになっている。

「ほーれ餌だぞ~、そいっ、そいっ、ざんね~ん! あげないよ~」

 男は一日たりともこの役目を怠ったことはないが、鷹からはあまり好かれていないようだ。

 恐らくそれは、彼の意地悪な性格のせいだろう。餌を焦らされて鷹も堪忍袋の緒が切れたのか、不意に羽ばたいて鳥籠に蹴りをかました。

 ガンッ

 吊るされていた鳥籠は大きく揺れ、男の鼻っ柱をしたたかに打った。

「ギャア、痛った! なにするんだ! オレがなにしたって言うんだ!? 餌あげようか迷ってただけじゃないか!」

「なにしてんの?」

 背後から掛けられた声に、男はぎくりとする。

 そこにいたのは部屋の主――影狼であった。

「あ、いや……これは……」

「もう……麟丸だって怒らせたら怖いんだから、気を付けてよ。ともかく、麟丸の面倒見てくれてありがとね。チョメさん」

 影狼は荷物の整理を済ませると、早速机に向かって書をしたためた。

 此度の遠征の成果と帰郷の旨を、高見や羽貫衆の者たちに向けて書き綴った。

 あのあと、九鬼影虎は牙門の支配下にあった伊勢、家臣団を取り込むことに成功した。

 牙門松蔭の死は秘匿され、皇国には乱が無事鎮圧されたと伝えられた。皇国もまさか、影虎がこの一瞬のうちに伊勢を手中に収めたとは思わなかったのだろう。偽りの報告がもたらされると、間もなく軍を返して伊勢から撤退した。

 それほど長くは隠し通せないだろうが、伊勢の支配が固まるまでの時間稼ぎにはなりそうだった。九鬼家は束の間の休息を得たのである。

 手紙を書き終えた影狼は、手紙を小袋に入れて鷹の首に括りつけた。

 遠征に出る前に高見から預かった鷹。鳩のような帰巣本能はないが、特別な調教を受けていて、伝書鳩よりも正確に手紙を運ぶことができるという。高見は多くを語らなかったため、まだ謎の多い鷹ではある。

「またしばらくお別れだね。元気でね」

「ピーイ! ピュイー!」

 籠から出た鷹は、主人を振り返ることもなく、空高く飛んでいった。


 影虎はというと、まだ伊勢に残って多くの雑務をこなす必要があったため、志摩には戻らなかった。牙門の家臣団の処遇、天照大神宮の後任の祭主、諏方神社と照雲の処遇、神器をどうするか――などなど、まだまだ問題山積である。

 だから帰郷予定の影狼だけを志摩に戻したのだった。

「殿。本当によろしかったのですか? 若君に行かれてしまっては、九鬼家の跡継ぎはいなくなりますぞ」

 影狼が志摩へ発ったあと、老臣豊雲は気遣わしげにそう訊ねたが、

「これでいいんだよ。あいつは鴉天狗で育って、今は自分なりの意志を持った一人前の男だ。今さらオレがしゃしゃり出て、邪魔するわけにはいかねぇだろ」

 特に執着する様子もなく、影虎は言うのだった。

「血の繋がりは大事だけどな……足枷になっちゃいけないんだ。オレは今まで自分の好きなように生きてきたし、影狼にも好きにやらせてやりてぇ」

 それから縁側に出て、空を旋回する鳥の群れを眺めながら、つぶやいた。

「にしても、立派に育ったな。いつか鵺丸隊長に会う時が来たら感謝しねぇと」

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