第6話:牙門神兵

 八月二十四日。志摩のほぼ全域を制圧した影虎は、続けて伊勢国への侵攻を開始した。

 元々、この戦は牙門への復讐戦。旧領の回復が目的であるにしても、牙門がこのまま黙っているはずがなく、これを打ち倒さぬことには戦が終わらぬことも確かである。牙門が反撃に転じる前に、その勢力を削いでおこうというのが影虎軍の狙いだった。

 影虎軍は総勢四千五百。阿近神楽らの海賊衆、平山永雪は志摩に残った。

 伊勢に侵攻する軍の中には、影狼の姿もあった。

 駿河を出航した時は、志摩を取り戻したら帰るつもりでいたが、「これから宿敵との一大決戦が控えているという時に一人だけ帰るわけにはいかない」と言って、残ることを決めた。自分が帰ってすぐにまた志摩を奪われては、ここまで来た意味がないし、東国同盟からも十分な戦果として認められないかもしれない。

「別にお前一人がいなくなったところで、牙門なんかに負けやしねぇよ。オレを誰だと思ってんだ。九鬼家の影虎様だぞ!」

「知ってるよそんなこと……」

 影狼が戦場に留まることは、むろん父影虎の望んだことではなかった。伊勢に向けて進発してからも帰れ帰れとうるさい。しかし影狼は今回も引き下がらなかった。

「オレがいなくなると、父さん絶対無茶するでしょ」

「馬鹿野郎、オレたちは戦をしてるんだぞ。無茶もなにもねぇよ」

 そう言われると影狼も言い返せない。幸成の助けがあったからよかったものの、実際、影狼自身かなり無茶な戦いをしてきた。人のことを言えたものではない。

 影狼はムスッと口をつぐんだまま、そっとその場を離れる。

 ふと、影狼の耳にささやく声があった。

『なんだか、またギスギスしてきたな……まあ、駿河を出る前に比べれば全然マシなんだけど』

 幸成の声。影狼が耳にするのは志々答島を出てから初めてのことだった。

「幸兄……必要な時以外は話しかけないでって、自分で言ってたじゃん」

『ああ、ごめん、つい……』案外そっけなく返されて、幸成はちょっと悲しそうだった。『でも、妙な感じがするんだ。霧のせいなのかな……今日はやけに調子がいい』

 昨日の夜が涼しかったからか、辺りにはうっすらと霧が立ち込めている。油断したら、自分がどこにいるのか分からなくなってしまいそうだ。

 朝のうちに、影虎軍は志摩と伊勢の国境にある岩屋戸川いわやとがわに辿り着いた。

 この川は浅く、中ほどまで進んでも膝が浸かるほどの深さしかない。しかし遠い昔の時代には、河と呼べるほどに大きな川が流れていたという言い伝えが残っている。河原の広い範囲に無数に転がる巨石は、その名残りとも言われる。

「ここを渡れば、いよいよ伊勢ですな」

 老将が言うと、影虎は霞がかった川の向こう岸を見つめながらつぶやいた。

「待ってろよ親父……今、無念を晴らしてやるからな」

 川が浅いとはいえ、霧で視界が閉ざされた中での渡河は危険が伴う。こちらの伊勢侵攻が読まれているとしたら、すぐこの先で敵が待ち構えている可能性もある。影虎は前線偵察の報告を待って渡河することにした。

「まだかな……」

 静かに待つこと十数分――なんの動きもないことを、影狼は不安に思った。

 だが幸成の方は、また別のなにかを感じ取っていたようだ。

『影狼……やっぱりここは変だ。なんと言えばいいのか……静かすぎるような』

「……? みんな静かにしてるからでしょ?」

『いや、そうなんだけど――』

 音が――太鼓の音が聞こえてきたのは、その時のことだった。

 初めは小さかったが、周囲の岩々に反響しながら、だんだんとはっきり聞こえるようになる。

「敵か!?」

 兵たちがざわめく。だがそれも一瞬のこと。すぐに彼らは、霧の向こうに潜む異様な気配に呑まれ、口を閉ざしてしまった。

 全方位から殺気が押し寄せてくるかのようだった。太鼓の音に混じって時折聞こえてくる甲高い奇声が、背筋を凍りつかせる。

『今の……! 聞こえたか!? 誰かやられたぞ』

「聞き間違えじゃないの……?」

 幸成に言われ、影狼は恐る恐る耳を澄ましてみる。

「お、鬼だぁ!」

「!」

 声がしたのはすぐ近くからだった。影狼はとっさにその方に体を向ける。

 霧の向こうに、黒い影が浮かび上がっていた。

「ひっ……ぎゃああああ!」

 黒い影は獣のような身軽な動きで、地面から岩へ、岩から岩へと飛び移っていく。

『来るぞ!』

 影狼は海猫を引き抜き、接近する影を待ち受ける。

「!」

 霧を突き破って現れたのは、鬼の面を被った白装束の人だった。

 手には両刃の剣。「シィイイイ」と息を吐きながら、巻き込むような太刀筋で斬りつけてくる。

 ―――速い……!

 影狼も素早く反応した。一太刀目を身を屈めてかわすや否や、鬼面の足に一閃。荒々しく繰り出された二太刀目は上へ跳んでかわし、ガラ空きになったうなじにまた一閃。

 急所に『止水ノ太刀』を受けた鬼面の兵は、地面に崩れ落ちた。

 ―――人……? でもあの化け物じみた動きは……

 恐る恐る、鬼面の兵に近付く影狼。すると――

「シィイイイ……」

「!?」

 意識を絶ったはずの敵が声を発した。

 影狼は反射的に跳び退る――が、敵は時々声を発するだけで、体はピクリとも動かなかった。

『気を付けろよ影狼。敵に妖術使いがいるかもしれない』

「え?」

『幽霊だからなのかな……今のオレには、なんとなく分かるんだ。そいつは最初から自分の意思とは関係なしに動いていた。恐らく何者かに操られている』

 そう言いつつも、幸成は自分の言葉に違和感を覚えていた。

 ―――どういうことだ……こいつからは、邪気がほとんど感じられなかった。本当にこれは、妖術なのか……?

 生前とは比べ物にならないほどに鋭敏になった第六感が、ざわついていた。


 その頃、影虎本陣は、複数体の鬼面兵の襲撃を受けて大混乱に陥っていた。

「殿をお守りしろ!」

「ぐあぁ!」

 影虎の近辺は平安武士風の騎兵が守っていたが、霧の中では馬も弓も役に立たず、たった数体の敵に一方的に斬りたてられるばかりだった。

「下がれ! オレがやる!」

 堪りかねた影虎は、馬から降り、刀の柄に手をかけて鬼面の方へ歩き出す。

 影虎が近づくと、鬼面は「シャアアア!」と蛇のような声を発して飛び掛かった。

 白刃がうなりを生じ、まだ刀も抜いていない影虎を襲う。

 が、その瞬間――その場に居合わせた者すべてが、影虎の姿を見失った。

 鬼面の兵が血飛沫を上げて吹き飛んだのは、霧に覆い隠された地面から影虎が飛び出すのと、ほぼ同時だった。

「手間ァ取らせやがって」

 影虎は刀に付いた血を振り払って、刀を鞘に納めた。

「おお、流石は影虎様だ! あの化け物をたったの一撃で!」

 湧き立つ部下たち。主人の手を煩わせてしまった失態を誤魔化すかのように、口々に影虎をおだて上げる。まんまと乗せられていい気になる影虎。

 だが、それは一瞬で悲鳴へと変わった。

「ぎゃあああ! 殿! 後ろ! 後ろォオオオ!」

 斬り殺されたはずの鬼面兵が、いつの間にか立ち上がり、再び影虎に襲い掛かろうとしていた。

「チッ、しぶとい野郎だ」

 刀を構え直す影虎。だが、気配は正面からだけではなかった。

 影虎の上に、うっすらと影が落ちかかった。

 ガシュ!

 噴き出した血が、影虎の肩を濡らす。

 鮮やかな赤い柄の薙刀が、影虎の頭上を襲った鬼面兵の胸を貫いていた。

「影虎様。油断しないでください」

 紋舞蘭の助太刀であった。

「油断じゃねぇよ! これは余裕ってやつだ!」

 ふてくされたように言い返すと、影虎は正面から来た鬼面に二度目の太刀を浴びせた。

 それから蘭の方を向き――

「蘭。オレはいいから他の援護に――」

「だから油断しないでください!」

 今度は強めに忠告する蘭。まさかと思い、元の方に向き直った影虎の目に映ったのは、袈裟懸けの斬り傷が左右二筋入った、鬼面の兵であった。

「だぁあああ、もう鬱陶しい!」

 再三、迎撃の構えを取る影虎。

 だが鬼面は、首筋に青い閃光のような斬撃を受けて、地べたを覆う霧の中に沈んでしまった。

 その背後から現れたのは、影狼だった。

「父さん」

「おう、影狼か……怪我はねぇか?」

「うん……」

 言おうとしていたことを先に言われ、影狼は少しもやもやしたが、ひとまず父の無事を知って安堵する。

 影狼が『止水ノ太刀』で斬った鬼面兵は、もう動かなかった。

 だが紋舞蘭の薙刀に貫かれた鬼面兵は、なおもじたばたともがいている。

「なんだこいつは……」

 気味悪そうにつぶやく影虎。

 蘭は串刺しにした鬼面兵を高く掲げたまま言った。

「不死身――というよりは、何者かに操られているように見えますね」

「この太鼓の音……まさか、敵に妖術使いがいるってのか……?」

 流石にこの二人は元殲鬼隊というだけあって、こういうものに対する勘は鋭い。

 影虎はしばし音のする方を睨みつけてから、思い立ったように一歩踏み出した。

「豊雲、本陣はお前に任せた」

 名を呼ばれた老将が戸惑った様子で問う。

「な、なにをするおつもりで……?」

「太鼓叩いてる奴をぶっ倒しに行く!」

「そんな……なにも殿自ら行かなくとも……敵の罠があるやもしれませぬのに」

 老将の心配を、影虎は一蹴した。

「罠があっても行くんだよ! 失敗できねぇから一番強い奴が行く。それだけのことだ。ただでさえこっちは兵が少ないんだ。このままやられっぱなしだとジリ貧だぞ」

 紋舞蘭が、じたばたともがく鬼面兵を薙刀に刺したまま進み出た。

「ならば私もお供させてください」

「いや、オレがいない間、本陣を無防備にするわけにもいかない。蘭はここに残って豊雲を守ってくれ。守るのならお前が適任だ」

「……分かりました。殿の仰せとあらば」

 それから影虎は、熱い眼差しを影狼に向けた。

「影狼、お前は一緒に来い」

「!」

「お前の刀――このお面の奴にも効くんだろ? だったら、今一番戦力になるのは、多分お前だ」

 影虎にとっては、何気ない一言だったのかもしれない。しかし父から、ここまで面と向かって頼りにされたのは初めてのことで、影狼は純粋に嬉しかった。

 ギュッと口を引き結んだ顔を、強く縦に振った。


     *  *  *


 太鼓の音は、川の向こうから響いてきているようだった。音が近くになるにつれて、敵の数も強さも増しているように感じられた。

 鬼面兵はどれだけ斬り刻まれようとも、心臓を突かれようとも動き続けた。首を落とされれば流石に動かなかったが……

 本陣を出てからここまで、仕留めた鬼面兵のうち半分ほどは影狼の手によるものだった。

「幸兄、頼んだよ!」

『海猫・霜葉そうよう!』

 川面から氷が隆起し、影狼の周囲にいた鬼面兵を包み込む。

 それから間髪入れずに海猫の一閃。動きを封じた鬼面兵たちを、影狼は次々に無力化していった。

「さっきから大技ばっかり出してるけど、大丈夫なの?」

『問題ない。なぜだか分からないけど、この場所はあまりを使わずに術が出せるみたいだ。それに……今は出し惜しみしている場合じゃない』

「それもそうだね」

 一時も気を抜けない状況が続いていた。

 鬼面兵は基本的に単独で動いているようだが、散発的に襲ってくるのは、霧の中ではむしろ脅威であった。そして単独でも強い。影狼も二体、三体と同時に相手取ることは極力避け、避けられない場合は幸成の仙刀術で凌ぐ他なかった。

 影虎が連れてきた百人の兵は、川を渡り切る頃にはほとんど半減していた。

『強いな……お前の父さん』

 この困難な状況にあっても、影虎の剣技は冴え渡っていた。

 深く腰を落とした独特な体勢で敵の攻撃を捌いては、すくい上げるような一刀で次々に敵の首を刎ねていく。霧は地表に近いほど濃く、影虎の姿はほとんど霧に埋もれていた。鬼面兵に感情があるとすれば、得体の知れない牙獣が足元に潜んでいるようで、さぞ恐ろしいことだろう。

 太鼓の音が近い。

 空気の震えが岩を震わせ骨を震わせ、心臓にまで響いてくるようだった。

 太鼓を叩く者の声だろうか――鬼気迫るような甲高い奇声もすぐそこから聞こえてくる。

 ―――そんな……! この声って……

 太鼓の音が湧き起こってからずっと聞こえていた声。初めのうちは鬼面兵に気を取られて、ほとんど意識の外にあったのだが、ここに来て影狼もはっきりと違和感を覚えた。

 霧が割れ、躍動する小さな影が浮かび上がる。そして影狼は見た。

 ―――子供!?

 太鼓を背負う者が三人、叩く者が三人、かねを鳴らす者が一人。別の場所からも音がすることから、他にも何組かあるのかもしれない。

 いずれも、影狼より一回りも二回りも小さい少年だった。

『迷うな。お前の止水ノ太刀なら大丈夫だ』

「分かってる」

 少々驚きはしたが、影狼は太鼓衆を無力化すべく、海猫から薄青い刃を伸ばした。

 彼らが鬼面兵を操っているのならば、『止水ノ太刀』で眠らせればすべて終わるはずだ。

 奇妙なことに、子供たちは刀を手にした影狼には目もくれず、なにかに取り憑かれたかのように太鼓を打ち鳴らし続けていた。

 影狼は打ち手の一人に狙いを定め、海猫を振り下ろす。

 だが刃は子供に届かなかった。

 横合いから現れた男が、海猫を剣で受け止めたのだ。

 男は短髪で髭はなく、小綺麗な顔をしていた。白装束を着ていたが、面はつけていない。

「退け」

 太鼓の鳴り響く中で、それはかろうじて聞き取れる程度の声であったが、子供たちは「ははぁ!」と威勢のいい声で応じて、霧の中へ消えていった。

 男も海猫を剣で払いのけて、姿をくらました。

「怪しい奴がいたぞ! 逃がすな!」

 後ろから、遅れてきた影虎の声。それに応じて、数人の兵が霧の向こうへ突っ込んで行った。

 直後――太鼓の鳴り止んだ中で、ドンッという鈍い音がした。

 部下に続こうとした影虎の足元に、なにかが転がり込んできた。

 目を凝らした影虎の目に映ったのは、上半身だけとなった彼の部下だった。

「九鬼……影虎だな?」

 徐々に薄らいでいく霧。

 その奥から現れたのは、甲冑を着込んだ牙門の兵だった。

 鬼の面は付けていないが、一人一人が並々ならぬ風格を漂わせている。

 特に先頭の老兵は、人里離れた山奥で長年修行を重ねた修験者のような凄みがあった。

「お前は……」

百武ひゃくたけ晴賢はるかた。斬鉄剣の通り名を一度は聞いたことがあろう」

「ああ……知ってるぜ」

 ぶっきらぼうに答えてから、影虎は老兵百武の方へ歩いていく。

「斬鉄剣と聞いてちょっと思ったことがあるんだけどよ」

「……?」

「鉄ぐらいオレだって斬れんだよ!」

 そう叫んで、影虎は百武に斬りかかった。

 足元に潜り込むように肉薄し、腹を掻っ捌くような斬撃を繰り出す。

 対する百武は老人らしからぬ反応を見せた。一歩退いて斬撃をかわすと、気合い一閃――

「あ゛あ゛ん!」

 唸り声とともに反撃の一刀を叩きつけた。

 影虎はさらに身をかがめて刀に空を切らせたが、勢い余った刀はそのまま大岩に激突した。

 バガァアン!

 影虎は目を疑った。

 崩落するような爆音とともに、岩が真っ二つに割れてしまったのだ。

「貴様にこれができるか?」

 老兵が重々しく挑発する。

「……上等!」

 売られた喧嘩は買うのが影虎である。

 影虎は真っ二つに割れた岩をさらに両断しようと、緋色の愛刀を叩きつけた。

 ガッ!

 噛むような音がして、緋色の刀が岩にめり込む。

 が、そこから刃は進まなかった。それどころか――

 ―――やべぇ! 抜けねぇ……!

 中途半端にめり込んだ刀は、ちょっとやそっとの力では抜けなくなってしまっていた。

「阿呆め」

 百武は刀が抜けるまで待つほど慈悲深くはなかった。

 隙だらけの影虎にもう一度、気合い一閃――

「あ゛あ゛――」

 寸でのところで、気合いの掛け声が止まった。

 赤銅色の甲冑を着た武者が、両者の間に割って入ったのだ。

「遅くなり申し訳ございませぬ……殿」

 影虎と同じ栗色の、波打つ髪――喜利万次郎であった。

 彼の率いる精鋭の鎧武者たちも、ぞろぞろと現れる。

 実は影虎が出撃したのとほとんど同じ時間に、万次郎も主と同じことを思い至り、動き出していた。渡河に苦戦していたものの、太鼓の音が消え、鬼面兵がいなくなったことで、ここまで辿り着くことができたのだ。

 万次郎と百武が鍔迫り合いをしている間に、影虎は刀を岩から外すことができた。

 と、そこへ――また太鼓の音。

「なんだ……!?」

 子供たちが打ち鳴らしていたのとは、違う太鼓のようだった。

 霧が急速に晴れていく。

 百武ら鎧武者の背後に、大軍勢が出現した。

 軍勢の先頭に馬を立てる長髪の男は――

「牙門……!」

 影虎の仇敵――牙門松蔭であった。

 その横には、影狼の『止水ノ太刀』を受け止めた白装束の男の姿もあった。

照雲しょううんよ。神兵とやらはあまり役に立たなかったようだな」

「まことにもって不甲斐なきことでございます。まさかこうも早く神使おこうが敵に迫られるとは……少々九鬼を見くびっていたようで」

「まあよい。今日は元々神兵の力を試すだけのつもりだった。問題が見つかっただけでも、戦果としては十分だろう」

 それから牙門は、影虎に向けて声高に言い放った。

「九鬼影虎! 噂に違わぬ豪勇よ! 貴様の健闘に敬意を表し、今日のところは兵を引いてやろう! 明日、またこの場所で、正々堂々と決着を付けようではないか!」

 聞いていた影虎の眉が、ピクリと跳ね上がった。

「てめぇ……牙門! オレの親父を騙し討ちにしておいて、なにをふざけたこと言ってやがる! てめぇが正々堂々なんて言葉を使うんじゃねぇ!」

 だが牙門はすでに影虎を見ておらず、耳を向けることもなかった。

 淡々と退却の合図を出し、自らも馬の尻を向けて去って行く。

 百武を名乗った老兵とその兵たちも引いていく。

 影虎は追いかけたい衝動に駆られたが、自軍の状況を鑑みて、かろうじて思いとどまった。

「クソッ!」

 やり場のなくなった怒りを刀に乗せて、先程の斬り損ねた岩に叩きつける。

 バゴォオン!

 影虎は目を疑った。

 割れぬと思った岩が真っ二つに割れていたのだ。

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