第5話:呼応

 志々答島から南西一里約四キロメートルほどの海上に城が浮かんでいる。

 志摩の本城――猿蟹城さるかにじょうである。海賊大名と呼ばれた九鬼が築いたというだけあって、大手門が海に突き出るという、日ノ本全土でも類を見ない造りをしている。後背には山もあり、しばしば城内に猿が侵入することもあるという。今は伊勢大名――牙門家の支配下にあった。

 まさに志々答島の目と鼻の先にある城であり、志々答島から大船団が出撃した時、その報せはすぐに城主の元に届けられた。

「鉄甲船をはじめとする大小の船が九里ヶ浜くりがはまに続々と集結しております。一部の敵はすでに上陸している模様!」

「海賊どもめ……一体なんのつもりだ」

 城主は三好みよし義満よしみつという中年の男で、牙門による志摩侵攻でも活躍した勇猛な武将である。

 三好の前には斥候兵の他に、海辺から避難してきたという漁師たちが並んでいた。斥候が報告を済ませると、老婆とも老爺ともつかぬ漁師が涙ながらに訴えた。

「浜辺で漁をしてたら急に襲ってきたもんでさぁ、収獲も全部捨てて逃げてきたんですわ」

 隣の老漁師も喚き立てる。

「牡蠣がぁ~! オイラの牡蠣がぁ~! せっかくの大漁だったのにぃ~ヒッヒッヒッ……」

「ええい、やかましい! 牡蠣などあとでいくらでもくれてやるから、少し黙っとれい!」

 許可も無しにしゃべり出した漁師に苛立つ三好。今は賊を追い払うのが先決で、かわいそうな漁師たちの事情など知ったことではないのである。牡蠣はくれてやるが。

「漁師たちの話では、賊どもが九鬼を名乗っていたと……」

「九鬼……? ふん……どうせまた、海賊どもが勝手に名乗っているだけだろう」

 志々答島の海賊が九鬼を名乗っているのは何年も前からである。まさか今度こそ本当に九鬼がやって来たとは知る由もなく、三好は歯牙にもかけなかった。

「とはいえ、賊どもの中には九鬼の残党もわずかながら混じっていると聞く。大方、主君の仇討ちをしに来たと言ったところか」そこまで言って、三好は低く笑いだした。「馬鹿な奴らだ。大人しく我らが軍門に下れば、惨めな最期を迎えずに済んだものを」

 それから、いわくありげに背後を振り返り、

「お主もそう思うだろう? 平山ひらやまよ」

「はっ、まことに」

 話を振られた男は、抑揚のない声で同調した。

 平山ひらやま永雪えいせつ。かつては九鬼家の有力な家臣であったが、牙門家の侵攻に際して敵に寝返り、今もこうして相応の地位を保っている。

「強者に靡くは乱世を生き抜くための鉄則。それが分からぬ者に未来はありますまい」

「クックックッ……よく分かっておる。それにしても寝返るために親殺しまでするとは、お主もなかなかの外道よな」

「ハッハッハッ、弁解のしようもございませぬ」

 真顔のような笑顔と乾いた笑い声。

 なにも知らぬ者が見れば不気味な印象を抱いたであろうが、三好には卑屈に映った。

 侮辱的な扱いを受けて、反感を抱かぬ人間などいるはずがない。こちらの機嫌を損ねないよう、従順を装っているだけのように三好には見えた。保身のために必死になる様はなかなかに滑稽で、時々からかいたくなる。むろん、志摩を治める上で平山は欠かせない人材でもあり、あまり度が過ぎるといけないのだが。

「さて、元々あの海賊どもには手を焼いていたのだ。向こうから来てくれたというのなら好都合。この機に儂自ら奴らを殲滅してくれよう!」

 そう意気込んで、三好は兵を率いて城を出たのであった。


 九里ヶ浜は、猿蟹城の北側に広がる浜辺である。

 春から夏にかけては、地元民が潮干狩りに興じる風景も見られ、アサリや岩牡蠣、ハマグリなどがよく獲れた。

 三好が九里ヶ浜に到着した時、そこには報告通り、上陸した敵が陣を構えていた。

「なんだあの軍団は!?」

 だが、なにかがおかしい。思わず口に出してしまうほどに、三好は困惑した。

 軍装も陣立ても、単なる賊とは思えないほどに整っている。

 なにより目を引いたのは、大鎧を着込んだ騎馬隊。それは馬上で弓矢を撃ち合う合戦が主だった、平安時代の武士の出で立ちであった。とうの昔に廃れたはずのその軍装は、三好も絵巻物の中でしか見たことがない。

 そんな古式ゆかしい軍列の中から、一人の男が進み出た。背丈は平凡だが眼光鋭く、漂う風格はただ者とは思えない。海の男らしく、髪は茶色くちぢれている。

「やあやあ我こそは駿河国大名にして九鬼家が正統なる後継者――九鬼影虎なり! 一族の無念を晴らさんがため、牙門を討つべく参上した! 腕に覚えある者よ、手合わせ願う!」

 その名乗り口上を聞いて、ようやく三好は状況を理解した。

「なんと……九鬼が来たというのは本当だったか」

 意外なことではあったが、三好は怯みはしなかった。

 見たところ九鬼の兵力は千五百そこら。想定していたよりは多いが、数の優位は揺るがない。そしてありがたいことに、総大将であるはずの影虎自ら一騎打ちを申し込んでいるではないか。

「ククク……なればなおさら好都合! 海賊と九鬼をまとめて討ち果たし、我が手柄としてくれる!」

 三好が慎重な武将であれば、城に戻って撃退することも考えただろう。

 だが突如として目の前に現れた極上の餌は、三好からその選択肢を奪った。

 三好が単騎で駆けてくるのを見て、影虎も馬を進める。

 が、薙刀を携えた女武者が、その前に馬を立ちはだからせた。

 影虎の腹心――紋舞蘭である。

「影虎様、一騎打ちをするだなんて聞いておりません」

「もう名乗っちまったんだから仕方ねぇだろ。まさか本当に食いつくとは思わなかったが」

「お下がりください。私が代わりに相手をいたします」

「いやオレに行かせろ。名乗った本人が出なかったら臆病者だと思われちまうだろうが」

「知りません。勝手に名乗るのが悪いのです。こんなところで命を張っている場合じゃないでしょうに」

 そう吐き捨てて、紋舞蘭は馬を駆って三好の前に出た。

「誰だ貴様。影虎が女子とは聞いてないぞ」

「影虎様が本気で相手をするはずがないでしょう。代わりに私――紋舞蘭がお相手つかまつる」

「ほう……貴様が紋舞蘭か。影虎め、この儂を騙すとは腹立たしい限りだが……いいだろう。貴様でも肩慣らしくらいにはなりそうだ。我が名は三好義光。元殲鬼隊同士、いざ尋常に勝負!」

 大太刀を引き抜き、突進する三好。蘭は薙刀で迎え撃つ。

 獲物の間合いは蘭が有利であったはずだが、先に打ち込んだのは三好であった。

 ガインッ!

「むっ!?」

 返ってきた手応えの大きさに、三好は顔をしかめた。

「なるほど。女の身で殲鬼隊入りしたというのは伊達ではないな。大した力だ」

「あなたの方は大したことありませんね。本当に元殲鬼隊ですか?」

「少しおだてられたくらいで図に乗るな!」

 少し煽られただけで頭に血が上った三好は、力任せの斬撃を立て続けに浴びせた。力で押し切ることで、非力と罵られたことへの意趣返しとするつもりであった。

 だが、蘭は三好の猛撃を完璧に防ぎ切って見せた。そして三好の息が上がったところで、反撃に転じた。一撃一撃が、三好のそれを倍近く上回る威力であった。

 蘭は実に巧妙な薙刀の使い手であった。元々膂力には恵まれていたが、状況に応じて柄の握りを変え、遠心力とてこの力を自在に操ることで、より大きな力を生み出すことができたのだ。

「チッ、やはり馬上では本来の力が出せぬか。勝負はお預けだ」

 不利を悟った三好は、一方的に決闘の放棄を宣言すると、馬首を転じて逃げ出した。

 よほど慌てていたのか、背後から矢を射かけられることを想定していない、あまりにも無防備な後ろ姿であった。紋舞蘭は弓に持ち替え、遠慮なく矢を射かけてやった。

 肩に矢を受け、三好は馬から転落した。

 すかさず追い打ちをかける蘭。三好はすぐに立ち上がり、応戦する。

「どうしたのです? もう馬上ではありませんよ。本来の力はどこへ行ったのです?」

「やかましい! 馬に徒歩では分が悪すぎるわ!」

 蘭に決定的な一撃を許さなかったのは、流石に元殲鬼隊である。馬上での戦闘が苦手なのはあながち嘘でもなさそうだ。三好は機を見て突撃の号令を発した。

「突撃! 突撃ぃ~! 九鬼の賊どもをぶち殺せぇ~い!」

 敵軍が動き出したとあっては、蘭もこれ以上三好を追うわけにはいかなかった。

 九鬼軍の方でも突撃の号令が掛かり、両軍は全面的に激突した。

 だが、勝負は三好と紋舞蘭の一騎打ちと同じくらいに、あっけなかった。

 九鬼の古風戦士は弓術、馬術に長けた恐るべき戦闘集団であった。敵陣に肉薄しては馬上で矢を放ち、後退して矢をつがえたらまた突撃を繰り返す。白兵戦になっても優位に戦った。

 元々は影虎の趣味で編成されたような部隊ではあるが、五年に及ぶ鍛錬と妖怪退治の経験を経て、思いがけずも強力な部隊が育ってしまったのである。

 三好が退却の号令を発した時には、すでに三好の軍は崩れ立っていた。

「くそっ! 儂としたことが、油断していたわ。だが今に見ていろ。城に籠ってしまえばこちらのものだ。味方の援軍を待って内と外から挟撃すれば、影虎の首は儂のものだ」

 わずかな足止めだけを残し、三好の軍は全速力で猿蟹城に向かった。

 ところが、城門前に辿り着いた三好が開門を呼び掛けても、猿蟹城から応答はなく、門は固く閉ざされたままであった。

「平山! 平山はどこにいる!? 早く門を開けんか!」

 怒りもあらわに三好が声を荒らげると、ようやく応答があった。

 門の上の櫓から、ひょっこりと顔を覗かせていたのは平山。いつもの真顔である。

「真に勝手ながら、猿蟹城は本日より、この平山永雪がもらい受けることになり申した」

「なっ……!?」

 突然の通告に絶句する三好。いつものような腰の低い口ぶりだったからか、事態をすぐには呑み込めなかった。だがやがて、わなわなと唇を震わせ、

「貴様……裏切ったな! 九鬼の残党として殺されるべきところを、あえて重用してやった恩を忘れたのか!?」

「これはこれは……おかしなことを言いなさる。親を死に追いやった者に恩義を感じる者が、この世のどこにいるというのです」

「なにを抜かすか! 親を殺したのは貴様自身であろう!」

「父上は、敵の手に掛かる前に自ら命を絶ったのです。復讐と己の首を私に託して。私はこの時が来るのをずっと待ち望んでおりました。今こそ父上の無念を晴らす時」

「……!」

 三好は平山を見くびっていた。強者に媚びるだけの小心者だと思っていただけに、その心の内に激しく燃える復讐の炎に気付くことができなかった。

「ええい、誰か! 裏切り者の平山を叩き斬って門を開けろ! なにをぼさっとしておる!?」

 三好は叫んだ。彼とて平山を信頼していたわけではなく、ごくわずかな兵しか平山に与えていない。城内にはまだ三好の配下が多く残っているはずだった。

 城門は意外にも早く開いた。

 だが、そこから出てきたのは――

「牡蠣の恨みじゃあ~!」

「なっ……!? 貴様らは……!」

 海賊に襲われて城内に避難していたはずの、漁師たちであった。

 先頭を切って突撃してきたのは、大きな弩を腕にはめ込んだ老漁師。

「喰らえ、『超弩級十連弓!』」

 自分ではカッコいいと思っているらしい必殺技の名を叫び、三好に十連射を浴びせる。

 三好は防ぎ切れず、この日二度目の落馬を喫する。

 そこへ南蛮ものの双刀を振り回して襲い掛かって来たのは、老爺のような老婆だった。

「城に入れてくれてありがとよ!」

 感謝の言葉とともに繰り出された二連撃を、三好はかろうじて受け止めた。だが老婆はそこからさらに宙返りするようにして、回転蹴りを叩き込む。柔軟にして素早い、ご老体とは思えぬ体捌きであった。

 側頭部に重い一撃を受けた三好は、勢いそのままに地面に回転頭突きを叩き込み、

「貴様ら……九鬼の回し者だったか……っ!」

 それだけ言い残して気を失ってしまった。

「ヒッヒッヒッ……これでこの国の牡蠣はすべてオイラのものじゃ」

「いつまでジジイになり切ってんだよ、チョメ。もう終わりだ」

「はいはい。でも、いい演技だったでしょう?」

 名残惜しげにかつらを外す老爺。その正体は千代目乱馬であった。

「どこが!? 癖が強過ぎるんだよテメェは! なにがヒッヒッヒだ!」

 老婆に変装していたのは、阿近神楽。

 彼ら九鬼海賊は漁師に変装し、猿蟹城に潜り込んでいた。その中には九鬼の旧臣も混じっており、それに気付いた平山は海賊衆と共謀して、城を乗っ取ったのである。

 猿蟹城内はすでに、平山が引き込んだ九鬼軍の別動隊でごった返していた。城から九鬼軍がぞろぞろと出てくるのを見て、三好軍は武器を捨ててひれ伏した。

 影虎はわずか半日で、志摩の本城を奪還することに成功したのであった。


     *  *  *


 伊勢国の東側――海にほど近い所に、天津城あのつじょうという城があった。

 かつて九鬼景隆を殺し、志摩を乗っ取った伊勢大名の居城である。

 大名の名は、牙門がもん松蔭しょういんといった。

 齢は影虎と同年の三十五であるはずだが、十歳以上は若く見えた。髪は腰まで届くほどに長く、肌は白く、整った目鼻立ちは十分に美男子と言えるものだった。

 その整った顔が今、醜く歪んでいる。

「つまり……志摩のほぼ全域が九鬼の手に落ちたということか」

 跪く部下に向けて、松蔭は冷ややかな声を投げかけた。

「なぜこれほどまでに報告が遅くなった?」

「申し訳ございませぬ。我々が猿蟹城の陥落を知ったのも、つい昨日のことで……」

 この日、影虎が攻め寄せたという情報が初めて、松蔭にもたらされた。

 すでに影虎が志摩の大半を手中に収めたあとのことである。

 志摩は極々小さな国で、猿蟹城の他には守りの要となる城がなかった。その猿蟹城が急を報せる間もなく陥落したことで、影虎は敵に情報が行き渡るより早く、他の地も迅速に攻略を進めることができたのだった。

「義満の阿呆め……簡単にやられおって」

 恨めしげに松蔭がつぶやくと、そばで話を聞いていた老臣が口を開いた。

「まずいことになりましたな。まさか影虎が五千もの兵を率いてやって来るとは……恐らくは幕府からの支援も受けているのでしょう。このまま志摩の支配を固められると、手が付けられなくなりますぞ」

「そうだな。皇国にこのことを知られるのも面倒だ。早々に叩き潰しておかねばな」

 松蔭は顎に手を添えてしばし考え込んだ。足元を見つめる切れ長の目は氷のように冷たく、冴えわたっていた。

 やがて目を上げた松蔭は、老臣に告げた。

諏方すわ大祝おおはふりを呼べ」

「はっ……諏方……と申されましたか? それではまさか……」

「皇国のために秘密にしておきたかったが……いい機会だ。九鬼との戦で確かめてみようではないか。神憑かみがかりの兵とやらの力がどれほどのものか」

 ごくりと息を呑む老臣。松陰は立ち上がり――

「私も出陣するとしよう」

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