王妃様はお姉様に進化する5



 マチアス・ヴォルフの罪状は内乱罪。

 たとえそれが、姉皇帝を思ってのことであったとしても、一度クーデターを起こした者を国政に復帰させるのは容易ではない。

 もちろん、ウルにだってそれは分かっている。

 しかも、恩赦によって重い刑罰こそは免れたものの、マチアスはいまだ軟禁の身だというから、まずはこれが解けない限りは話にならないのだが……


「ならば、もう一度恩赦をあたえられるよう、うんとめでたいことがあればよいのであろう? 簡単じゃ、レベッカがジルとやらと式をあげればよい!」

「マイリ、あのなぁ……」


 簡単なことのように言うマイリに、ウルは小さくため息を吐く。

 しかしながら、国家君主同士の結婚が、今までまったく前例がないかといえばそうでもない。

 その場合はどちらか一方が、代行者を選定して統治を委託するという形を取ってきた。

 もし、レベッカとジルが結婚した場合、後者は状況的にしばらく国を離れられそうにないため、夫婦はエレメンス王国に居を構えることになるだろう。

 ヴォルフ帝国ではない場所からレベッカが皇帝として統治も行うためには、優秀かつ信頼のおける代行者が必要となってくる。

 ウルがマチアスを国政に復帰させるよう進言したのは、初代君主の直系でもある彼にこの代行者を務めさせるためだった。

 ところが、マイリはウルの膝にちんまり陣取ると、正面に座ったレベッカに向かって別の提案を始めたのである。


「あのな、レベッカよ。異世界にはな、〝週末婚〟なるものがあるらしい」

「い、異世界? しゅうまつこん、とは?」

「おいおい、マイリ。またソマリの入れ知恵か? しかし、どうやったら四歳児とそんな話題になるんだよ」


 毎度お馴染み、異世界にあるニホンなる国から転生してきたと言い張る、マイリの専属お針子ソマリ。

 彼女から仕入れた異世界の理を突然持ち出されて、ウルもレベッカも戸惑うしかなかったが、マイリは構わず続けた。


「経済的にも精神的にも自立した者達がな、普段は別々の拠点で仕事にいそしみ、休みの日だけ夫婦として共に過ごすことを言うそうだ」

「マイリは随分と難しい言葉を使うのだね。君は本当に四歳なんだろうか?」

「どこからどう見てもかわゆい四歳児だろう? なに、はたち過ぎればただの人よ。それより、どうじゃ? 週末婚。おぬしとジルとやらにはピッタリではないか?」

「確かに、そういう風にできればいいかもしれないけれど……」

「けれど、なんじゃ。おぬし、ふたつも国をまたいではるばるやってきたというのに、うじうじしたまま帰るつもりか? そんな無意味な旅をするほど、ヴォルフの皇帝というのはヒマなのか?」

「……」


 マイリの容赦ない言い草に、ついにレベッカが言葉を失った。

 王立学校時代から王のように君臨していた彼女が誰かに言い負かされたのを見たのは、ウルもこれが初めてだ。

 その相手が、自分の膝の上にちんまり座っていると思うと、不謹慎にも吹き出しそうになってしまう。

 レベッカも、やがておどけたみたいに肩を竦めて苦笑した。


「これは、敵わないな……マイリ、本当の本当に四歳なの?」

「本当の本当に、四歳じゃ。ただし、ただの四歳ではないぞ。ウルの妃で、しかも、もうすぐおねえさんになる四歳じゃ! なあ、ウル?」

「はいはい、左様でございますね」


 素直に降参した大人達に、ちっちゃなヴィンセント王妃は満足そうな笑みを浮かべる。

 そのぷくぷくのほっぺを見て眦を緩めたレベッカは、ここでやっとお茶を飲み干すと、ウルに向き直った。


「私達は姉弟して、ヴィンセントに頼りっぱなしだ……。マチアスにな、どうしてわざわざヴィンセントまで逃げたのかと問うたんだよ。そしたらあの子、なんと答えたと思う?」

「さあ……だが、クーデターが失敗すると最初から分かっていたのなら、俺に匿われるつもりなんてなかったんだろうな」

「ああ、マチアスは一緒に逃げていた叔父を断罪させるために、確実にヴォルフに引き渡してくれる国を選んだそうだ。ウルならきっと、正しい判断を下してくれると信じていたんだよ」

「あいつ……人の気も知らないで……」


 ウルは宙を睨んで恨みがましげに呟く。

 すると、マイリは今度はテーブル越しにレベッカの方へ身を乗り出して、ぴしゃりと告げた。


「レベッカよ。わらわはな、おぬしの弟に対しては憤っておる」

「は? おい、マイリ。何を……むぐっ」


 嗜めようとしたウルの口は、逆にちっちゃな手のひらで蓋をされてしまった。

 マイリはそのまま、キッとレベッカを見据えて続ける。

 

「信じていただのと耳触りのいいように申そうとも、マチアスとやらは結局はウルを利用したのだ。友を見捨てねばならなかったウルの気持ちなど、おかまいなしではないか」

「確かにそうだ。マイリの言う通りだな。マチアスの独り善がりが、ウルに辛いことを強いてしまった……本当にすまない」

「いや、レベッカはもうあやまらんでよい。おぬしの謝罪は、さっきウルが受け入れたであろう? それで終わりじゃ。しかし、マチアスはまだじゃ」

「そう……そうだな……」


 マイリの言葉に、ウルは無言のまま目を見張る。

 マチアスの事件について、彼女の耳に入れたつもりはなかったからだ。

 まさか、フェルデン公爵やロッツが伝えたのだろうか。

 あるいは――


(人間達の懊悩煩悶など、すべてお見通しだってことか)


 マイリはさらに身を乗り出し、テーブルの向こうのレベッカに手を伸ばす。

 その拍子にウルの口を塞いでいたちっちゃな手のひらは離れたが、彼はもう嗜めようとはしなかった。

 レベッカが、マイリに応えるようにそっと手を差し出す。

 テーブルの上で、ヴィンセント王妃とヴォルフ皇帝の手が触れ合った。


「ちゃんとウルにあやまりにくるまで、わらわはマチアスを許さぬ。手紙などではごまかされんぞ? マチアスが、直接、ウルにあやまりにこねば許さぬ」

「ああ……分かったよ、マイリ。約束する。君の言葉、しかとマチアスに伝えよう」


 しっかりと頷いたレベッカが、簡単に握り込んでしまえそうなマイリのちっちゃなふくふくの手の甲に恭しく口付ける。

 そうして、次に顔を上げた時――


「私も、諦めるのはやめた。思い通りにならぬと嘆くよりも、思い通りに生きられるよう足掻いてみせよう。ウルに謝りに来られるよう、マチアスの軟禁を解く――その大義名分を用意するためにもね」


 レベッカ・ヴォルフは大国の皇帝を冠するにふさわしい、かつて幼い下級生達が憧れたような、生き生きとして自信に満ち溢れた表情に戻っていた。

 マイリもにっこりと満足そうに微笑んで言う。


「その時は、わらわがおぬしのベールのすそを持とうではないか。レベッカが、うんと幸せな花嫁になるよう、わらわからも〝神〟とやらにお願いしておいてやるからの」


 ぱしゃん、とまたテラスの向こうで水が跳ねる音がした。

 マイリが分け与えたベリーは、願い事を叶える対価となったのだろうか。

 ウルは窓の向こう目を遣り、そこにある池が繋がっているという遠きヴォルフ城の湖と、軟禁された自室からそれを見下ろしているかもしれない友を想った。

 ところが、レベッカがふいにちっちゃなふくふくの手を握り込んだことで、彼の意識はたちまち現実に引き戻されてしまう。


「やっぱりこれ、もらって帰っていいか?」

「いいわけないだろ」


 またしても。

 冗談にしては相手が真顔すぎたため、ウルはマイリを奪い返すように、しっかりと両腕で抱き締めるのだった。



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