国王陛下の義理の母2



 マイリとアシェラがようやく雑貨屋から出てきた。

 店主を巻き込んで散々悩んだ挙句、どうやら髪飾りを一つ買ったようだ。

 早速母の亜麻色の髪に飾られたそれに、マイリはさも満足そうな顔をしている。

 対応を間違えなかった店主が、思ってもみない縁が繋がったことに気づくのはまだ少し先のこと。

 仲良く手を繋いで歩いていく母娘に続き、ウルとロッツも密かに路地から路地へと移動した。

 今更だが、彼らも街に紛れやすいようにシャツとズボンだけの飾り気のない格好をしている。

 いや、視察の仕事だと思っていたウルに関しては当初ジャケットを羽織っていたのだが、隠密行動に不向きという理由でロッツにひん剥かれたのだ。有無を言わさず。

 ともあれ、現国王と次期宰相が揃って街をうろうろしているなんて、気づく者は誰もいなかった。

 一方、ロッツが心配していたように、彼の妻子はなかなかに注目を浴びている。

 アシェラはやはり垢抜けていたし、マイリの愛くるしさなどもはや隠しようもないからだ。

 店の者から便宜を計られるのは問題ないが、気安く声をかけようとする野郎どもはいただけない。

 ウルとロッツは人混みに紛れつつ、不躾な連中を適度に排除しながら、母娘の散策を見守るのだった。

 そうして、そろそろお茶の時間になろうという頃。

 どの店でお茶にしようか、とにこにこしながら相談していたマイリとアシェラが、ふいに見知らぬ若者とすれ違った。

 本当にただすれ違っただけで、何なら彼女達は若者の存在にさえ気づいていないかもしれない。

 ところが、ウルもロッツもとたんに目を鋭くした。


「――ロッツ」

「――御意」


 二人は小さく頷き合うと、今まさに目の前を通り過ぎようとした若者を有無を言わさず路地の陰へと引っ張り込む。

 そして、何をする! と叫ぼうとする若者の口を塞いで、左右の耳に囁いた。


「お前、女から財布をスっただろう――返せ」

「貴様、ぼくの女神に触れただろう――死ね」


 アシェラから掏った財布を取り戻そうとするウル。

 対して、ロッツの両手は、一切の躊躇無く若者の首を締め上げた。

 ぎょっとしたウルが慌てて止めに入る。


「おい、よせ! その手をどけろ、ロッツ!!」

「どうして止めるんですか? こいつ絶対初犯じゃないですよ。明らかに手慣れてますもん。ヴィンセントの平和のために処しましょう。今、すぐに!」

「待て待て待て! スリは犯罪だが死罪じゃない!」 

「分かりました。じゃあ、二度とスリできないように手を切り落としてしまいましょう。アシェラに触れた手は死罪が相当ですしね。ウル、ちょっとお腰の短剣借りますねー?」


 ウルよりも幾分華奢なロッツだが、アシェラが関わると容易く箍が外れるのは今に始まったことではない。

 彼に短剣を奪われそうになったウルは、早々に単独での対処を諦めた。


「――ケット! ロッツを取り押さえろ!」

「――御意」


 国王陛下の呼びかけに応え、ぬうんっと陰の奥から現れたのは、泣く子も黙る鬼畜面――ケット。

 彼の肩書きは一応国王の護衛騎士なので、しぶしぶ付いてきていたのである。


「本当は、陛下なんかじゃなく、妃殿下とお母上を護衛したかったですのに」

「俺なんかで悪かったな。さてはお前もマイリに同行を断られた口だろう。野郎だから」

「くすん……」


 ムキムキの剛腕にはさしものロッツも敵わず、ちっと舌打ちをしている。

 スリの方はとっくの昔に泡を吹いて気を失っていた。

 その処遇をケットに一任すると、ウルはどうにかこうにかロッツを宥めすかす。

 そうして、マイリとアシェラの見守りを再開するため路地から顔を覗かせようとして――


「うわっ……」


 不覚にも、飛び上がりそうになった。

 いつの間にか、足元に立っていたからだ。

 ブロンドの髪と菫色の瞳で、ぷくぷくのほっぺをした、とにかく可愛いウルのちっちゃな妻が。

 その後ろには、冷ややかにこちらを見据えるアシェラの姿もあった。

 どうやら、今の騒ぎのせいで女性陣に見つかってしまったらしい。

 マイリはつぶらな瞳でウルとロッツを見比べると、もっともな問いを口にした。


「ウルも父も、なぜここにいる?」

「いや、それはだな……」


 偶然通りがかっただけ、と誤魔化してもよかった。

 今日は午後からロッツと視察に出ることは、あらかじめマイリにも伝えていたのだから。

 けれども、ウルの頭の中で彼自身が指摘する。

 最初にロッツに言ったみたいに、コソコソする意味が分からない、と。

 ウルは小さく一つため息を吐くと、先ほどの雑貨屋の店主と同じようにマイリに合わせてその場に腰を落とした。

 そして、正直者のヴィンセント国王は苦笑いを浮かべて言うのである。


「お前のことが気になってな。こっそりついてきてしまった」

「なんと!」


 とたん、マイリの両目をまんまるに。

 かと思ったら、ぴょんとウルの首筋に飛び付いてきた。

 赤く色付いたぷくぷくのほっぺをムニムニとウルのそれに擦り寄せて、彼女は声を弾ませる。


「おぬし、わらわが心配だったのか? 母がいっしょだというのに、わらわが迷子になるとでも思うたのか? ――わらわがいないと、困るのか!?」

「そりゃ、困るな。めちゃくちゃ困る。仕事は手につかないし、夜も眠れん。飯も喉を通らないだろうよ」

「まったく! まったくウルは、しょうがないやつめ! 安心せい! わらわはけして、ウルを一人にはせぬ!!」

「ああ……」


 頭上で、ロッツとアシェラが顔を見合わせている気配がしたが、ウルはあえて見ないことにする。

 マイリはひたすらぎゅうぎゅうとウルの頭を抱きしめて、見ているこっちの頬まで綻んでしまいそうなほどのご機嫌っぷりだ。

 彼女は大きな瞳をキラキラ輝かせてアシェラを振り仰いだ。


「ついてきてしまったものはしかたがないな! 母よ、さみしんぼうのウルと父も一緒に連れて歩いてもよいか?」

「ええ、もちろん」


 アシェラがにっこりと微笑んで頷く。

 やったぁと子供らしい歓声を上げたマイリは、今度はロッツの手を掴んだ。


「父よ、おいで。母に髪飾りを買うてやったでな。父にも何か買うてやろう」

「ひょええええ……あ、ありがたき幸せぇええ!!」

「金はウルがくれたのだ。ウルにもちゃんと礼を言え?」

「ウル君、どうもありがとうっ!!」


 たちまち手を繋いで大通りに駆け出していく夫と娘を、アシェラもゆっくりと追い掛ける。

 自然とその隣に並んだウルに、そうそう、と彼女は歩きながら口を開いた。


「あなた達、尾行が下手すぎるわ。いっそ撒いてやろうかと思った」

「やめてくれ。ロッツが発狂する」


 げんなりとした顔のウルを、アシェラは横目でちらりと見る。

 そうして、顔を正面に向けたままぽつりと言った。


「ありがとう」

「……何が?」

「髪飾りのこと。小銭はあなたのなのでしょう? ウルに礼を言うだなんて不本意極まりないけれど、マイリの顔を立てないわけにもいかないわ」

「はあ、それはご丁寧にどうも」


 ヒンメル王立学校時代、ウルとアシェラは性別の垣根を越えて親交を深めた。

 しかし、わずか三歳の一人娘が城に召し上げられて以降、彼女はこの世で最もウルを恨む人間になったのだ。

 アシェラの母親としての立場を考えれば、それも当然だろう。

 だからウルは、どんな恨み辛みをぶつけられても甘んじて受け止める覚悟をしている。

 ところが、アシェラが続けたのは思っていたのとは違う言葉だった。


「マイリったら、あなたの話ばかりするのよ」

「……は?」

「昨日はウルと城の池で釣りをした、一昨日の夜はウルと丘の上へ星を見に行った、その前はウルと隠れん坊をした、って。あなた国王の仕事はちゃんとしているの?」

「しているさ。ちなみに、三日前のは隠れん坊ではなく、図書館の書庫で眠りこけていたマイリを探しに行っただけだからな」


 憮然として返すウルを、アシェラは小さく鼻で笑う。

 しかし、夫と手を繋いで先を歩く一人娘の背中を見つめると、どこか投げやりに続けた。


「あの子、〝毎日ウルと一緒にいて楽しいー〟ですって」

「……それは光栄なことで」


 ふいに、アシェラが立ち止まる。

 つられて足を止めたウルをまっすぐに見据え、ちっちゃな王妃の母は続けた。


「私から、幼いあの子との時間を取り上げたことは一生許さないわ。でも……」

「でも?」

「マイリがこれからもずっと幸せであれたならば、私が死ぬ最後の瞬間くらいは、あなたを義理の息子と認めてあげてもいいわよ」

「……そうかい」


 きっとその瞬間、マイリはまたひどく泣くのだろう。

 それを思うと、ウルはアシェラに認められる未来なんて来なくていいとさえ感じた。


「ウルー、ははー」


 大通りのずっと先で、こちらを振り返ったマイリがちっちゃな手を振っている。

 あの可愛い笑顔が側にない人生なんて、ウルにはもう考えられなくなっていた。


「はやくー」


 マイリが呼んでいる。

 ふいに駆け出したい衝動に駆られたウルは、ため息を一つ吐き出してから、隣に立つ同い年の義理の母に請うた。

 


「……足を踏むの、やめてもらっていいか?」


 

 アシェラのお腹に新しい命が宿っていると聞かされたのは、この翌日のことだった。



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