新しい国王と王妃のままごとのようでいて時々血腥い新婚生活3



「先の国王――おぬしの父は……本当は、もっとまえに死ぬはずだった」

「……なんだと?」


 思いも寄らない話に、ウルはとたんに眉を顰めた。

 そんな彼を凪いだ瞳で見上げ、マイリは幼子に不釣り合いな神妙な面持ちで続ける。


「わらわがおぬしの父の死期をさとったのが、ちょうど四年前」

「四年前……」

「それを告げると、あやつは息子を呼びもどして仕事を引きつぎ、そのあと少しの間だけでも奥方と二人で静かにすごしたいと望んだ。だから、あやつに足りぬ分の時間を、わらわの器の寿命をけずることで譲ってやったのだ。ゆえに、猫が先に死んだ」

「寿命を譲るなどと、そんな馬鹿な話が……」


 マイリの話を非現実的だと一笑に付そうとして、ウルは失敗した。

 彼は愕然とした表情を隠し切れないまま呟く。


「……父は、死ぬのか?」

「生きているものはみんな死ぬぞ。遅いか早いか、それだけのちがいじゃ」

「お前には、それがいつなのか分かるのか」

「血は情報の宝庫じゃからな。飲めば、たいていのことはわかる」


 マイリは前ヴィンセント国王をとても気に入っていたらしい。

 あやつの血は芳醇なワインのようであった、と頬を上気させて熱いため息を吐く幼子に、ウルはどう反応していいのか分からなかった。

 とにかく、そんなお気に入り店子のいじらしい願いを叶えてやりたくて、マイリは過剰な施しをしてしまった。

 しかしそのせいで、次のヴィンセント国王――つまりウルに添わせる新たな器を計画的に用意する余裕がなかったのだ。

 最後に一度ウルの指先の傷をペロリと舐めてから、マイリはそう打ち明ける。

 傷口は、いつの間にか塞がっていた。


「父上……」


 ウルと父は、決して仲の良い親子だったわけではない。

 隣国の王立学校で様々な国から集まった王侯貴族の子息達と交流を深め、さらに諸国を回って見聞を広めたウルには、父の考えはどれもこれも古臭く頭が固いという印象が強かったのだ。

 父は自分にも他人にも厳しく、一人息子のウルに優しい言葉をかけたこともない。

 いつも政務に掛かりっきりで、たった一人の妃である彼の母にも寂しい思いをさせていた。

 だからウルは、父のように冷たい男にはなるまい、国民を思い遣りながらも自分の家族も大切にしよう、と幼い頃から心に決めていた。

 だが、それでも父は父である。

 玉座を退いた父はこの後、母とともに郊外の別荘に移り住む。そこは母の故郷であり、緑豊かで静かな場所だ。

 自分の命が残り少ないことを知った父は、母が穏やかに余生を暮らせるように環境を整えた上で、その側に骨を埋めるつもりなのだろう。

 そう悟ったウルは、口を噤んで俯いた。

 そんな彼の黒髪に覆われた頭を、子供らしいふくふくした手がそっと撫でる。


「ないてもよいぞ」


 幼い声が、優しく彼の心に響いた。


「だれだって、親が近々亡くなると知れば悲しいものだ。おぬしが泣いても、わらわはけして笑わぬ」

「……泣かん」

「ふん、強がりを言いおって。しかたがないから、おぬしが生きて国王である間は、わらわがずっとそばにいてやるでの」


 マイリはそう偉そうな言葉を吐きつつ立ち上がると、両手を腰に当ててふんぞり返った。

 そうして、驚くべきことを宣ったのである。




「そういうわけで――おぬし、わらわを妃にせよ」

「……は?」




 ウルの憂い顔は、一瞬にしてポカンとした表情に掏り替わった。

 間抜け面を晒す彼に、マイリはますます胸を張る。

 

「わらわを妃としてそばに置けと申しておるのじゃ。さすれば、わらわはいつでも気がねなくおぬしから賃料を回収できるであろう?」


 器が人間だと、国王に近づくにはいろいろと制約がある。

 しかも、今のような幼子の姿では、母や乳母を撒いて家を抜け出すのもひと苦労。

 いしにえの盟約に則って正当な対価を求めているだけなのに、煩わしい思いをするのはご免だ――そうマイリは主張した。

 幸いというべきか否か、今代の器はヴィンセント王家に次ぐほどの権力と財力を持つフェルデン公爵家の娘。王妃に迎えても申し分のない身分ではある。

 ただし――身分以外には、とてつもなく大きな問題があった。

 黒髪をぐしゃぐしゃとかき回しながら、ウルが困惑したふうに口を開く。


「妃と言っても……お前、年は幾つだ? いや、中身じゃなくて、器の話だぞ?」

「わらわの器は、現在三さいと三ヶ月じゃ!」

「……そうか。俺は、今年で二十四になるんだが」

「だからどうした? 王族の結婚に年の差などたいした問題ではなかろう。むしろ、ピッチピチの嫁さんバンザイと喜べ!」


 年の差もさることながら、マイリの父親がウルとの結婚を許すとは到底思えない。

 普段は見た目通り、蝶よ花よのお姫様ライフを楽しんでいるらしいマイリの中身が、王国の歴史よりもまだ古い摩訶不思議な存在であるなんて、ロッツが知るはずもないのだから。


『うちの娘ってば可愛過ぎて参っちゃう! 僕の目の黒いうちは、お嫁になんか絶対出さないんだからねっ!!』


 愛娘を語る幼馴染みの緩み切った面を思い出し、ありえない、とウルはマイリの提案を一蹴しようとした。

 ところが、彼女が目を細めて続けた言葉に、おおいに慌てふためく羽目になる。


「おぬしがどうしてもこの器が不服というのならば、おりをみて別のものにとりかえてもよいが……その場合、用なしとなったこの器はグズグズに腐り落ちることに――」

「ま、待てっ……!!」




 ***




 

 戴冠式から一月後。

 新しいヴィンセント国王となったウルは、幼馴染ロッツ・フェルデンの一人娘を王妃として城へ召し上げた。

 ここに、二十四歳と三歳の年の差夫婦が誕生する。

 事情を知る前ヴィンセント国王は、息子のウルが今まで見たこともないほど柔らかな笑みを浮かべ、一つ満足そうに頷いただけだった。

 対して、大臣達は突然の国王の結婚と王妃の幼さに騒然となり、社交界は混乱を極めることになる。

 当然、ロッツは娘の嫁入りに大反対した。


「――殺してやる」


 ロッツとは生まれた時からの付き合いであるウルも、真っ赤に充血した目で至近距離から覗き込まれてそう凄まれたのは初めてのことだ。

 ところが、彼よりも力のある人物――宰相を務める公爵家当主、つまりロッツの父親が孫娘マイリの嫁入りをあっさり承諾してしまった。

 王家との婚姻で、フェルデン公爵家は今後ますます栄えていくことだろう。

 こうして、新しい国王と弱冠三歳の王妃による、ままごとのようでいて時々血腥い新婚生活が始まったのである。


「マイリが成人するまで、絶っっっっ対、手ぇ出さないでくださいよ!」

「……出すものか」

「でも、あの子を袖にして愛人なんか作ったら――ちょん切りますからね?」

「何を!?」


 毎日ウルに釘を刺しつつ、首筋にペン先を突き付けてくるのは、あどけない王妃の父親だ。

 一方、実際にウルの首筋に突き立てられるのが、マイリの小ちゃな犬歯である。


「よいか。おぬしも国王となったからには、わらわにより美味な血をさしだす義務がある」

「義務、ねえ……」

「おへんじは、ハイ、じゃ! 異論はみとめん!!」

「分かった分かった、分かったから。せめて、もう少し目立たない場所を齧ってくれないか?」


 人目を気にしてキスマークの位置に配慮しろ、なんて三歳児に頼む日が来ようとは。

 諸外国を渡り歩く中で様々な経験をしたウルでも思ってもみなかった。

 それでも、定期的に齧られているうちに、彼は幼妻の扱いにも慣れていく。

 健康な成人男性にとって三歳児との結婚生活はなかなか悩ましい禁欲の日々であったし、にもかかわらず、世間からは幼女趣味との不名誉なレッテルを貼られるしで、最初のうちは散々だった。

 しかしながら、持て余す性欲を紛らわすように仕事に打ち込んだ結果、ウルはやがて父にも負けぬ賢王として国民から支持されるようになる。

 また、小さな王妃マイリの人気も絶大だった。

 猫を被って年相応の幼女を演じる彼女は、その正体を知るウルでさえうっかり庇護欲をくすぐられるほど、最高に可愛かったのだから。

 彼女が大人のウル相手に「好き嫌いするな」だの「小骨を取ってやるから魚も食え」だの、甲斐甲斐しく世話を焼く姿は微笑ましく、いつしか世間はこの年の差夫婦を温かく受け入れるようになっていった。

 ついでにいうと、美味い血の醸造に燃えるマイリによって食事の管理を徹底されたウルは、すこぶる健康になった。

 おかげで、歴代のヴィンセント国王の中でも極めて長生きし、最も長く王国の家主と人生をともにすることになる。





 ***




 

 戴冠式から一年後。

 前ヴィンセント国王が、隠居先で前王妃に看取られて静かに息を引き取った。

 最後の一年間、穏やかに愛を確かめ合った夫婦の別れは、お互いに思い残すことのない潔いものだった。

 棺に横たわった父は、ウルが初めて見るような安らかで優しげな表情をしていた。


「ありがとうな」


 両親に最高の一年間を与えてくれたのが誰なのか知っていたウルは、一緒に葬儀に参列した幼い王妃を抱き上げてそう礼を言う。

 彼女は黒いベールの奥で小さく頷いて、いまだまともに噛み痕も残せていないウルの首筋にしがみつき、必死に嗚咽をこらえていた。



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