新しい国王と王妃のままごとのようでいて時々血腥い新婚生活2



 第百代目のヴィンセント国王となったウル。

 その記念すべき戴冠式に参加した貴族や国賓は、今宵城内に宿泊している。

 主役である国王が塔に向かった後も、夜が更けるまで舞踏会が行われていたからだ。

 ロッツ夫妻もこれに参加していたので、彼らの一人娘であるマイリも一緒に城の一室に泊まっていたのだろう。社交に勤しむロッツを会場に残し、母は幼い娘を連れて先に部屋に引き上げたに違いない。

 その幼い娘に手刀で落とされたかもしれないロッツの妻に、ウルは同情を禁じ得なかった。


「母が目を覚ましてさわぎだしてはやっかいだ。さっさと済ませるぞ」

「……なっ!?」


 遠い目をしていたウルに、マイリはいきなり体当たりをかます勢いで飛びかかる。

 そうして、彼をベッドの上に仰向けに押し倒した。

 女に、それもこんな幼い子供に押し倒されたのは、当たり前だが初めての経験だ。

 少なからずショックを受ける男を尻目に、マイリは小さな口をぱかりと開いて覆いかぶさってくる。

 それにぎょっとしたとたんにウルの首筋に触れたのは、先ほど微睡みの最中に感じたのと同じ、何だか硬いものが押し当てられるような感触だった。

 それが幼子の歯の感触――つまり、自分がマイリに首筋を噛まれようとしていると気づいたウルは、小さな両肩を掴んで押し戻す。


「待て! 待て待て待て! ちょっっっっと、待て!!」

「なんだ、うるさい」

「何故、俺の首を噛もうとする? そもそもこれは一体どういう状況なのか、説明しろ!」

「かしましい男だな。わめくな、耳がいたいわ」


 マイリの紅葉のような手がペチンと叩き付けられて、ウルの口を塞ぐ。

 小馬鹿にしたみたいに肩を竦める相手に、ウルはうぬぬと眉間に皺を寄せた。

 この頃には彼も、マイリが見た目通りの幼子ではないとうすうす勘付いていた。



「ここは元々、この世の天主たる父上からわらわが賜った、わらわの土地じゃ」



 ベッドに胡座をかいたウルの正面に立ち、マイリは胸を張ってそう宣った。

 大人げなく仏頂面をしたウルに、彼女が怯む様子は微塵もない。


「この塔だけではないぞ。ヴィンセント王国のすべてがわらわの土地なのじゃ。そこにむかしむかしも大むかし、おぬしら王族の始祖がやってきて、どうか住まわせてくださいませと額を地面にこすりつけたものだから、心優しいわらわはその願いを聞きとどけてやったのじゃ」

「始祖? では、お前はヴィンセントの守り神か何かか?」

「守り神などではない。住まわせてやるとは言ったが、守ってやるような義理はないからな。わらわは、いわばヴィンセントの家主じゃ」

「家主……」


 ここで、マイリは踏ん反り返るのをやめた。

 小さい子供は頭が大きい。ようは、疲れたのだろう。

 彼女はウルの正面にちょこんと行儀良く座り直すと、話を続けた。


「家主とは、賃料を要求するものじゃろう?」

「たしかに」

「その賃料が、おぬしら国王の血じゃ」

「血!? お前、血を飲むのか?」


 マイリの小さな口がにわかには信じ難いことを流暢に語る。

 改めて見ても、彼女は角があるわけでも羽根があるわけでもない、幼くて愛らしいばかりの人間の子供だ。

 膝の上に行儀よく揃えた両手の爪だって、花びらのように薄く繊細だというのに。

 ウルは、唸るような声で問うた。


「お前は、吸血鬼か何かなのか?」

「そんなおとぎ話の化け物と一緒にするな。わらわはわらわじゃと言うとろうが」

「しかし、血を糧とするならば、やはり吸血鬼ではないのか?」

「ばかもの。だれが、血を糧とするなどと言った? 考えてもみろ。血なんぞちょびっと吸ったところで腹がふくれるわけがなかろう」

「だったら、何故血を吸うんだ」

「わらわにとって、人の血は嗜好品のようなものじゃ。紅茶やワインも茶葉やブドウの品種、産地や熟成の具合によって味がちがうじゃろう? それといっしょで、血も人それぞれに味がちがって奥深い」


 ウルは長めの前髪をぐしゃぐしゃに乱すと、マイリの話を理解すべく問いを重ねる。


「では、器とは何だ」

「わらわが地上のものと関わるために必要な、借り物の肉体のことじゃ。生まれるまえに魂が天に召されて空っぽになった肉体をわらわは器として再利用する」

「つまり、死産となるはずの者の肉体に乗り移ったということか? ……では、もしやその、ロッツの娘は……」

「ちょうどあの時、わらわの器に一番ふさわしかったのが、命のともしびが消えてもまだ母親の胎にとどまっていた、この肉体だった」


 これには、さしものウルも息を呑んだ。

 ロッツの娘は何かしらの理由で生まれる前に亡くなってしまったらしい。

 もしも、この家主を名乗る存在が彼女を器としていなければ、フェルデン公爵家は大きな悲しみに見舞われていただろう。

 その悲しみは、本来彼らが乗り越えなければならなかったものかもしれない。

 だが、ロッツが娘のことを語る時の幸せそうな顔をすでに知ってしまっているウルとしては、幼馴染の不幸が回避できたことを素直に喜びたいと思った。


「本来、わらわは人間を器にすることはない。犬や猫、小鳥のように、国王のそばにいやすい愛玩動物が適任なんじゃが……まあ、今回ばかりは少々ズルをしてしまったのでな。ちょうどいい具合の器が、このむすめ以外に調達できなかった」

「ズル? そもそも、人間が器だと何か不都合があるのか?」

「あるとも。見よ、この頼りない牙」

「牙?」


 マイリは小さな口をああんと開いて、ウルに犬歯を見せ付けた。

 ちんまりと並んだ小さな小さな乳歯の中で、確かに犬歯も可愛らしいばかりだ。


「人間は、この数百年のうちにすっかり軟弱になってしまった。こんな牙ではえものの喉笛を食いちぎれまい」

「まあ、そうだな。しかし、人間はそのために刃物を使うのだが」

「刃物は、加減がわからぬからきらいじゃ」


 マイリは吐き捨てるようにそう言うと、再びウルの首筋に噛み付いてきた。

 おい、と声を上げたウルに、なんじゃ、とマイリが返す。


「痛いんだが」

「がまんせい」


 ヴィンセント王国に家主がいること。そして、代々の国王が賃料という名目でそれに血を与えたことは、他の誰にも知られてはいけないことだった。

 血で家主を買収して王国を乗っ取ろうとする者が現れることを危惧してのことだ。

 そのため、先の国王から次の国王に対し、家主の存在が言葉や文字で伝えられることはない。

 ヴィンセント国王となった者は、今宵のウルのように塔の頂上で家主と初顔合わせをし、最初の家賃を支払う。

 つまり、新しいヴィンセント国王が戴冠式の後に塔で一夜を過ごすという習わしの真の目的は、王国の賃貸契約を更新することだったのだ。


「ええい、はがゆいのう。チビゆえ、あごの力も足りぬわ」


 幼子の小さな犬歯と顎の力では威力が足りず、思うようにいかないらしい。

 舌足らずに悪態を吐きつつマイリがベソをかき始めると、ウルは大きく一つため息をついた。

 彼は片手を腰にやって、ベルトに挟んでいたナイフを鞘から引き抜く。

 そして――


「んぎゃっ!? おぬし、何をする。早まるでないぞっ!!」

「早まるも何も……埒が明かないから、これで妥協しろ」


 ウルはナイフの切っ先で左手薬指の腹を傷付けると、それをマイリの口元に突き出した。

 ぷくりと盛り上がった血の玉はすぐに崩れて零れ落ちそうになる。

 慌てたマイリが、はむっとウルの指先を口に含み、そのままちゅうと吸った。

 不覚にも、何だかおかしな気分になりそうになったウルは、彼女から目を逸らして口を開く。


「……うまいのか?」

「いや、まっっっっずい。肉ばっかり食っているヤツの血の味じゃな」

「――は?」

「食事はバランスが大事じゃぞ。野菜と果物をもっと食え。さすれば、もう少しマシな味の血になろう」


 乳離れしたてのような幼子が、血の味の善し悪しを語るというシュールは光景に、ウルはナイフを鞘に戻しつつ口を噤んだ。


 家主がマイリの前に器としていたのは、前ヴィンセント国王の猫だったそうだ。

 言われてみれば、父王の側にはいつも真っ白い毛並みをした美しい猫がいた。

 ツンと澄ましたその猫は、一度もウルに撫でさせたことがない。

 賃料を支払う国王が代替わりする度に、家主は器を更新するのだという。

 だが、父王の猫が死んだのは、今から四年前のことだ。

 国王が交代したのは今日であるから、家主の器の更新と四年ものズレがあるではないか。

 ウルがそんな疑問をぶつけると、とたんにマイリの幼いかんばせに憂いが載る。

 そうして、彼女はぽつりと言った。



「先の国王――おぬしの父は……本当は、もっとまえに死ぬはずだった」



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