完結まで、あと1000文字
能登崇
ネコは嘘をつかない
自動販売機で飲み物を買うネコを見たことがある。
大学の構内の片隅にある自販機で、僕の他には誰もいなかった。どうやってコインを入れたのかはわからない。僕が通りかかったときに、ぴょんとジャンプしてボタンを押して、取り出し口からペットボトルを取り出していた。
当時の自販機は今と取り出し口の形が違って、ネコの手でも取り出せるようになっていたのだ。ボトルを器用に咥えて走り去ったネコを、ただ呆然と見送ることしかできなかったことを覚えている。
衝撃的な光景を見た僕は、興奮気味に仲間にそれを話したが、誰も信じてくれなかった。証拠の写真でも撮っておけばよかったんだけど、あいにく当時はまだ、カメラ付きケータイが普及する少し前だった。
あれから二十年ほどたった今でも、折に触れてあの光景を思い出す。
今日もそうだ。娘に、ネコさんは賢い動物なんだと教えているとき、ふとあの出来事を話したくなった。
「パパはね、ネコさんが自動販売機でお買い物をするのを見たことがあるんだ」
「パパ、嘘つきなの?」
「嘘つきじゃないさ」
純粋そのものの目で見つめられると、嘘をついていないのに、なんだか困ったような気分になってしまう。
あのとき、大学の仲間はみんな「嘘だ」と言って信じてくれなかった。
唯一僕の話を否定せず、最後まで聞いてくれた女の子がひとりだけいた。
それがとにかく嬉しくて、他の出来事も何かにつけて彼女に話すようになり、自然と一緒に過ごす時間が増えた。
そうして彼女は、後に僕の妻になり、この子の母になった。
だけど、今は妻は僕の話を信じてくれたわけじゃないことを知っている。
「ママはね、パパのことが大好きだったんだよ」
つまり、妙なことを言い出しても、ちゃんと話を聞こうと思う程度には、僕のことに興味を持ってくれていたのだ。
「パパは嘘つきだから、信じちゃダメよ」
キッチンから声が飛んでくる。
そうだ、嘘つきだ。彼女は今だって僕のことが大好きで、僕だって彼女が大好きなのだ。大好きだったなんて過去形は、照れ隠しの大嘘だった。
夜になり、娘が寝た後に、妻がふと尋ねてきた。
「そういえばさ、あのときネコは何を買ってたの?」
「水だよ」
当たり前だ。ネコはコーヒーを飲めない。
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