第2話 時給7カナダドル
何もしていないわけではない。
『なにをしてるの?』と訊かれたら
みんなのそれはきっと【職業】のことだろう。
『くそったれのあなたの、くそったれた仕事は、いったいどんなくそ?』
これを略して
『なにをしてるの?』だ。
みんな略すのが好きなのだ。
だからこう答えるしかない。
『全く何もしてません』と。
属性がないという属性の人生。
でも友人たちに
『今日は何をしていたの?』と訊かれたら
何もしていない時間なんて全く無いはずである。
屁理屈でもなんでも無くて
寝ていたのだとしたら、寝ることをしていたのだ。
息をして食事をして見事にトイレを済ます事が出来る。
左右を間違えずに自分で靴も履ける。
5歳の時は褒められたやつだ。
今は19歳。
寝ながら考え事をするなんて、
一番の創造的活動だ。
言い表せる事が出来る気持ちは
ノートに書いて
言い表せる事が出来ない気持ちは
ギターを掻き鳴らす。
でも外に出れば
いつもバイトは首。
職業はまだ無い。
親の家に住み
親の飯を食い
親の車で寝る。
こんな男にもなぜか
友人がいる奇跡。
「そろそろバイトでもしよう」の呪文で
開いたコンビニの手動ドア。
ちょうど店員さんがゴミを捨てに
お店から出る所だった。
私はドアが閉まる前に体を斜めに入れて
店内に入った。
アルバイト求人雑誌を買うことにした。
付き合いの良い友人の
私のあとからコンビニに入って来てトイレを済ませた後、
雑誌の前で
ついでに洗った手が拭けたようだ。
「俺も一冊、買うとするか。」
私は【ヌロム・エー】という雑誌。
アルバイト求人雑誌の二大巨頭を一頭ずつ
脇に抱えた。
今日のは特に分厚かった。
車に戻った。
車の中で足を伸ばして寝ている
もうひとりの友人の
女とパチンコにしか興味が無いようだ。
ここのコンビニの店員だったりもする。
私はまだ座席にお尻が着く前に
もう雑誌のページを開いていた。
ドキドキする。
お宝を発掘する時の気分と同じ高揚感。
でも宝を探しに出掛けた事は一度も無く、
宝物を隠しに行ったことは何度でもある。
雑誌を開いた瞬間だった。
開いたページから
まるで割った竹からかぐや姫が出てくるようだ!
私は眩しくて顔を横に向けた。
鼻先に
もう少しで、
かぐわしい靴下に当たるところだった。
おやおや?
な、なんなんだ!
この巻末の特集コーナーは!
私の買った雑誌は当たりか!
たしかに最初に雑誌を持った時の手触りが
いつもとぜんぜん違っていた!
運命とはこんな感じで
良い予感しかしない。
【当たり】の部分だけを読んだ。
巻末に【レアバイト特集!】があったのだ。
私は心の中で思った。
さすがはミラクルな友人・
一人で居る時は何も起こらないのに
常盤木氏と居るとなぜか
いつも何かが起こる。
たとえば、
変なおっさんが近づいて来て話しかけられたり、
キャンプに行ったのにテントが無かったり、
見知らぬ女の子の方から声を掛けてきたり、
終電が終わったはずなのに電車が来たり。
そんな奇跡的なハプニングが必ず起こるのだ。
よし、間違いない。
これからは【ミラクルときわぎ】と呼ぼう。
さてレアバイトを熟読だ。
【時給7カナダドル・住み込み・家賃会社負担・・】
なんだこれは??
わずか5センチ四方の紙の情報だけで
カナダになんて行けるのか?
そんなバカな!
でも日本に居るのにカナダドルでお給料がもらえるという
新しいシステムかもしれない。
そのほうが得なのだろうか。
ドルで貯金ってなんかカッコいい。
なんか興奮してきた私。
横と後ろに居る友人二人に
声を掛けた。
「なぁなぁ、これ見て!
時給7カナダドルと書いてある。
なぜかカナダドルで給料が貰えるらしい。」
またアホなことを言ってると思われているに
決まっているので、雑誌を見せてみた。
ミラクル使いの常盤木氏がすぐに応えてくれた。
「ほんまやな。ふーん。広告の小ささが怪しいけどな。
でも・・・」
「でも?」
「書いてある事がホンマやったらオモロイな。ええの見つけるやんけ。」
かなり前向きな返答だった。
私は目を星にして言った。
「じゃあ明日早速電話してみるわ。面接になったら行く?」
「おー。行ってもええで。」
もう一人の
後ろを振り向いた私。
「
「俺はええわ。遠慮しとく。」
この二人の返事が、
ありきたりの人生の分かれ道なのは
有名な話かもしれない。
もう夜が終わりそうだったので
解散して家に帰った私たち。
次の日。
昼の1時に電話の受話器を上げた。
たったの一晩でもう求人雑誌はボロボロだ。
電話番号はカナダではなさそうだ。
大阪06から始まっていたからだ。
カナダも06から始まるのかも知れない。
私は時計をずっと見ながら
電話の受話器を持ったまま。
緊張する。
よしっ!
今だ!
自分の心の勇気と準備だけの問題だった。
番号を押し切った!
受話器に耳を当てた。
プー
プー
プー。
あー。
やり直しだ。
もう一度受話器を上げ下げしてから
番号を押した。
プルルルルー
プルルルルー
ガチャ!
出た!
女の人の声で「もしもし」と言っている!
ますます緊張した。
優しそうでいて、力強くもあり、
なによりも、明るい声だった。
「もしもーし!」
しまった!
心の中だけで返事していた。
ちゃんと声に出さなければ。
「あ、えーっと、もしもし〜」
腑の抜けた声。
どうした?直樹!
「あのぅ、アルバイトの雑誌の【ヌロム・エー】を見たんですけど。」
「はい!お仕事の応募ですね!お電話ありがとうございます!」
ハキハキとした声。
それに見えなくてもきっと満面の笑顔だ。
言葉の出てこない私にも
丁寧に説明をし始めてくれた。
あらかたの説明を終えて
その女性は最後に言った。
「それでは説明会ともし良ければ面接をするので
履歴書を持って江坂に来てください。」
「はっ、はいっ!わかりました!あっ、えーっと、すいません!
あのー。友達と二人で行きたいんですけど、良いですか?」
やっと自分の声が聞けた。
「良いですよ!ウェルカムです!
他にも友達同士で来られる方もいますので!」
なんて、感じの良い人だ!
しかもウェルカムだ!
電話の声だけで好きになってしまいそうだ。
年上の女性には、いつも憧れる。
「もし来れなくなったら連絡を下さい。この番号で大丈夫です。
わたし佐藤と申します。」
電話を切った。
面接に行く手筈になったことを
早速、常盤木氏に連絡した。
「わかった。行くわ。」
さすがミラクル氏!
返事が早い!
いつでもポジティブ!ウェルカム!
面接の日。
私たちの服装はキマっていた。
ビートルズに憧れてギターを弾いていた私たちだ。
二人とも
靴はもちろんツマ先の尖ったブーツだ。
常盤木氏のは茶色で私のは黒だ。
ギターとサングラスは家に置いてきた。
着いた先はペットショップとカフェが
合体した珍しいお店だった。
コーヒーを出してくれるペットショップか
ペット好きな人の喫茶店かどちらが主体か
よく分からなかった。
ウッディーな雰囲気のカフェの壁には
犬の首輪のリードがカラフルにぶら下がっている。
これで私達も繋がれてしまうのだろうか。
願ったり叶ったりだ。
首はちゃんと洗ってきた。
佐藤さんが現れた。
ピチッとしたスーツ姿だった。
憧れが憧れを身に
もう堪らなくて凝視している私。
小声で私の耳元で常盤木氏が言った。
「おい直樹・・・見過ぎやって・・・」
そう言われた瞬間、
「こんにちはー。失礼しまーす。」と言う声が
後ろから聞こえてきたので0.01秒で振り返った私たち。
声と同じような細くて白くて柔らかそうな
女の子が現れた。
私たち二人のブーツの先から頭の先までを
観察したあとで、
私たちの後ろに居る佐藤さんに向かって微笑んで言った。
「説明会はこちらで良かったでしょうか。榎本と言います。」
佐藤さんもとびっきりの笑顔で応えた。
「はい!榎本さんですね!もうすぐ始めますので
どうぞ好きな所に座ってくださいね!」
笑顔の花に挟まれて幸せな私たち二人。
そんな幸せな状況にとまどう私たち二人。
やっぱりギターを持って来れば良かったのかもしれない。
さらにもう3人女の子が来て、
計6人になった。
男子は私たちだけだ。
「では、始めます。ふたりとも、座ってくださいね。」
私たちは立ったままだった。
もう立ったままでも良かった。
一応一番近くの椅子に座った。
説明会が始まった。
なんてカジュアルなスタイルだろう。
今まで色んな会社やお店でバイトの面接を受けたが
こんな幸せな空間は初めてだ。
ここで、このメンバーで働きたいくらいだ。
夢を売る仕事に現実感なんて要らない。
私はますますカナダへの期待を大きく膨らませた。
話の内容があまり耳の中に入ってこない。
耳よりも目。そして鼻。
魅力的な映像と良い香りが私たちの五感を刺激し続ける。
本当にこれは現実なのだろうか?
魅力的過ぎて私は沸点に到達した。
そして徐々にネガティブな思考に
落ち入れ始めた。
(少し私には場違いな気がする。
男は私たちだけだし、私は無職だし、なんの取り柄もないし
英語も話せないし、彼女もいないし、ギターもそんなに上手くない。)
自分で自分を
自分だけポツンと灰色になった。
きっと説明だけされたら終わりなんだろうな。
面接には進まないだろうな。
ごめんな、常盤木さんよ。
チラリと横を見た。
その瞬間、常盤木氏もこちらを見てきた。
考えている事は同じだという確認が取れた。
佐藤さんの声が大きくなった。
「ではまずご自身でワーキングホリデーのビザを取得して下さい。
そして次にエアチケットを取って下さい。
カナダのこの場所に来て頂きましたら
住む家と働く場所を用意しています。
毎年30名ほど雇っているので仲間はいっぱいいますので
安心してくださいね。
観光地ですから日本人のお客さんが多いです。
そのために毎年日本で求人募集してるんです。
残念ながらワーキングホリデービザの有効期限は一年間。
見込みがある人は延長のワークパミットというビザを
会社で取得される方もいます。
私もその一人です。
英語は話せなくて大丈夫!
健康で笑顔なら大丈夫!
それではみなさま、
ワーキングホリデーのビザを取得したら私に連絡をくださいね。
今日は以上です。あ、あと履歴書だけ回収しまーす!」
あれれ?
行く手筈に、なってしまったぞ。
面接はどこにいった?
みんなが立ち上がって佐藤さんに履歴書を渡している。
私は周りを見渡してみる。
このメンバーで・・・
ここにいる素敵な人達と一緒に働けるというのか!
カナダで!
最高じゃないか!
私たちは最後になった。
ふたりで同時に履歴書を渡す。
佐藤さんは受け取った履歴書を
眺めながら椅子を片付ける。
「19歳かー。若いね。それにその革ジャンにウエスタンブーツ!すごく決まっててクールね!」
「あ、ありがとうございます!」
格好とは全然違う謙虚な態度でお辞儀をした私たち。
心は丸裸だった。
お店を出た。
思いっきり平日の繁華街の歩道。
くたびれたおっさん達が西へ東へと歩いている。
現実に戻った。
さて、どうしようか。
私はプータローで、いつでも行けるが、
常盤木氏は大学生。
私はフラれ坊主だが、
ミラクル氏にはしっかり者の彼女がいる。
私の親はまだ若いが
友人氏の親はもう歳だ。
二人に共通しているのは
お金が無いことくらい。
ん?
角を曲がってカフェから見えなくなった所で
常盤木氏が肩を叩いてきた。
「めっちゃ面白かった。ええもん見させてもらったわ。
行けるかどうかはわからんけど、楽しかったわ。」
常盤木氏は、そう言って
そのまま彼女の所へと旅立った。
暇で誰も待つ者の居ない私は
早速、本屋に行き
【地球の歩き方 カナダ】を買う。
読みながら家に帰り、
すぐにカナダ大使館に電話をした。
「あなたは大阪に住んでいるのでカナダ領事館の方へ
連絡してください。」
なるほど。
カナダ領事館へ電話した。
気が付けば、
何も考えずに即座に行動している私が居た。
カナダ領事館の人が出た。
「えーっと、ワーキングホリデーのビザを取りたいのですが、
【今年から申請方法が変わる】と本には書いてあったのですが、
どうすれば取得出来ますか?」
変な
受話器を持っているその人は答えてくれた。
おっさんだった。
「あー!少し遅かったねぇ。
今年の分の応募はもう締め切ったんですよ。
昨年までは人数に制限がなかったんだけど、
応募者が多くなってきたからということで
今年から・・・」
このあたりから脳みそがボーッとしてきた。
無理なのか?
やっぱり無理なのか?
行けないのか?
夢だったのか?
さっきまで楽園はどこへいったんだ?
おっさんの長い話がまだ続いていたようだ。
耳が意識を取り戻した。
「いやー。だから今年から人数に制限を設けましてね。
もう締め切ったんですよ。残念だったね。」
なぜおっさんは敬語とタメ口が混ざるのか?
とりあえず絶望しながらお礼を言って電話を切った。
いや、
領事館がダメなら、もう一度、本家本元の大使館だ!
ダメだった。
もう一度東京のカナダ大使館に電話を掛けてみたが
結果は同じだった。
中身は少し違っていて女性だったので丁寧に教えてくれた。
耳の気絶せずに済んだ。
「次は来年の11月1日からの応募になりますので、
次は早めにご応募してください。お待ちしておりますので。」
その声は優しかった。
おっさんに切りつけられた傷口から出ていた血は止まった。
私は笑った。
(はっはっは!まあ、こんなことだろうと思ったぜ。
本当にカナダになんて、そんな簡単に行けるとは思っていなかったし。
まあでも、こんなに積極的に行動したのも珍しいから自分で自分を褒めよう。)
急いで冷蔵庫に向かって
親父のビールがないか探しながら
泣いた。
終わった。
こんなに魅力的な進路は
私にとって他にない。
諦めきれない。
面接してくれた佐藤さんに伝えよう。
他にカナダに行く方法はないだろうか?
常盤木氏に連絡するのはその後だ。
ちゃんと06を省略せずに番号を押した。
「もしもし」と私が事情を話す前に
向こうから話し始めてくれた。
「もしもし、佐藤です。あのですね、
先ほど私もカナダ大使館の方に連絡したら
今年のワーキングホリデーの申請が締め切られていました。
今年から申請方法が変わるとは聞いていたのですが、
まさか人数にまで制限が掛かるとは知らずに、
のんびり面接していて申し訳ないです!
カナダにいる社長達に今連絡していますので、
また結果を連絡しますから。ちょっと待っててもらえますか?
また連絡しても大丈夫ですか?」
「も・ち・ろ・んです!よ、よろしくお願いします!」
「では、また。」
プー
プー
プー。
受話器を置くのが早かった。
次の日。
佐藤さんからの連絡はすぐにやって来た!
私は受話器を左耳に押し当てて、
それをガムテープで顔にグルグル巻きにしたいくらいだった。
「申し訳ないです!ビザをこちらで取得するのは無理だそうです。
なのでワーキングホリデーのビザが取得できない方は一年先になってしまいます。
ただし、今回面接した全員は採用します。
ビザの取得が一年先になってしまったので
もしあなたが一年後もカナダに来たいということでしたら、
こちらはウェルカムなので連絡下さい。
一年先になってしまいますが、あなたと働ける日を楽しみにしています。」
私が全く話すこともなく、どんどんと話が展開していく。
まるで映画を見ているみたいな感覚だった。
せっかく来た大波に乗ることが出来なかったサーファーの気分。
波は『また来る』と約束して去ってしまった。一年も先の約束。
常盤木氏になんて言おうか。
ミラクルが起きて『そのビザなら俺もうすでに持ってるで。しかも2枚✌️。』
なんて事にならないだろうか。
ならないだろうな。
ない、ない。
ポッカリ空いたこの先の一年間をどうしようか考えてみた。
あれ?
今まで地蔵のように何もせずにじーっと暮らしていたくせに
急になんだ?
一年間どころか何十年間も何百年間も全く予定が無いではないか!
一度覚えた波の感覚にすっかり活動的になっていた私。
サーフボードと言う名のアルバイト雑誌を
小脇に抱えたまま、
沈む夕日を眺めるように
ぼーっとカナダドルのほうを眺めていた。
〜つづく〜
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