原子力発電

 原発の利点は、二酸化酸素を排出しないという一点に尽きる。これ以外の利点は一つもない。

 導入当初、核エネルギーは人類の未来を照らす『夢のエネルギー』などともてはやされたが、これは国家によるプロパガンダで、実際には廃棄物の処理法も確立されていない未熟な科学技術を用いた発電方法であった。嘘かまことか、原発導入当初の核廃棄物はマリアナ海溝に投棄されていたそうだ。現在でこそ青森県六ヶ所村に核廃棄物の保管施設を設けているが、これは最終的な処分施設ではなく、あくまでも仮の保管場所だ。青森県は最終処分場は県外に設けるという約束で一時的に核廃棄物を引き受けているに過ぎない。その施設さえ現在は満杯で、原発が動く限り増え続ける核廃棄物は、各原発の敷地内に保管されているのが現状だ。

 現在日本には68基の原発があり、福島原発事故以来全基が運転を停止していたが、徐々に再稼動の動きを見せ始めている。喉元過ぎれば何とやらで、政府にも電力会社にも原発事故の教訓を生かそうという気はないらしい。事故の後処理が未だに続いており、莫大な国家予算(税金)が投入されているにもかかわらず、である。

 それにしても、いつの間にこれほど多くの原発が建設されたのか。事故が起こるまで、多くの国民は知らなかったのではないか。原発が危険な代物であることは分かっているが、何となく大丈夫なのだろう、ぐらいの認識しかなかったのではないだろうか。この事実を国はひた隠しに隠してきた。形の上でこそ公開はしていたかも知れないが、積極的に周知しないことによって情報操作を行ってきたのだ。原発関連の報道についてはメディアも消極的であった。その理由はまた後ほど述べるとして、事故で明らかになったのは、原子力を電力供給の中心に据えようという国のエネルギー政策が誤りであったということだ。アメリカのスリーマイル島や旧ソ連のチェルノブイリの原発事故で、政府は原発の危険性を認識していたはずだ。にもかかわらず原発の建設を進めてきた背景には、アメリカの原子力マフィアの存在がある。原発建設を推進することによって利権を得ている人間達である。この原子力マフィアに踊らされて、日本政府は各地に原発を建設してきた。ジャパン・ハンドラーズと呼ばれる人間達が日本政府に露骨に圧力をかけている。日本側にも利権に噛んでいる人間がいる。電力会社やその関連企業が、国家公務員の天下り先になっているのだ。


 アメリカからの要請に応じて原子力産業を後押しする政府。

 その利権を求めて原子力産業に群がる元官僚達。


 電力業界の中枢に省庁の元官僚が入り込んで、原子力を推進する体制を作り上げている。原子力に固執する電力会社の姿勢は、将来の安全性や経済性、環境改善に対する意識に根ざしたものではなく、一部の人間の利己心から生じたものだ。原発の危険性・不合理を百も承知していながら、自分たちの権益を守ることに腐心しているというのが、彼らの真の姿だ。国民がいくら異を唱えたところで、肝心の電力会社がこうした原発推進論者で固められている現状の下では、エネルギー政策の方針転換を図ることは難しい。本来国民の為にこそ働くべき政治家や官僚が他国の顔色を窺い、利得を漁っている。公僕であるという意識など、彼らは微塵も持ち合わせていまい。

 日本が誇る一流企業であった東芝も、原子力マフィアには煮え湯を飲まされている。米原発大手のウエスチングハウス買収という一見華々しいビジネス劇は、原子力マフィア側から見れば、事故を頻発し斜陽産業となることが目に見えている原発ビジネスを誰に引き受けさせるかという問題であった。彼らの思惑通り、東芝からの資本の吸い上げには成功した。当然、東芝の解体も見越した上でのシナリオである。東芝にしてみれば、大切に育ててきた半導体事業まで売却する羽目になり、踏んだり蹴ったりの結末である。あわよくば、半導体事業までアメリカ側に取り込もうという腹だったかも知れない。ところで、東芝の経営者は本当に原子力マフィアの目論見を見抜けなかったのであろうか。何らかの裏取引があり、彼らが原子力マフィアと結託していた可能性は拭えない。


 次に、原発にかかる費用について。

 同等の発電力を持つガス発電所と比べると、原発の建設費用は約二倍から三倍である。化石燃料を用いる火力発電と比べると燃料費が安いとは言え、廃棄物の処理を含めた核処理の費用を考えれば、原子力発電が本当に安価な発電方法であるかは甚だ疑問である。さらに事故が起こった際には、原発にかかる費用は際限なく膨らんでゆく。費用だけの問題ではなく、環境や周辺に住む人々の人生にも関わる問題に発展する。原発の電気料金が安く見積もられるのは、これらの点を考慮していないからである。電力会社の公表する数値など、恣意的にいかようにも変えられるのである。


 政府が原発の保持にこだわる理由がもう一つある。

 核関連技術の維持・促進である。

 原発の維持によって蓄積された核技術と核燃料、そして国産ロケットの技術を合わせれば、日本には二年で核ミサイルを完成させる能力があるという。三ヶ月で可能だとの説もある。日本政府は、いつでも核ミサイルを保有できるというこの状態を維持したいのである。しかし、果たして、所謂『核の傘』が本当に戦争抑止力となり得るのか。また、核を保有しているからと言って、日本の国際的な地位は向上するのか。国際社会における日本の発言力が弱いのは、単に日本の政治家がだらしないからではないのか。昔から、日本は官より民のほうが優れていると言われる。実際、海外へ進出し国際的に活躍している企業は数あれど、国際政治の舞台で活躍している日本人は皆無に等しい。国際社会で国民の代弁者としてものを言える政治家が、日本にはいないのである。世界第二位(現在は三位)の経済大国を築いた国民の代表ならば、もっと強い発言力を持ってしかるべきである。核保有がどうこうという問題ではないだろう。

 核保有が戦争の抑止力になるかどうかについてであるが、これも甚だ怪しい話で、実のところ核保有国が自国の優位を誇示するための方便にすぎない。その方便に乗って、核保有国に実際以上の力があるなどという錯覚に陥れば、まさに彼らの思う壺である。冷静に相手の力を見極める目を持たねばならない。核保有など単なるはったりに過ぎない。実際に核のスイッチを押す人間がいるとすれば、それは狂人だけである。狂人の手に核のスイッチが渡る事は起こり得るが、ならばなおのこと、『核の傘』などという議論には意味がない。

 

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