第31話 少女の恋……百瀬香奈の場合③

 この街に引っ越してきて、初めての登校となる朝。


 私はとんでもない不幸と、それらを全て吹き飛ばしてしまうような、まるで台風みたいな人間に出会った。


 どちらも、普通に生きていればまず遭遇することのない特異な出来事だったと思う。


 そんな非日常に、私は二度もぶつかってしまったのだ。


 あぁ、ついていない。




 まず、不幸とは。


 それは、転校初日の朝からチンピラに絡まれてしまうという事だった。


 アメリカ人の母の血を引く私の髪の色は驚く程に茶色がかっている。


 それが、そいつらにとっては物珍しいかったのだろう。


 別に、私自身にこだわりはないし、親から貰った大切な体だから、変に手は加えず、ありのままでいたいと、そう思っているだけなのだけれど。


 それでも、そんな髪色をしていると、日本では差別や誤解を受けやすいと言うか、ヤンチャで遊んでいる非行少女だというイメージを持たれやすい。


 それ故に、そう言った軟派で秩序のない輩に目を付けられてしまったのだ。




「ねぇ、何やってんの~?」




 チャラチャラとした、男の三人組。


 20代そここその年齢であろうそいつらは、平日の朝だと言うのにお酒臭く、「ワンちゃん講義サボっちゃう?」などと言うセリフ嘯いていたので、おそらくではあるけれど、大学生か何かなのだろうと察しがついた。


 成人にもなって、17歳の女の子一人に、三人がかりでナンパとは情けない。


 恥ずかしいとは思ないのかと、心底呆れていた。


 そのまま無視を決め込んだけど、懲りずに話しかけてくる男達。


 あまりのしつこさに痺れを切らした私は、言葉を選んで、迷惑だという意向を伝えた。




「見れば分かるでしょ、学校。良い年して女子校生ナンパするとかバカみたい。私、残念ながらロリコンには興味ないの。今すぐ私の目の前から消えて、猿」




 今思えば、少しだけ、ほんの少しだけ言い過ぎたような気もする。


 でも、その言葉は紛れもない事実だったし、言ってしまった事自体に後悔はなかった。


 きっと、私が言わなければ、こいつらは他の女の子にも同じような迷惑行為を振りまいていたのだろう。


 だから、一言ガツンと言って、痛い目を見させてやりたかった。


 それは、本心からの行動だったと思う。


 けれど、私だって一応は現役女子高生。


 清廉で、繊細で、か弱い女の子だ。


 悪目立ちはしたくなかった。


 なぜなら、登校初日だから。


 遠巻きに、同じ制服を着た学生達の視線を感じる。


 あぁ、もう……変な誤解をされて、あらぬ噂でも流されたら面倒臭い……とにかく、一刻も早く私の側から離れてほしいと、そいつらを睨みつける。


 しかし、そんな私の想いとは裏腹に、ナンパ男達は「何だこいつ」と激昂した。


 それもそうだろう。


 自分よりも立場が低いと見くびっていた弱者から反撃されたのだ。


 面白くなくなるのは必然。


 そのまま、汚い言葉を浴びせられ続けた。


 こんな下衆な人間達が存在するのかと、びっくりしたのを今でも覚えている。


 ほんの少しだけ、怖いと、そう思った。


 けれど、私は決して屈しなかった。


 屈するのは、この男達の行動の有効性を認めてしまうのと同じだから。


 だから、私は一歩も引かなかった。


 罵詈雑言に耳を貸さず、無視を続ける。


 依然とした態度とは裏腹に、体は少し震えていた。


 そうして、我慢の限界を超えた男が一人、私の右腕を掴んだ。


 まずい、暴力を振るわれると。


 そう、覚悟を決めたその瞬間だった。




「おい」




 駅のホームに、ドスの利いた声が響いた。


 私も、ナンパ男達も、利用客も、その場にいた全員が声の主に視線を向けた。


 突如現れたその大男は、獲物を狩る獣のような、そんな表情をしていた。


 鋭い眼光、額に浮かぶ太い血管、骨が軋むほど握り潰された拳。


 見ただけで分かる、強者の風格。


 本能が告げていた。




 コイツは、ヤバいと。




 駅のホームに、ピリピリとした空気が充満する。


 辻斬りにでも遭遇したのかと、そう思ってしまうくらいに、目の前にいる彼からは殺気が溢れかえっていた。


 先程まで吠えていたナンパ男達ですら、冷や汗をかいて狼狽えてしまっている。


 えっと……どうしたら……




「女に手あげんな」




 たった一言で、ずっしりと重たいその一言で、状況が変わった。


 ナンパ男達は掴んでいた私の手を放し、「な、何だよ……」と、そんな典型的な負け犬の遠吠えを吐いて逃げていった。


 私がいくら言っても聞いてくれなかったのに何なのよと、そう心の中で悪態を付きながらそいつらの背中を見送った。


 そうして、その場に私と大男だけが残った。


 視線を向けると、目が合った。


 今もまだ、人殺しの目をしている。


 正直、私も少し、いや、かなりビビっていた。


 でも、おそらく、彼は私を助けてくれようとしたのだろう。


 それなら、私が言うべき言葉は一つだった。




「あの……助けてくれてありが……」


「アンタも」




 しかし、彼は私のお礼の言葉を遮って、言った。




「アンタも、あんな挑発的な言葉を使ったら面倒臭い事になるって分かんねぇかな。ちょっとは頭使えよ」




 怒気の籠った言葉が、私に突き刺さる。


 それが、どんな意図を込めた言葉だったのかは未だに分からない。


 もしかしたら、私の行く末を心配した、彼なりの忠告だったのかもしれない。


 でも、それでも、助けてもらった相手にそんな態度を取ってはいけないと分かっていても。


 私は、彼のその言葉に反論してしまった。


 私が言えることではないけど、「もっと言い方というものはなかったのかと」、そんな気持ちを抑えることができなかった。


 その気持ちを、その状況を、日本の有名な諺で例えるのならこうだろう。


 『売り言葉に、買い言葉』


 


「だって……別に私悪くないし……」


「は?」


「だから、私は悪くないって言ってんの! それに何? いくら助けてくれたからって、初対面の相手にそんな言い方ないでしょう?」


「お、お前……」




 それから、騒ぎを聞きつけて現れた駅員さんに止められるまで、口論は続いた。


 結局、ナンパ男からコイツに相手が変わっただけ。


 私は登校初日の朝からとんでもない悪目立ちをしてしまったのだ。


 こんなヤツとは一生分かり合えないのだろうと、当時はそう思って疑わなかった。


 けれど、人の気持ちというのは不思議なもので。


 私は今、そんな相手に恋心を抱いてしまっていた。


 そう、アイツだ。


 乱暴で、凶暴で、失礼で、台風みたいな男。


 そいつの名前は、“七月剣”と言った。


 それが、ヤツとの最悪の出会いだった。




 そんな最悪の出会いから、どんな過程を経て恋心を抱いたのかと言うと、正直自分でもよく分かっていなかった。


 強いて言うなら、七月と出会ってから今日までの全ての時間が、私の心に七月という存在を強く刻んだと、そう言える。


 気づいたらアイツの事を目で追って、ずっと考えてしまうようになっていた。


 転校初日、同じクラスで、しかも隣の席で、「…………あっー!」とお互いに叫びあった事も。


 クラスに馴染むのに苦労していた私に、乱暴だけど、積極的に話しかけてくれた事も。


 そのおかげで、何とか皆と打ち解けられた事も。


 外見や育ちや立場を気にせず、対等に私を扱ってくれた事も。


 全てが折り重なって、好きと言う気持ちを育み実らせた。


 生まれて初めて、こんな気持ちになった。


 もっとアイツと話していたい。


 もっとアイツと一緒にいたい。


 私の特別がアイツであるように、アイツの特別に私もなりたい。


 日に日に気持ちは大きくなるばかりだった。




 けれど、問題が二つあった。


 それは、アイツが私に「好きだ」という気持ちを向ける可能性は限りなく低いという事と、かと言って私の方から「好きだ」という気持ちをぶつけるのは死んでも無理だという事だ。


 それは、今のままでは絶対に進展しないという事を意味していた。


 ほんの少しでも望みがあるとすれば、それは「私が素直になる」のが絶対条件。


 でも、無理。

 

 昔から、素直な気持ちを言葉にするのだけは苦手だった。


 いつも、弱い心を強い言葉で隠して、誤魔化してきた。


 つまり、何が言いたいのかと言うと。


 私の初恋は、詰んでしまっていたという事だ。

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