第32話 少女の恋……百瀬香奈の場合④

 あのテロにも近いゲリラ告白から数日が経ったある日の放課後。


 私は、誰もいない教室で一人、夕空を見つめて物思いに耽っていた。


 どうしてあんな事を口走ってしまったのだろうか。


 未だに、自分でもよく理解できていなかった。


 “好きな気持ちが溢れて止まらなくなった”みたいな、そんな曖昧な理由。


 認めたくなかったけれど、それが一番近しい原因だと、そう思う。


 素直になるのが苦手な私が、あんな、ダイレクトに……


 思い出しただけで、恥ずかしくなってきた。


 でも、どんな形であれ、気持ちを伝えれたのは良い事だと、そう思う。


 だって、あのまま何も言わずにいたら、どうやっても進展なんてするはずがなかったから。


 だから、これを機に、七月との関係性をより深く、前向きなものに……できるはずもなく、私達の二人の間には不穏な空気が滴り始めていた。


 ここ数日、私と七月は一言も言葉を交わしていない。


 まぁ、恥ずかさのあまり私の方から避けてしまっているのも一端ではあるのだけど。


 それでも、七月の方も、いつもとは違った様子に見えたのは事実だった。


 正直、告白する前の方が、仲が良かったまである(全く良くない)。


 今は何と言うか……知人……いや、他人?


 ……ダメじゃん……限りなく後退してる……。




 夕日が差し込み、オレンジと黒のコントラストが映える教室に、私の深い溜息が落ちる。


 あぁ……どうして私はいつもこうなんだろう……


 折角、素直に自分の気持ちを伝えることができたのに。


 場所も、タイミングも、全ての選択を間違えて、結果的に自分の首を絞める羽目になってしまった。


 何て言うか、私は要領が悪いというか、不器用な人間なのかもしれない。


 これでは、七月に目を向けてもらうどころか、友達にすらなれないんじゃ……




「あっ……」




 不安になって頭を抱えていると、不意に、入口のドアに人影が見えた。


 見覚えのあるシルエット。


 その影はそのまま通り過ぎていき、私は席を立って、こっそりと目で追った。


 広い背中。


 恵まれた肉体。


 深い海の蒼に彩られた道着。


 やっぱり、アイツだ。


 七月が、廊下を歩いていた。


 ドキッと、胸の奥が高鳴る。


 ど、どうしたんだろう……いつもなら部活をしているはずなのに……


 と、悶々とした気持ちで七月がここにいる理由を考えた。


 忘れ物でも取りに来たのだろうか。


 でも、七月は教室には入ってこないで、そのまま通り過ぎていったし……


 ……もしかして、彼女と密会!?


 そんな根拠のない疑惑に、私はショックを受けてしまう。

 

 そもそも、アイツが特定の異性と仲良くしているところをみたことが無い。


 もちろん、性別関係なく、皆と分け隔てなく仲良くしてはいるのだけど。


 それでも、相当にモテる七月の事を考えると、安心はできなかった。


 あ……行っちゃう……と、七月の背中を見送る私に謎の孤独感が募った。


 ここ数日、まともに七月と話せていない。


 私が気恥ずかしかったのもあるし、あの告白から、明らかに七月の態度もおかしかった。


 それもそうだろう。


 毎日口喧嘩を吹っかけてくる煩わしい女に突然告白なんてされてしまったら、どう接して良いのか分からなくもなる。


 でも、この状態が、他人のように振舞わなければいけないこの状況が続くのは正直しんどかった。

 

 席が隣で、毎日顔を合わせるから気まずいっていうのもあるし、第一、私の気持ち的にも、一人の恋する少女として、想い人に無視されるというのはあまりにも酷だ。


 それに、私が足踏みをしている間に、万が一にも、他の誰かに七月を取られたりしたら……




 よ、よし……話しかけよう。




 不安や焦りが、私の頑固で強固な心を動かした。

 

 それくらいに、今のこの煮え切らない状況に不満を持っていたのだろう。


 七月に直接話しかけて、この前の告白の答えを聞く。


 こんなに悶々と悩むくらいなら、素直に聞いてしまった方が楽になるはずだ。


 そう覚悟を決めて席を立ち、私は七月の後を追った。




 音を立てないように教室のドアを開け、七月が歩いて行った方向に視線を向ける。


 思ったよりも遠くには行っていなかったみたいで、アイツは教室から数メートル離れた生徒用のロッカーの前に座り込んでいた。


 疲れているのか、ぐったりと背を曲げ、虚ろな様子で自分のロッカーを漁っている。


 そんな七月に、私は背後からゆっくりと近づいて、そおっと声を掛けた。


 突然話しかけたらびっくりするだろうと、そんな気遣いからそうしたのだけれど……




「ねぇ……」


「うおっ!」




 けれど、当の本人にはあまり効果はなかったみたいで、むしろ余計に七月を驚かせてしまった。


 これだったら、普通に話しかけた方が良かったまである。


 せっかく気を遣ったのに……と、面倒くさい乙女心が全身を駆け巡る。


 けれど、決してそれを言葉にはしなかった。


 なぜなら、七月は何も悪くないからだ。


 以前だったら、七月に不満をぶつけていたと思う。


 それが、今回は何とか踏みとどまれた。


 それだけは、成長したなと素直に褒められると思う。


 偉いぞ、私。




「何だ、百瀬か……びっくりした……」


「な、なによ……」


「いや、お前、背後から突然声掛けるなよ……」




 呆れたように、七月が言う。


 気だるげな猫のようなその口ぶりは、いつもの、告白以前の七月のものだった。


 よ、良かったと、私は胸を撫で下ろす。


 勇気を出して声を掛けたのに、気まずい感じになってしまったらどうしようと、心のどこかではそう心配していた。


 それ故に、七月がいつも通りに反応を返してくれたことが何よりも嬉しかったし、安心した。


 だから、私を見て驚いた事を問いただすのはやめておく。


 意外と優しい対応をしてくれたのに免じて、今回は見逃してあげる事にした。




「……な、七月?」


「何だよ?」


「えっと、この間の事なんだけど……」




 下手に会話を続けて言い争いになったりしないうちに、さっさっと本題に入ってしまおうと、私はしどろもどろになりながら七月に聞いた。


 すると、七月の表情はまた曇った。


 七月が何も言わないから、私も何も言えない。


 そうして、お互いに何も言えずに黙っていると、七月が一度だけ息を吐いて、その重い口を開いた。




「すまん……まぁ、その……正直、お前の事はよく分からん」


「えっと……」




 七月から返ってきた言葉は、つまりはそういう意味で。


 私の事なんて、はじめっから眼中になかったと、七月はそう言いたかったのだろう。


 舞い上がって、一人で浮足だっていたのは私だけだと。


 そんな残酷な真実を突きつけられてしまった私は、一体どうしたらいいのだろうか。


 胸が締め付けられるような感覚が、酷く全身を襲う。




「だから、その……そういう風に言われてもどうしたらいいか……」




 そう言う七月の顔は、ひどく歪んでいた。


 自分の口から出る言葉にとても気を遣っているような、そんな様子。


 こんな表情をした七月を、私は初めて見た。


 私がそうさせているのだから、どうしようもないのだけれど。


 それでも、何だか申し訳ない気持ちになった。


 こんな、お互いに遠慮しあうような関係を、私は望んでいなかった。


 けれど、現実ではそうなってしまっていて、私は七月に釣り合う人間ではないという現実が、より鮮明に浮き彫りになったような気がした。


 やっぱり、私は……




「……い、嫌」


「え?」




 ……そんなの、嫌だ。


 極限まで追い込まれた果てに出た本音は、子供のような我儘だった。


 何もしないまま、何もできないまま、素直になれないまま、全てを失うのは嫌だった。


 それだったら、全てを曝け出して、持てる全てを持って縋って、後悔なんて一つも残らないくらいにぶつかって砕けた方が何倍もいい。


 今まで頑なにプライドに縛られていたのに、調子のいい事を言っているのは分かっている。


 でも、それでも、諦められなかった。


 ちゃんと私を知った上で、振られるのなら納得できる。


 けど、こんな、不戦敗みたいな終わり方……




「じゃあ、私の事をもっと知ってくれれば、真剣に考えてくれるって事?」


「い、いや……」




 私がそう言うと、七月はもっと困ったような顔をした。


 ……な、何よこの男!


 どっちにしろ、私に興味なんかないんじゃない!


 


「に……」


「……に?」




 そうして、自分の口から出た言葉に、私は驚く。




「日曜日、出かけるからアンタも付き合いなさい」


「……は?」


「10時に駅前で待ってるから。遅れたら殺す」


「お前、何言って……」


「絶対に来なさいよ! じゃ!」




 一方的に約束を取り決めて、私は廊下を走った。


 心臓が、バクバクと波を打つ。


 不思議と後悔はなく、今ただ、使命感に燃えていた。


 見てなさいよ、七月剣。


 私の全てを持って……絶対、アンタを振り向かせる!

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