第15話 少女の恋……森原真鈴の場合⑥

 試合が終わり、顧問の先生の講評兼慰めを聞いた後に、私は試合会場から飛び出し、近くの木陰でたそがれていた。


 先輩方はよくやったと、そう褒めてくれた。


 自分で言うのも何だけれど、確かに頑張った方だとは思う。


 まぐれとは言え、剣道を初めて数ヶ月の新人が、幼い頃からその道を歩む手練れから一本を取るなんて、滅多にできることじゃない。


 実力者程隙が無いと、七月先輩を近くで見てきたから、知っていた。


 だから、自分は頑張ったと。


 運と、きつく辛い練習を耐えた成果だと。


 そう、自分に言い聞かせた。


 自分で自分を褒められると。


 自分で自分を認められると。


 胸を張れると……そう……




 本当に、そうだろうか。




 本当に、心の底からそう言えるのだろうか。


 いいや、言えない。


 本心では、受け入れられずにいた。


 ダメな自分を。


 弱い自分を。


 私は、認められずにいた。


 死ぬ程後悔して、死ぬ程落ち込んでいた。


 どうしてもっと頑張らなかったんだろう。


 どうして最後まで集中できなかったんんだろう。


 どうして……どうして。


 自責の念が、私の体を蝕んでいく。


 けれど、どれだけ悔いても、どれだけ泣いても、今ここにあるのは、自分はダメだったんだという事実のみだった。


 そう、私はダメだったんだ。

 

 七月先輩と対等になるだなんて、おこがましいにもほどがある。

 

 優勝なんて、夢のまた夢。


 それどころか、試合に勝つ事すらもできず……本当に情けない……




「お疲れ」




 そうやって、一人物陰ですすり泣いていると、背中越しに優しい声音が響いた。


 振り向かなくても分かる。


 それは、聞きなれた声だった。


 いつもの怒鳴り声とは違う、柔らかくどこか安心感を覚える声。


 凄まじいギャップに、心の深い部分が浮つく。

 

 けれど、この優しい声が、誰かを案じる声音が、彼の本質なのだと私は思う。




「あっ……すいません……私……えっと……」


「泣くなよ」




 そう言って、七月先輩はタオルを手渡してくれた。


 病気の子犬を看病するかのように、心配そうに私を見ている。


 弱い私に、敗れた私に、甘える資格なんてない。


 そんなの、分かっている。

 

 でも、それでも。


 私は、その差し伸べられた手を拒む事が出来なかった。


 本当に、弱くて卑怯で何もできない自分が嫌になる。


 わんわんと泣く私を、七月先輩は黙って見守ってくれていた。


 この後自分の試合があるにも関わらず、ずっと側に居てくれた。


 本当に、この人は、ずるい。




「すいません……私、だめでした。あんなに先輩に教えてもらって、あんな宣言までして……みっともないです」




 恥も外聞もなく泣いてしまったせいで、自分の気持ちにブレーキが効かなくなった。


 止められなくなった思いの丈を、私は吐き出す。




「いや、別に謝ることではないだろ」


「でも……でも……」


「お前はすごいよ」


「……え?」




 すると、七月先輩は恥ずかしそうな表情を浮かべて、そう言った。

 

 今一つ、七月先輩の言っていることが理解できなくて、私は聞き返す。




「だから、お前はすごいって言ってんだよ」


「……いや……え?」


「俺はずっと、お前の事すごいと思ってた」


「……は、はい?」




 七月先輩のその言葉に、私は混乱する。


 この人は何を言っているんだろう。


 七月先輩にそんな風に褒めてもらえるような部分など、私には何一つ存在しない。


 それは、私自身がよく理解している事だった。


 丁度、自分の取り得のなさに打ちひしがれていたから。


 だから、慰めで言っているのならやめてほしかった。


 もっと惨めな気持ちになってしまいそうだったから。


 だから、私は七月先輩の言葉を信用しなかった。




「ありがとうございます……すいません……気を遣ってもらっ……」


「気なんて遣ってない。嘘じゃないんだ」




 けれど、私のその言葉は、すぐさま七月先輩に否定された。


 そのまま、真剣な眼差しで私の目を見つめながら、彼が言う。




「部活動見学の時から根性あるやつだなって思ってた。俺が厳しく接すると大半の奴らが離れていくけど、それでもお前は……真鈴は毎日通ってきてて、何だこいつって思ってたんだ。夜の公園でバット振ってた時も、俺にはできないなって、そう思った。すごく実直で素直なヤツだなって、そう思った。練習も、文句も言わずに毎日やって、正直ビビってた。俺だったら無理だから。俺は幼い頃から剣道を続けてきたから耐えれてるけど、初心者があんなにボコボコにされて、毎日のように怒鳴られてたらさすがに持たない。心折れる。逆切れして暴れてる。絶対に無理」




 そう言って、七月先輩ははにかんだ。


 私は驚いて、言葉を失う。


 初めて、七月先輩が弱音を吐いているところを見た事も。


 七月先輩がそんな風に私の事を想っていてくれた事も。


 全てが、予想外だった。


 


「だから……だから、胸を張っていい。お前は凄い」



 そうして、彼が言った切れ味の鋭い剣のような言葉に。


 私の心の柔らかい部分は、抉られる。




「うっ……うっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」




 私は泣いた。

 

 みっともなく、泣いた。


 まるで子供みたいに、泣いた。


 私は馬鹿だ、大馬鹿者だ。


 ずっと、彼に認めてもらいたいと、彼に見てもらいたいと、彼の隣に立ちたいと、そう思っていた。


 けれど、違う。


 そんな事、望まなくても。


 彼はずっと、私の側で、私を見て。


 私を、認めていてくれた。

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