第14話 少女の恋……森原真鈴の場合⑤

 そうして迎えた大会当日。


 トーナメント表を見た私は、絶望の淵に立っていた。


 何故なら、一回戦で私と当たる相手が、全国大会常連、優勝候補筆頭の『笹原さん』という選手だったからだ。


 お、終わった……


 と、そう魂の抜けたような溜息が宙を舞う。


 ははは……私っていつもこうだ……


 何かを頑張ろうとしても、いつも上手くいかなくて、運が悪くて……


 そう、また何かに理由を付けて、逃げ出そうとして、踏みとどまる。


 いいや、ダメだ。


 私は、決めたんだ。


 この大会で優勝して、七月先輩に認めてもらうと。


 優勝するのが目標なら、どちらにせよ戦わなければならない相手だ。


 それなら、最初に当たろうが、最後に当たろうが、関係ない。


『できない事なんてない』


 七月先輩の言葉が、心の芯を熱く燃やす。


 私は、立ち向かわなければダメなんだ。




 そうして始まった個人戦。


 私は試合開始早々に相手に一本を取られ、追い込まれていた。


 もう一本取られてしまえば、敗けが決まってしまう。


 切れる息、尽きる体力、圧倒的な実力差。


 正直、心は折れかけていた。


 気持ちだけで勝てるほど、勝負事と言うのは甘くはないのだろう。


 笹原選手だって、何年も血の滲むような努力をしてこの場に立っている。

 

 だから、強く、結果を残せるんだ。


 そんな相手に勝とうだなんて、思い上がりも甚だしい。


 たった半年程度しか努力をしてない私に、何ができる。


 そう思った途端に、目から涙が流れた。


 試合中に泣くなんてみっともない。

 

 今すぐに泣きやめと、そう自分を鼓舞するも、涙は止まらなかった。


 同じ高校の先輩達の声援が遠く耳に鳴る。

 

 落ち着いて、だとか、集中、だとか、色々なアドバイスが会場中に響いた。


 嬉しいし、励まされる。


 けれど、今は無理だった。


 先輩達の言うような状態に、自分を立て直せなかった。


 何故なら、初めから落ち着いているし、集中もしているからだ。


 それなら、私がこうも追い詰められている理由は何か。


 私に足りないものは、何なのか。


 それは、“実力”だ。


 やっぱり、私には剣道なんて無理だった……




「逃げるな!」




 諦めかけていた、その時だった。


 怒号にも似たその声が、会場全体が揺れるくらいに響き渡った。


 良く聞いた、怒鳴り声。


 振り返らなくても分かっていた。


 誰が背中を押してくれたのか、分かっていた。


 私はすっと息を吸い、体制を整えた。




“背筋はピンと、相手を射抜くつもりで”




 その言葉が、今も心の中に響いている。


 こんな事は、間違っているだろうか。


 こんな、強く眩い光に憧れて、自分に向かないような事を、意地を張って、無理をして、ボロボロになりながら続けることは。


 分からなかった。


 でも、体は、心はもう止まらなかった。


 必死に鍛え上げてきた筋肉が、技が、私の意思を超えて相手に向かっていく。


 そんな自分が、少し可笑しくなってしまう。


 中学生までの自分、いや、剣道を始める前の私なら、こんな風に誰かに、弱い自分に立ち向かえなかったと思う。


 成長したなと、心からそう思えた。


 どれもこれもが、七月先輩に教えてもらったもの達だった。


 全部、七月先輩からもらったものだった。


 今の私が間違っているのかは、やっぱり分からない。


 けれど、こうなってしまったのが、良いのか悪いのかを問われれば、答えは一つだった。




 剣道を初めてよかった。


 七月先輩に出会えてよかった。


 そう、迷わずに言えた。




 竹刀を振りかぶり、地べたを思いっきり蹴る。


 足の皮は擦り剝け、掌の豆がじんじんと痛む。

 

 痛いし、辛いし、苦しいし、怖い。


 そんなしんどい時の方が、圧倒的に多いけど。


 それでも、私は今の、竹刀を振る自分が嫌いではなかった。

 

 泥臭くても、女の子らしくなくても構わない。


 これが、これが……




 私の、“青春”なんだ。




 私が放った渾身の一撃は、運が良かったのか、たまたま相手の面に直撃し、一本となった。


 会場が割れんばかりにどよめく。


 それもそうだろう。


 新人のペーペーが、優勝候補筆頭から一本取ったのだ。


 皆、驚かない方が珍しい。


 心臓が、うるさいくらいに鼓動を刻む。


 で、できる……私にもできるんだ!


 そんな万能感が、全身を駆け巡った。


 それはいつか、夜の公園で得た感覚に似ていたと思う。


 よ、よし……このままもう一本……


 そう思ってからの試合展開は早かった。


 集中力が切れてしまったのか……いや、それが本来の実力だったのだろう。

 

 私はあっけなく相手にもう一本を取られてしまい、敗退。


 優勝どころか、一回戦を突破する事すらも叶わなかった。


 それが、何を意味するのかは明白だろう。




 私は、七月先輩との約束を守れなかった。

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