第6話 営巣地

 そして、日が暮れた。

 まずはひよこたちが、続いて大人のニワトリが、一羽、二羽と眠りにつく。

 最後まで起きていた一番大きいニワトリ――ほかと区別するためにボスどりと呼ぶ――が、教王の腕を飾った巣で体を丸める。

 おそらく火星でもっとも力ある生き物が巨大ニワトリなのだろう。

 強者の余裕か、見張りのために起きていようという個体はいない。


 アタシとフオシンくんは足音を忍ばせて丘を下り、群れに近づいた。

 巨大ニワトリたちの寝息が、そこそこの距離でもハッキリと聞こえる。

 規則正しい音。

 確かに眠っている。


 土は柔らかく、踏んでも足音がしない。

 これならひよこが転んでも怪我をすることはないだろうな、と何とはなしに考える。

 空にはフォボスとダイモスの月二つ。

 フォボスは地球の月よりも暗く、ダイモスは遠くにあるのでほかの星のように小さく見えて……ぶっちゃけ紛れてしまってどれがダイモスなのかアタシにはわからない。

 じっくり見てればダイモスだけ動きが違うんだろうけど。

 何にせよ、コソドロをするにはいい夜だった。


 少し離れた場所にフオシンくんを待たせて、アタシはボス鶏の巣を構成する枝の中から教王の腕を引き抜いた。

 ちなみに直接触らず済むように、しっかりグローブを嵌めている。

 持った感触は訊かないで。

 想像よりも軽かった、とだけ。

 そんなグロ描写なんかよりも、もっとずっと重要なのは、これが……罠だったってことだから。


 腕を巣から引っこ抜いた瞬間、巣全体がバラバラと崩れ、ボス鶏はつんのめって地面に頭をぶつけ……

 寝ぼけた隙など願う間もなく、痛みで一瞬で覚醒した。

 すぐに顔を上げ、トサカをひるがえし、アタシに向かってクチバシを振り下ろす。

 駆けつけたフオシンくんがアタシを突き飛ばし、ボス鶏のクチバシがフオシンくんの服を裂き、だけど肉には届かず、フオシンくんは地面を転がってすぐに起き上がる。


   ゴゲッゴオオオオオ!!


 一鳴きで、周りの巨大ニワトリが一斉に目覚めて顔を上げる。

「走って!」

 フオシンくんが叫び、だけどフオシンくん自身は動かない。

 その手に握られた木の棒は、戦うための武器といった持ちかたではなく……

 囮になる気だ!

 この暗さでは、木の棒と、教王の腕との見分けはつかない。

 フオシンは見せつけるように、木の棒をボス鶏に向けて揺らしてみせた。


 アタシたちの有利な点。

 白い羽に覆われた巨体が淡い月光の中でもよく見えるのに対し、アタシたちはあらかじめ、土の上で転げ回って服を汚して、景色に紛れられるようにしてある。

 不利な点。

 ニワトリのほうがデカい! 強い! ついでに素早い!


 ボスを取り巻く群れのニワトリが、それなりに離れた位置にあったように思えた巣の一つ一つから巨体ゆえの長い脚と野生動物の跳躍力で一気に駆けつけ、フオシンくんに迫る。

 本物の教王の腕を握りしめたアタシが、今ここでするべきことは……

 逃げる!

 フオシンを見捨てたなんて言わないでっ。

 フオシンくんの勇気を無駄にしちゃいけないってだけだからっ!


 振り返らずに走る。

 ニワトリたちの声の調子からして、フオシンくんはうまく逃げ回っているらしい。

 辺りの暗さと、フオシンくんの体の小ささが幸いしているのだろう。

 人間だから小さいのに加え、子供だから小さい。

 子供なんだから本当はもっと守られてなくちゃいけないのに。

 そんな子供が、ついに捕まったのか、悲鳴を上げて……

 アタシは振り返った。

 ニワトリたちがアタシの動きに――アタシが銃を構えていることに気づいてこちらに走り出しても間に合わないだけの距離を取って。


 ターゲットを指定すればあとは機械が勝手に相手の体格から狙うべき場所を割り出し、アタシの手ブレまで計算して、引き金を引くタイミングを知らせる。

 最後の引き金だけは、事故防止と、発射の反動に備えるために手動で引く。

 銃口の上のモニタースコープがボス鶏の心臓を示して赤く光る。

 適切な電圧も機械が弾き出している。

 ショックガン、発射!


「ひゃっ!」

 撃った本人、アタシ自身が悲鳴を上げた。

 銃口から放たれた電撃は、予想してたよりはるかに大きな光の帯となってボス鶏に襲いかかった。


 人間相手になら撃ったことがある。

 練習場でトレーナーにだけど。

 ふざけるなって、プロテクター着けててもすっごい怒られたけど。

 あのときのが人間一人をぶん殴って気絶させる威力なら、今回のはマストドンが鼻の穴に人工衛星を詰めて思い切りくしゃみをしたような威力。

 だけど……


 振り上げた翼がボス鶏の体を覆う。

 光に遅れて轟音が空気を震わせる。

 ボス鶏は電撃を防ぎ切った。

 今のがアタシのショックガンの最大出力だった。

 エネルギーは一発で空になった。


 ああ。

 やっぱり。

 アタシには無理だったんだ。

 罠にハマったのも。

 武器を過信したのも。

 ならせめてさっさと逃げろって場面で呆然と立ち尽くしてしまってるのも!


 気がつけば、遅れて参戦してきたひよこが、アタシのすぐそばに迫っていた。

 慌てて身をかわす。

「痛っ!」

 耳を押さえた手が血だらけになった。

 っ!

 うずくまってる場合じゃない!

 起き上がって走らないと!


 フオシンがアタシのほうへ駆けてくる。

 アタシの前で一瞬だけひざまずき、銃を撃つために地面に置いていた教王の腕をガッと引っ掴んでそのまま走り去り、アタシは置いていかれる……

 と思いきやフオシンくんは、教王の腕をボス鶏に目がけて力いっぱいぶん投げた。


「これはくれてやる! 天使さまに手を出すな!」

 翻訳ピアスの音声に違和感があった。

 フオシンくんの声が、右耳からしか聞こえない。

 左のピアスは耳たぶごとどこかへいってしまっていた。


 教王の腕では、ボス鶏の気はそらされなかった。

 ボス鶏は翼を一振りし、教王の腕をはるか彼方へ弾き飛ばした。

 場外ホームラン、なんて言葉が場違いなようでピッタリなようで。

 とにかくそんな飛びかただった。

 奪われて人々が嘆き悲しみ、フオシンが命がけで取り返しに来たお宝は、ニワトリにとっては大事でも何でもなかったのだ。


 フオシンくんが膝をついた。

「立って! 逃げて!」

 アタシの言葉は火星語に翻訳されなかった。

 スピーカーは左のピアスにしかついていない。

 巨大ニワトリの群れの目はアタシたち二人を見据えて、もう、ダメ……


 薄い月明かりがクチバシを不気味に光らせる。

 フオシンくんに何か言葉をかけたい。

 最期に一言……

 アタシの翻訳ピアス……

 どこにも落ちてない……

 もしかして!

 アタシは左手首のバンドに右の掌紋をかざした。


「リミッター完全解除! ボリューム最大! れっつ・ぷれい・みゅーじっく!」


   ギュイーーーーーーーン!!


 場違いなギター・サウンドは、ひよこのクチバシの中から鳴り響いた。


 何が起きたか理解などできるはずもなく、ピアスを飲み込んだひよこがクチバシを閉じるのも怖いといった様子でバタバタと走り回る。

 大人のニワトリたちも、恐らくは生まれて初めて聞くのであろうヘヴィメタルにすっかりパニックになっている。

 ピアスひよこは大人たちの中でももっとも頼れる存在であるはずのボス鶏をすがりつくように追いかけ、ボス鶏はみっともなく逃げ回る。

 アタシとフオシンくんはドサクサに紛れて営巣地をあとにした。

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