火星に天使は舞い降りない
ヤミヲミルメ
第1話 ロケットの中
“火星へ入植した地球人にとって死者の埋葬方法は、食料の確保に次ぐ重要な問題だった”
リクライニング状態のシートの上で、ぼんやり見上げた天井を、光る文字が通り過ぎてく。
“地球上ではヒトを含め動物が死ぬと、体内の酵素の働きで自己融解し、体内の細菌の力で腐敗して土に還っていく。
しかし温度が低く乾燥した火星の環境では、遺体の自然な分解は行われず、ミイラとなっていつまでもそこに残ってしまう”
暇なので三編みの先端から枝毛を探す。
“日本では、学校が建っている場所がもとは墓地だったという話は(真偽はさておき)多く語られる。
イギリス、リバプールのグランド・ガーデンズ公園は、八万人の遺体を収容した墓地の上に作られている。
こうした土地の再利用は、ミイラ化した遺体が形を保ったままゴロゴロしている状況では困難となる”
アタシは伸びをして寝返りを打って、横の窓に目をやった。
昔の人が星空ごときでいちいち感動してたというのが信じられなかった。
青春映画で友達と星空を見上げるシーンなんてのはうらやましく思ったりもするけれど、一人で真似して退屈して以来、星ってものがちょっぴり嫌いだ。
“ミイラといえば古代エジプトのものが有名である。
エジプトのミイラは、王や貴族のものが非常に丁寧に埋葬されていた一方、庶民のミイラは砂漠に浅く埋められただけで、風が吹けば砂が飛んで野ざらしになっていた。
博物館に飾られることのなかったミイラは、万病に効く薬との謳い文句でヨーロッパ人に食され、日本にも輸出されていたとの記録もある。
実際、ミイラに防腐剤として使用された薬品の中には、漢方薬として効果のあるものが含まれていた。
とはいえミイラが服用されたのは十九世紀ごろまでの話であり、火星への入植が始まった二百年前でも、人体を「食べて処理する」というのは論外な手段だった”
寝心地が悪くて結局、天井を向く。
文字はアタシに読まれるまで、さっきの位置で待っていた。
“資源の乏しい火星では、人間の遺体も有効利用する必要がある。
初期の火星では遺体を自然乾燥させ、砕いて粉末にして肥料として畑にまいていた”
火星行きの一人乗りの宇宙船に、娯楽になるものを積みそびれたのはアタシらしからぬ失策だった。
サブ・パイロットのロボットが、こんな小学校の先生みたいなやつだったとは。
“しかし若い女性の遺体が、乾燥中に複数の男性によって汚染されるという事件が頻発し……”
おおっと、いきなり小学校的じゃない話が出てきたぞ。
“遺体のスピーディーな処理方法として早急な火葬の必要性が論じられ、遺体を燃やすための燃料として……”
「ロボンヌー! マンガを見せてよー!」
『金星の電波が邪魔しているので地球からダウンロードできマセン。もう五分前に言ってくれれば良かったのデスが』
わざとらしい合成音声が響く。
この声だから教科書も自動読み上げでなく黙読に設定している。
「じゃあせめて死姦の部分は飛ばして」
『かしこまりマシタ』
天井の文字列がパパッと切り替わり、前と代わり映えしない文字が現れる。
“そもそも人の死体で育った作物を食することを合理的とするか野蛮とするかについては論争が絶えず、二十一世紀の前半までならば合理的であることは宇宙開発に必須だったが、二十一世紀も後半に入り、地球外へ進出する人間が増え、さまざまな思想や宗教の違いを無視して画一化することは、排他的で人種差別的であり、発展の妨げになるとの考えから……”
「ねえ、ロボンヌー。そりゃー火星について何かテキトーな資料を見せてって言ったのはアタシだけどさー。何でいきなり死体処理の話なんか出してくるのさ」
『火星についてのもっとも新しい資料、すなわち火星からの最後の通信の内容に関わるものだからデス。宗教的指導者の逝去にともない……』
「百年ぐらい前のよね?」
『百三年前デス』
ロボットの声は、人間と区別がつかないタイプと、一発でロボットだとわかるタイプと、交互で流行が来る。
ロボンヌはこれでも最新型。
つまり買ったばっかりだから、アタシのことがまだよくわかっていない。
「アタシの名前って言ったっけ?」
『アリス・ヨコミネで登録されていマス』
「おっけー。ちょっと確かめたかっただけ」
ロボンヌとの会話には弾む余地がない。
趣味とかアタシと共通のものを登録してやれば少しはマシになるんだろうけど、いとこからの借り物だし面倒くさい。
そもそもアタシはいわゆる“おしゃべりが趣味な女の子”ではない。
成り行きでクラスの女子と三人でいるときとか、ほかの二人がものすごい勢いで話しているところに必死で相づちをさしはさむ感じ。
こんなタイプだから火星行きも一人で大丈夫だろうって、いろいろ勝手に決められてしまった。
さすがにお供は必要だろうってんでロボンヌをつけられたけど。
“古代エジプトのミイラの薬用以外の使い道として、燃料として燃やすというものがあった。
火葬ではなく、燃料としての利用である。
古代の神々への信仰のもとにミイラが作られていた時代が去り、エジプトに新たに広まった宗教では……”
あ。目が疲れてきてる。
“ひるがえって火星では、新たな遺体を火葬するために、過去にミイラ化させた遺体を燃料に……
誰の遺体を素早く火葬し、誰の遺体を燃料としてキープするか……
それを分ける基準は……”
おおう。ようやく眠たくなってきた。
アタシは素直に目を閉じた。
今から二百年ほど前は、世界中が競い合っての火星進出ブームだったらしい。
ところが地球側で異世界なるものが発見されて、安全で安価な往復方法が確立されると、異世界探検の大流行期が訪れて、火星は過去のものになった。
火星へ渡った入植者たちといつの間にか連絡が取れなくなっていることに、さすがに担当オペレーターだけは気づいたけれど、地球のみんなは異世界に夢中で――
異世界での暮らしが楽しすぎて地球と連絡を取るヒマがないなんて人が、火星入植者の親族にすら何人もいるような状況だったから、火星入植者も彼らだけで楽しくやっているんだろうと決めつけ、わざわざ宇宙船なんていう金食い虫を仕立ててまで火星へ様子を見に行こうなんて動きは起きなかった。
けれどさすがに火星進出二百周年ということで、百周年をスルーしてしまった後ろめたさも相まって何らかの行事をしなければという妙な義務感が地球の人々の間に生じ――
火星へ移り住んだ人々が地球に残した兄弟姉妹の子孫の中から、今時の若者にしては珍しく異世界にも行かず家でゴロゴロしていたアタシに、火星調査員なんつーものの白羽の矢が立ったのだった。
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