私はときどき『緑のたぬき』を食べる

金石みずき

私はときどき『緑のたぬき』を食べる

 大学の休憩スペースで三分の時間を過ごしていると、同じ専攻の梨絵に話しかけられた。


「あれ、珍しいね。七海がカップ麺食べるなんて」

「カップ麺じゃなくて『緑のたぬき』って言って。これだけは特別」


 私は蓋を開けて、緑のたぬきを啜る。

 梨絵は不思議そうな顔をしたが、すぐに興味を失ったらしく、席に着くと買ってきたらしいサンドイッチを食べ始めた。


 うん、やっぱり美味しいな。




「――ったく。なんで私が……」


 寒凪というのだろうか。空は抜けるように青く、それがかえって寒々しい。というか実際に寒い。

 買い物をする予定などなかったので、エコバッグもなければ手袋もない。悴んだ手に食い込むコンビニのビニール袋が痛くて涙が出そう。

 あんな頼みなんて引き受けなければ良かったと、今さらながら後悔するがもう遅い。

 発端は三〇分ほど前のことだ――


 今日の講義が一通り終わり、家に帰ろうとしていたところに声をかけられた。


「廣岡、今日暇?」

「別に予定はないけど」

「そっか! じゃあ悪いけど、後藤の様子見てきてくれねえ? あいつ今日熱出したらしくてさ」

「え、なんで私?」

「だって廣岡、後藤と仲良いじゃん。俺はこれから部活だし」

「言うほど仲良くないと思うんだけど。家だって知らないし」

「いいから、いいから。じゃ、よろしく頼むわ! 住所は送っとくから!」

「あ、ちょっと待って!」


 安住くんはそれだけ言い残して走り去ってしまった。

 手を中途半端な形で挙げたまま、拒否することも出来ずに取り残された私には、後藤くんの家を訪ねる選択肢しか残されていなかった。

 ――思い返してみたけど、やっぱりこれ、私悪くないよな。


 心の中で恨み節を吐きながら歩き、目的地へと到着する。

 先ほどスマホに送られてきた住所を確認。間違いない、ここだ。住所の他にも『あいつ料理出来ないから、良かったらなんか作ってやってくれ』という一文もあった。少々面倒くさいが、致し方なし。相手は病人だし。

 念のためもう一度確認してから、チャイムを押した。


 ――ピンポーン!


 ややあって「はいはい」の声とともに、扉が開かれる。

 今しがたまで寝ていたのだろう。後藤くんはスウェット姿で額に冷感シートを貼っていた。


「安住、サンキュー……って廣岡? なんで?」

「なんでって、その安住くんに頼まれたからだけど。とりあえず入れてくれる?」

「あー……」


 顔を見合わせたまま、沈黙が場を支配する。と、思ったのも束の間、ゆっくりと開いた扉が閉められた。

 私は閉まり切る直前になんとか足を滑り込ませ、扉を強引にこじ開けた。


「ちょっと! なんで閉じちゃうの!」

「だって俺こんな格好だし。着替えるからちょっと待って」

「病人なのに何気にしてんの! だいたいどんな格好していようとどうでもいいから!」


 不承不承といった様子で後藤くんはまた扉を開けた。

 本当なんなんだこいつ。女の子を寒い中、外で待たせるんじゃない。私も風邪を引いてしまうだろ。


「じゃあ、ちょっと散らかってるけど……」

「はいはい。お邪魔します。――って、うわぁ……」


 部屋は少し……結構……いや、かなり散らかっていた。

 無造作に物が散らばっていて、ぎりぎり通路だけ確保されている。生ごみとかそういうものはなさそうなのが、せめてもの救いか。


「こんな自堕落な生活してるから風邪引くんじゃないの?」

「……うるせ」


 とりあえず後藤くんをベッドへと誘導し、私は買ってきたスポーツドリンクをコップに注いで持って行く。

 後藤くんはベッドから半身を起こして受け取り、一気に飲み干した。


「ぷはっ……サンキュ、生き返った」

「良かったね。まだ体調悪いんでしょ? 寝てなよ。何か作ってあげるから」


 言い残してキッチンへと向かい、冷蔵庫を開ける。が、何もない。飲み物すらもない。あるのはケチャップやマヨネーズくらい。


「……冷蔵庫ってもう一個あったりする?」

「あるわけないだろ」

「朝から何飲んで、何食べてたの?」

「水道水と、それ」


 指をさした先にあったのは、こともあろうにカップ麺だった。


「普段はともかく、風邪のときにこんなの食べてたら治るものも治らないでしょ」

「こんなのとはなんだ。俺の主食だぞ」


 こいつめ。この風邪は引くべくして引いた風邪だ。心配して損した。


「食材買ってくるから、寝てなさいね。お腹空いても勝手に食べちゃダメだよ」

「お前はおかんか。まあでも、わかったよ。ありがとうな」


 私は最寄りのスーパーへ行き、お米やうどん、野菜や卵なんかを購入してアパートへと戻る。

 三〇分ほどで戻ってくると、後藤くんはすっかり寝入っていた。

 こうやって素直に寝ていると、案外可愛らしい顔してるのに。


 ――よし、やりますか。


「――起きれる? ご飯できたけど」

「……んぅ」


 私の声に反応して、後藤くんは気怠そうに身体を起こす。

 まだ意識がはっきりしていないようで、ぽやぽやしているのがなんだか面白い。


「いい匂いがする」

「別に。普通のうどんだよ。葱入れて、卵でとじたやつ」


 後藤くんはのそのそと身体を起こし、ローテーブルまで移動した。

 そして「いただきます」と言って一口食べる。


「……うめぇ」

「そりゃ、どうも」


 夢中でうどんを啜る後藤くん。

 あまり他人に作ったことはなかったけれど、こうして美味しそうに食べてくれると、案外悪くないなと思う。

 そのまま一気に食べきり、最後にコップに残ったお茶を一気飲みした。


「美味かった。廣岡って料理出来るんだな」

「こんなのただ茹でるだけだし。料理ってほどのものじゃないよ」

「それでもだよ。俺何にも作れないし」

「今まで何食べてたの……」

「さっき主食って言っただろ。あれだよ」


 そう言って指をさす先にあるのは、戸棚に一つだけ残されたカップ麺。


「あんなのばっかり食べてるから風邪引くの。風邪治ったら少しは料理覚えること。わかった?」

「はいはい。あ、今日の金払う。あとお礼何すればいい?」

「お金はともかく、お礼なんていらないよ。大したことしてないし」

「そういうわけにはいかないだろ」

「気にすることないのに。……あ、じゃああれ貰っていい?」

「あんなのでいいの?」

「だって私、食べたことないし」


 私が指さしたのは件のカップ麺だ。

 なになに? ――『緑のたぬき』か。


 実はさっきから少しお腹が空いていたのだ。

 普段しない体験に、どこかわくわくしながら蓋を開け、天ぷらを入れてお湯を注ぐ。

 そのまま三分待つと、ふわりといい匂いが立ち上った。

 「いただきます」と手を合わせ、恐る恐る食べると、鰹節だしの良い風味が口一杯に広がる。


「あ、これ美味しい」

「だろ?」


 少し得意気な顔が腹立たしいが、美味しいのは確かだ。毎食というのはちょっとどうかと思うが、時々なら悪くない。

 一口、また一口と箸を運び、気が付いたときには完食してしまっていた。


「ごちそうさまでした」

「夢中で食べてたな。案外、ハマったんじゃないか?」

「ま、時々食べるくらいなら悪くはないかな」

「素直じゃないやつ」


 くくく、と悪戯っぽく笑う後藤くん。

 私も最初はわざと不機嫌そうにぷいっと顔を背けてみたが、やがてなんだか可笑しくなってしまい、一緒に笑った。


「さて、後藤くんの主食食べちゃったことだし、治るまでは私がご飯作ってあげるよ。朝の分は作ってあるから、温め直して食べて。明日、昼頃また来るね」

「いいのか? 俺は助かるけど」

「乗り掛かった舟だしね」


 結局、後藤くんは次の日一日休むと、その次の日には大学にやってきた。

 なんだかんだ、家を訪ねたのは二回だけだった。



 後藤くんが回復した次の日は土曜日で、大学は休みだった。

 家で本を読んでいると、チャイムが「ピンポーン!」と音を立てた。

 宅配か何かかな、と覗き窓から外の様子を見てみると、意外な人物が何やら大きな荷物を持ってそこにいた。


「後藤くん?」

「よっ。これ、この前のお礼」


 ドアを開けて対面すると、大きな段ボール箱を渡してきた。

 受け取ってみると、案外軽い。


「――ってこれ、『緑のたぬき』じゃん」

「この前、案外気に入ってたみたいだったから」


 それを聞いて思わず吹き出してしまう。


「だからって一ケースはおかしいでしょ! 一二個もどうやって食べるの」

「そう? 俺ならすぐだけど」

「私には多すぎるよ! ――だから、消費に協力してよね。上がってくでしょ?」

「そういうことなら遠慮なく」


 どこかズレている後藤くんの行動に触発されてしまったらしい。普段は男の子を家にあげるなんて絶対にしないのに。

 でも悪くない気分だった。




 大学の休憩スペースにあるテーブルに着いて三分の時間を過ごしていると、梨絵に話しかけられた。


「またカップ麺食べてる」

「だから『緑のたぬき』だって」

「そうだったね、ごめんね。それは大好きな彼氏との思い出の味だもんね」


 思わず動きを止めた私に、梨絵は揶揄うように笑みを深くした。


「え、えっと、それ、誰から?」

「誰って、もちろん後藤くんだけど」

「いや、違うから。そんなんじゃないし。普通に好きなだけだから」

「彼氏が?」

「『緑のたぬき』が!」


 すっかり熱くなった顔を誤魔化すように、緑のたぬきを啜る。

 あいつのせいだ。後で絶対にしめる。

 ああ、でも美味しいな、本当に。くそう。

 おそらく生暖かい視線でこちらを見ているであろう梨絵の顔をまともに見れず、また私は緑のたぬきを啜った。

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私はときどき『緑のたぬき』を食べる 金石みずき @mizuki_kanaiwa

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