SB
「尚子さんが、死んだ……?」
信じ難い知らせだった。
とうとう寿命が来てしまったのか、最初はそう思ったが事実は想像を全く超えるものだった。
瀬下尚子は殺された。
旦那が仕事に出ている間に家に侵入してきた女に刺殺されたそうだ。これだけでも残忍な事件ではあるが、犯人である女は尚子さんの腹を割き、中にいる胎児を取り出した。そしてその後も家に居座った彼女はわざわざ旦那の帰りを待ち、胎児を彼に見せたそうだ。
女は以前にSBでとあるトラウマを抱えており、それが犯行の要因となったのではとの事だった。
“それでも、産みたいんです”
自然と涙が流れた。気付けば嗚咽が漏れるほどにむせび泣いていた。
なぜ彼女がこんな目に遭わなければならない。彼女はただ一生懸命に生きてきただけなのに。
彼女との付き合いは十年以上にはなる。
もともと二十歳まで生きられないと言われていた彼女を当時の主治医から引継ぎ、私が主治医として彼女と定期的に向き合うようになった。年齢で言えば私は彼女より十歳程離れていた。
あまり患者一人一人に感情移入はしないようにしていた。どうしても死と向き合う職業だ。親身に向き合う事はもちろん必要ではあるが、必要以上の感情は自分の心を殺す結果をも生みかねない。初めて自分の患者が死んだ時に自分が思いのほかに打ちひしがれた時に、この仕事を続ける為に決めた事だった。
だが、付き合いが長くなればなるほど、どうしてもそうはいかない部分があった。
「直樹は弱いんです。私がいなくなるって不安で、それに向き合うだけで精一杯なんです」
気丈な彼女が子供を身籠ったあたりから、彼女は世間話程度に不安を漏らすようになった。そしてこの頃から私と彼女の関係は変化した。
直樹とは彼女の旦那の事だ。私も何度か会った事はある。子供を産みたいと言う彼女を不安げに見ていた姿が印象的だった。
「自分の事で、私だって精一杯なのに」
そう言って静かに影を落とす彼女を、私は病院に来るたびに励ましていた。
医者ではあるが、彼女の心を治す事については専門外だった。あくまでその瞬間は人間と人間でしかなかった。だからこそ、彼女への想いは患者を超えて人間としての感情を持たざるを得なくなった。
『私の事を置いて、後輩の女の子と飲んでたりするんですよ』
プライベートの連絡先を交換し、仕事外でも彼女と連絡を取り合うようになった。どうしても忙しい身の為、しっかりとした時間は取れなかったが僅かな時間を一緒に過ごしたりもするようになった。
「私、怖い。死ぬのも産むのも、本当は怖い」
そんな彼女を抱きしめるのは自分にとってその瞬間はとても自然な事だったが、今の自分の行為が世間的には決して許されるものではない事も分かっていた。
それでもこうしなければ彼女は壊れる。彼女の為という想いももちろんあったが、どこかで自分の行為を正当化する自分もいた。
だから彼女が死んだ時、SBの事が頭を過った。
絶対に違う。SBのケースとは完全に外れる。それでも、彼女との関係は正しくない部分はあった。結果として彼女の子供は正しく産まれてくる事が出来なかった。想像を絶する悲惨な結末を迎えてしまった。
SBとは何なんだ。未だに明確な原因ははっきりしていない。
無性に腹が立った。原因さえ分かっていれば尚子さんも子供も死なずに済んだ。どこかの誰かが流した確証もない噂が人を殺したのだ。
ーーこんな世界、産まれたくないよな。
勝手な人間が勝手に生きて勝手に殺す。この世界には勝手しかない。
生きるのも死ぬのも不安だ。そういう意味で、彼女の姿はひどく正しかった。そんな彼女がこんなふうに死ぬ世界なんて、誰が望んで生きたいと思うだろう。
胎児達の選択は正しいのかもしれない。
私達が思っているよりずっと、何かもっと大きなものを、ひょっとしたら彼らは感じているのかもしれない。
それも私達の勝手な解釈だ。その理由を推し量る事は出来ない。
産まれてしまったこの世界で、私は何が出来るのだろう。
スーサイドベイビーズ 見鳥望/greed green @greedgreen
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